エピローグ 自殺するなら

 『一緒に自殺してくれる人を募集します。生きていても楽しくありません。十七年間経験した下らない人生を早く終わらせたい。夢も希望もないから。同じ心境の方、返事を待っています』


 長年勤めていた工場が閉鎖され、男はホームレス同然の身となっていた。すでに両親は他界し、親戚とも疎遠だったので、頼る相手はいなかった。


 住所がなかったため、保険証すら取得できず、身分証の提示が不必要なインターネットカフェでなけなしのお金を使い、暮らしていた。


 長年の不況により、職はなかなか決まらず、惨めな生活が続く。


 男の中に、希死念慮が生まれ始めたのはその頃だ。まるで亡者のように、死んでいるのに生きている感覚。苦痛しかなかった。


 気がつけば、無意識のうちにインターネットで、自殺について調べるようになっていた。


 電子の世界でも、亡者が蠢いていることを男はその時知る。昨今、自殺者急増を受けて、自殺をメインに扱うサイトや、心中募集といった類の書き込みは軒並み潰されるようになっていた。


 しかし、それでも自殺を求める亡者が減るわけではなかった。石畳の下を這うようにして、亡者の自殺を求める声は、電子の隙間に生まれていた。


 男は、その囁きを掬い上げているに過ぎなかった。そこで見つけたのが、女子高生の心中相手を求める書き込みである。


 その書き込みに惹かれた理由は、特にはなかった。プロフィールを確かめると、たまたま都内在住であることが決め手というだけである。自殺をするなら、誰でもよかった。


 男はさっそく、その女子高生と連絡を取った。相手は乗り気だった。他に参加者はおらず、エスカレーターに乗るように、あれよあれよと計画が進んでいく。


 自殺の方法は、練炭自殺が採用された。レンタカーを借り、睡眠薬を飲んだあと、車内で練炭を燃やし、中毒死を狙う。


 自殺において、もっともポピュラーな方法だ。苦痛も失敗も少ない。


 決行場所は、都内近郊の有名な湖。日時は一週間後の夜。


 男は、その時を心待ちにした。旅行にでもいくような気分で、一時を過ごす。ここ数年、感じたことのない高揚感だった。


 やがて、決行日が訪れた。外は冷えるので、黒いジャンパーを着用する。手持ちの数少ない防寒着だ。


 準備を整えた男は、ボストンバックを持ち、世話になったネットカフェを後にした。もう二度と、ここには戻ってこないだろう。


 JRを乗り継ぎ、目的地の駅に到着する。そのあと、待ち合わせ場所の停留所へ向かった。


 停留所に到着した男は、女子高生を待った。まるで、デートの待ち合わせをしている気分だった。


 だが、いつまで経っても、女子高生は現れなかった。昼が過ぎ、夕方になっても同じだった。


 連絡を取っても、全く反応はない。つまり、裏切られたのだ。


 男は絶望に打ちひしがれた。せっかく心中相手が見つかったのに。


 惨めな運命が、俺にはお似合いなのだろうか。そうに違いない。ずっと、自分の人生は惨めだったじゃないか。


 男はしばらくの間天を仰ぎ、やがて停留所を離れた。


 ボストンバックを抱え、駅へと戻る。どうしようか途方に暮れたあと、男は駅前のレンタカーショップを訪れた。


 男はそこで、黒のワンボックスカーを借りた。当初の計画は、ワンボックスカーで公園の駐車場へ行き、夜になったら内部で練炭を燃やし、自殺するというものだ。


 男は、無意識のうちに、計画通りの行動を取っていた。自殺する覚悟が固まったわけではない。茫漠と行動を取っていたのだ。


 男は車を運転し、自殺予定の場所まで移動を行う。車内は一人のため、重い静寂が圧し掛かっていた。


 目的地の駐車場に到着した男は、車を停めた。正面に見える湖を眺めつつ、しばし悩む。


 これから自分は一体、どうするつもりか。『どうしよう』でも『どうしたい』でもなく、『どうするつもりなのか』。自分でもわからなかった。


 時間が流れる。閉園の時刻が迫り、複数の行楽客が車に乗り込む姿が目に入った。明日は平日。じきにここは無人になるだろう。


 男は、行楽客が次々と退出していくラッシュアワーのような雰囲気の中、じっと車の中で待機していた。いまだに答えは出ない。


 日が落ち、暗闇に包まれても同じだった。男は陰鬱な車内で、ぼんやりと思案を巡らせていた。


 自分の人生について。未来について。自殺について。やってこなかった女子高生について。


 洗濯機を回したかのように、ぐるぐるとそれらの言葉が、脳裏に渦巻いた。


 やがて夜になった。すでに駐車場から車は全て消えており、公園内が無人になったことを示していた。


 男はフロントガラス越しに、空を見上げる。月が顔を出し、星が瞬いていた。まるでこちらを応援しているかのように。


 男はゆっくりと運転席を出た。夜の冷たい風が、頬を撫でる。腐葉土に似た臭いが、鼻をつき、男は鼻腔を膨らませた。湖が近いせいか、湿気も多い気がする。


 男は後部座席のほうに回り、スライドドアを開けて乗り込む。座席に置いてあったボストンバックを開けた。中には、七輪や練炭などの、自殺の道具が入っている。


 この時点で、男は自殺する決心を固めていた。


 強い信念に基づいた結論ではない。ただ漠然と、張り詰めた輪ゴムが朽ち果てるように、なんとなく希死念慮に身を委ねたのだ。


 ボストンバックから七輪と練炭、そして小道具を取り出した男は、ガムテープを使い。ワンボックスカー内の窓やドアの隙間を塞いでいった。一人なので、とても骨が折れる作業だった。


 やがて、全ての隙間を塞ぎ終えると、男は七輪に練炭を投入した。ライターで着火し、火を起こす。


 煌々としたランタンのような明かりが、闇に落ちた車内に煌く。まるで、黄泉の国に誘う篝火のように見えた。


 男はピルケースから睡眠薬を取り出し、水と一緒に飲み込んだ。それから、後部座席に横たわる。


 黒ジャンパーのボタンを全て外し、楽な姿勢をとった。これで、あとは運命に身を任せればいい。睡魔の奔流が、馬車のように雅秀を理想郷へと運んでくれることだろう。


 やがて自分は、一酸化炭素中毒により死亡する。そして、公園の管理人に発見され、管轄の警察署へ移送されるに違いない。


 そこで検死を受け、死体安置所に置かれるはず。判明しているのはそこまでで、その先はわからなかった。身寄りのない男を引き取る者などおらず、無縁仏として荼毘に付されるかもしれない。


 しかし、どうでもよかった。自分にとって、この世から消えることこそが、本願なのだから。共に旅立つ者がいないことだけが――あの女子高生から裏切られたことだけが――心残りだったが。


 徐々に薄れいく意識。男はふと、あることを思い出していた。インターネットカフェで、自殺について調べていた時、目にしたものだ。


 死ぬ寸前、人間は『夢』を見るという。現世に思い残した願望を叶えるような『夢』。


 走馬灯とも言う。それは、天が最後に届けてくれる贈り物かもしれない。死と生の狭間にいる人間が経験する冒険譚。


 次第に体が麻痺していき、泥の中に沈み込んでいくような感覚を覚える。冷たく暗いが、どこか懐かしい。


 男の意識が、永遠の闇に包まれる直前だった。目の前に文章が出現した。どこか見覚えがあるものだ。確か、インターネットの投稿文である。


 『一緒に自殺してくれる人を募集します。生きていても楽しくありません。十七年間経験した下らない人生を早く終わらせたい。夢も希望もないから。同じ心境の方、返事を待っています』


 その投稿を最初に目にした時、男は、天からの啓示だと思った。

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自殺するなら女子高生と 佐久間 譲司 @sakumajyoji

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