第1話 新しい日々の日常

「ご主人様、起きてください!朝ですよー!!」


少女の活力に溢れた声が聞こえると同時に、俺の肩が軽く揺すられる。そのどこか心地よい揺れによって意識が起きるも、体は上手くついていかない。まるで意識と体の繋がりが遮断されているようだ。


「うぅん・・・あともう少し寝かせてくれ・・・」


俺は目を開けずにとろんと眠気の残った声でもう少し寝ていたいという意志を伝え、近くにあった布団を手繰り寄せた。布団は暖かく、これ以上ない幸福を感じる。あぁ、これでもっと気持ちよく眠ることができる。


そう思った矢先に、とても人間の所業とは思えない非情な行動の被害に遭うことに。


「もう!そう言って全然起きないじゃないですか!ほら、起きてください!」


俺が大事に抱き寄せていた布団が投げ飛ばされたのだ。聖母の微笑みのような暖かさを吹き飛ばされた俺はたまらず目を開き、目の前にいたメイド服の少女に不満をたれる。


「なんてひどいことをするんだ・・・。人間がしていい所業ではない」


「私は人間じゃなくて幽霊ですー」


「確かに・・・」


メイド服を着た少女、リリスが俺の不満を一蹴する。これでは俺のメイドというより母親じゃないか。だが、不満を一蹴された俺に文句はない。美少女に起こされるというシチュエーションは男にとって幸せそのものだからだ。


俺のメイドを務めるリリスは控えめに言って美少女である。腰辺りまで伸びるさらさらとした黒髪に、ぱっちりとした黒色の瞳、幼さを残す端正な顔立ち。十人中十人がリリスは美少女だと答えるであろう、紛れもない美少女である。ある一点、体が透けているという部分を除けばだが。


そう。リリスは幽霊なのである。俺は聖職者でありながらも、訳あってリリスとともにこの屋敷で暮らしている。聖職者と幽霊がともに暮らしているなんて、まったくもっておかしな話だが。


「もう朝食は用意してますから、さっさと顔を洗ってきてください!そうすれば目も覚めるはずです」


「分かったよ・・・」


これが毎朝行われるリリスとのやり取りである。





今日は爽やかな朝だ。思わず外に出たくなるような暖かな日差しが屋敷を照らし、少し開けた窓からは心地いい風が吹き込んでくる。


何故俺は朝にあれほど二度寝をしようとしていたんだろうか。こんな気持ちのいい天気なのに。これが布団の悪魔的力か・・・。


「今日はどのように過ごされますか?ご主人様」


朝食を食べた後、屋敷の食堂でボーっとしているとリリスが話しかけてきた。リリスは基本的に俺に同行する。屋敷内にいるときも外出するときもだ。俺専属のメイドとして身の回りのことを何が何でも世話したいようだ。


この屋敷にいる幽霊たちは通常屋敷内のみでしか行動できないが、俺が屋敷の所有者であるためか、俺の周辺にいるという条件を満たせば屋敷外でも行動できるらしい。幽霊に関しては未だ不明のことも多く、興味深い発見がよくある。


「う~ん、今日はとりあえず町をぶらぶらして、そのついでに冒険者ギルドに顔を出しておきたいって感じだな」


俺はニューリオンに引っ越してから穏やかな隠居生活を送っていた。町で困っている人々を救い、地位や権力に頼らない、良好な人間関係を築いた。まさに理想の生活だ。


俺が買った屋敷はこの町では幽霊屋敷として有名だったらしく、町に引っ越した当初の俺に対する評価は幽霊屋敷に住む変わった聖職者といったものだったが、三か月経った今では町の人々から強く信頼されているのを感じる。


それもそのはず。町の住民は俺の正体を知らないが、冒険者ギルドとエルミナ教会のごく少数は俺の正体を知っており、その二つの組織とうまく連携し、町の犯罪者や町の脅威となる魔物を倒してきた。


どこからかその情報が流れ、俺は頼りになる聖職者という立場を獲得することができたのだ。これで理想の隠居生活の完成だ。心地よい生活がこの町、ニューリオンにはあったというわけだ。


「分かりました!では、ご洋服を用意しておきますね!」


「あぁ、いつもありがとう」


それにしても幽霊に世話をされる聖職者か・・・。我ながらおかしな生活をしているものだ。





「ストロノーフさんと幽霊のお嬢ちゃん!これ!持ってって!」


リリスと町を歩いていると、八百屋のおばあさんに声をかけられた。その手にはいくつかの果物が握られている。


ちなみに幽霊であるリリスを町の住民は普通に受け入れている。彼女は体が半透明の正真正銘の幽霊なのだが、意識して存在感を強めればその透明度を抑えることが出来る。町を歩くときは透明度を抑えるようにしているので、町の住民には受け入れやすいのかもしれない。それに、リリスが美少女であるという点や、信頼の強い俺と行動しているという点も理由としてあるのかもしれない。どちらにせよ、町の人々に可愛がられているリリスの姿をよく見る。


「え、いいんですか?この前リンゴを頂いたばかりなのに」


「いいの!いいの!ストロノーフさんには世話になってるから!幽霊のお嬢ちゃんは食べられないだろうけど」


「いえいえ!その気持ちだけでもありがたいです!」


「ありがとうございます。では、頂きますね」


リリスが持っていた買い物袋にその果物を入れていく。あぁ、なんて心地よい関係性だろうか。俺の権力や力を求めてではなく、純粋な俺への感謝からおばあさんは果物をくれるのだ。これほど嬉しい事はない。


「こらこら!果物屋だけ抜け駆けとはいけねぇな!ほら、ストロノーフさんと嬢ちゃん!この魚も持ってって!いいの仕入れたから!」


果物屋のおばあさんに対抗するように魚屋のおじいさんが魚を渡してきた。


「えぇ!いいんですか!」


「おうよ!あんたがクラーケンを倒してくれたおかげで漁師が仕事を出来るようになったんだからな!こんなもんいくらでも持ってってくれ!」


まったく、本当に気のいい人たちだ。隠居するのにこの町を選んで本当に良かった。


「ちょっとちょっと!そういうことならウチの肉を―――」


「じゃあウチからは野菜を―――」


「こっちは商品券を―――」





「いやぁ~、ご主人様、大人気でしたね」


「あぁ、そうだな。ありがたいことだ」


冒険者ギルドを訪れたり、困っている人を助けたり、町をぶらぶらした後の帰り道、太陽がちょうど頭上辺りに上る頃、俺はパンパンに膨らんだ買い物袋を持つリリスと並んで歩いていた。


ありがたいことに、その買い物袋に入っている物のほとんどが町の人から無償で頂いたものだ。


「リリス。その袋、重くないか?俺が持つよ」


「いえ!それには及びません。私はご主人様のメイドですから」


「そうか・・・。それならいいんだが」


「はい!」


これはもはや恒例のやり取りになっている。


初めてこのやり取りをしたとき、幽霊とはいえ女の子に重い荷物を持たせるのはどうかと考えたのだが、どうやら彼女は誰かに仕えることに喜びを感じていて、荷物を持つこともその一環であるようだ。


そのため彼女に荷物を持ってもらうことにしているのだが、なんとなく居心地が悪いため毎回このやり取りをしている。


「それにしても、本当に皆さんお優しいですね」


「そうだなぁ、本当に良い町だ。・・・こんな日常が続けばいいなぁ」


「そうですねぇ」


このニューリオンという平和な町に引っ越してから実感したことが一つある。


これこそが俺の守りたい光景だったんだ。


このような平和を守ることができたのなら、今まで必死に戦ってきて本当に良かった。俺は心の底からそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る