第2話 とある冒険者ギルドの受付嬢


「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・」


周囲の視線を気にせずに手を振り回して夢中で駆ける。こんなに全力で走るのは久しぶりだ。私の怠惰な体は突然の全力疾走に悲鳴を上げ、今にも壊れてしまいそう。明日は確実に筋肉痛で動けないだろう。


「ハァ・・・ハァ・・・着いたぁ」


長い間走り続けた私は遂に目的地に到着し、足を止め息を整えた。そんな私の目の前には大きな屋敷が立っている。魔王を倒した英雄の一人、かの【聖者】が住む屋敷だ。


この屋敷は私が生まれる前から幽霊屋敷としてニューリオンで有名だった。誰もいないはずなのに、誰も管理していないはずなのに汚れ一つなく、庭園から屋敷の隅々まで綺麗に維持されていること。さらに屋敷に近づくと話し声が聞こえることなど、この屋敷に関する様々な噂が流れ、町の住民は不気味に思い誰も近づかなかった。


しかし今から三か月前、【聖者】であるストロノーフさんがこの屋敷に引っ越してきた。


ストロノーフさんが【聖者】であることを知っている者は少ない。私が働いている冒険者ギルドではギルドマスターと私の二人だけだ。


なんでもストロノーフさんは自身が【聖者】であることを隠しておきたいらしく、私とギルドマスターは彼のその考えに従い、彼が【聖者】であることを周囲に隠している。


本来なら彼が【聖者】であることを公表し、私たちの愛するこの町を活性化させたい。【聖者】がこの町にいるという事実だけで、多くの人が集まるのだ。しかし、私達が彼の考えに従うにはある理由があった。


それは、ストロノーフさんの願いならばできる限り叶えたい。ただそれだけの理由である。


これが私たちの純粋な思いだ。彼は息をするように人を救い続ける。今まで救った人の数が多すぎて覚えていないだろうけど、私もギルドマスターも彼に救われた人間の一人だ。


まだ魔王が存在し人類に猛威を振るっていた頃、魔物に殺されそうになった私を彼は助けてくれた。颯爽と現れ魔物を一瞬で倒し、優しさに溢れた笑みで私の手を取ってくれた。


そのときの彼の笑顔はとても素敵で、まるで物語に出てくる王子様みたいで―――。


って、今はそんなこと思い出してる場合じゃなかった!ストロノーフさんに知らせなきゃいけないことがあるんだ!


私は急いで屋敷の門を叩いた。


「ごめんくださーい」


私がそう言うと、ひとりでに屋敷の門が開いた。屋敷に住む幽霊さんの仕業だろう。


そのまま屋敷の敷地内に入ると、綺麗に整備された庭園の姿が露わになる。なんでも屋敷に住む幽霊さんが常に整備しているらしい。刈り揃えられた草木に心地よい水音を立てる噴水。その光景はあまりにも綺麗で、現実感のない素晴らしい光景だ。今度ゆっくり庭を探索させてもらいたい。


そんなことを考えていると、どこからか現れた全身鎧が私に近づいてきた。その全身鎧に中身はなく、右手には鋭く光る剣を持っている。この屋敷の警備を務める幽霊さんだ。


「レイラ嬢・・・主に用か」


この全身鎧の幽霊、ハンデスさんはこの屋敷を守る騎士だ。最初に出会った頃は怖くて仕方がなかったが、良い人・・・じゃなくて、良い幽霊だと気が付いてからは普通に話せるようになった。人の適応能力、恐るべき。


「はい!ストロノーフさんに急いで知らせなきゃいけないことがあるんです!」


「そうか・・・。なら急いで行くがいい。屋敷の中に入ればセバスが主の元へ案内してくれるだろう」


「分かりました!行ってきます!」


「うむ・・・」


私は元気にハンデスさんに別れを告げ、急いで屋敷へと駆けた。そして屋敷の玄関口に到着し扉を開けようとすると、触ってもないのに勝手に扉が開く。これも間違いなく幽霊さんの仕業だ。この屋敷には、屋敷の全てを操る幽霊さんがいるのだ。


「これはこれは。ようこそおいでくださいました、レイラ嬢。主人に用事だそうで」


扉の先には執事服を華麗に着こなす白髪の老人、セバスさんが待っていた。セバスさんも幽霊である。体が透けていることが何よりの証拠だ。


「はい、そうなんです!お邪魔してもよろしいでしょうか?」


「もちろんでございます。では、こちらへ。主人の元へご案内いたします」


「ありがとうございます!」


私は前を歩くセバスさんを追うように屋敷の廊下を歩く。改めて廊下を見渡すと汚れ一つ見つからない。壁には豪華な装飾が施された灯りが灯されていて、床全体にはふかふかの高そうな絨毯が敷かれている。


絨毯の感触を楽しみながら歩いていると、空中にゆらゆらと浮かぶ火のついた蝋燭が前から近づいてきた。その蝋燭は蠟燭台に乗っていて、蝋燭台と蝋燭で一つの生物のような動きをしている。


「ひゃっはー!!レイラじゃねぇか!!」


「ロウくん!久しぶり!」


その蝋燭からは口が付いていないのに声が聞こえる。男性にしては高い声だ。


「おう!久しぶりじゃねぇか!あんまり汚れを落とすんじゃねぇぞ!」


「なにそれ、私が汚いみたいじゃん!」


「俺からしたら外は汚れだらけだぜぇ?」


この蝋燭は幽霊のロウくんだ。この屋敷を綺麗に維持することが生きがいらしい。幽霊なのに生きがいなんて、なんだかおかしな話だけれども。


そのままロウくんと少し雑談していると、会話にセバスさんが割り込んでいた。


「ロウ。レイラ嬢は急いでいるらしいので、世間話は程々にお願いします」


はっ!そうだった!ストロノーフさんに知らせなきゃいけないことがあるんだった!あぁ、また私の悪い癖が。すぐ優先事項を忘れてしまうんだ。


「ごめんねロウくん!世間話はここまで!そういえば私、ストロノーフさんに知らせなきゃいけないことがあるんだよ!」


「はぁ?レイラお前、その状況で俺と雑談してたのかぁ?ちょっとお前、馬鹿なんじゃねぇか?」


「あはは・・・返す言葉も見つかりません」


ロウくんと別れ、私はセバスさんとともに屋敷の食堂に入った。食堂は開けた空間になっており、その中央には大きな長机が置かれている。


静謐な雰囲気が漂う中、その長机の端の方でストロノーフさんは本を読んでいた。隣にはメイドのリリスちゃんが座っており、同じように本を読んでいる。


あぁ、ストロノーフさん。相変わらずかっこいいなぁ・・・。


淡い金髪にアメジスト色の瞳、整った顔立ちに贅肉の一欠けらもない鍛え上げられた長身の体。それに加え、誰よりも優しく謙虚な態度。逆に短所が見つからない。


確かストロノーフさんの年齢は二十五歳。まさかこんな若い人があの【聖者】だなんて、いったいどれほど濃密な人生を送ってきたんだろうか。おそらく、私には想像もできないことを山ほど経験してきたのだろう。


「ストロノーフ様、レイラ嬢をお連れしました」


セバスさんの呼び声にストロノーフさんとリリスちゃんが反応し、読んでいた本を閉じた。


「おぉ、レイラさん。こんにちは」


「こんにちは、レイラさん!」


「こんにちは、ストロノーフさん。リリスちゃん」


わざわざ席を立って挨拶してくれる二人。なんて良い人たちなんだ。あ、リリスちゃんは幽霊か。


「なにやら火急の要件があるようだけど、どうしたんだい?」


「じ、じつはニューリオン近辺にオークキングが現れたんです!どうか、お力添えいただけないでしょうか!!」


「なるほど、オークキングか・・・。確かにニューリオンの冒険者たちには厳しい相手だな。分かった、協力しよう。いますぐ冒険者ギルドへ行こうか」


あぁ、ストロノーフさん・・・。ギルドの協力要請に即決ですか・・・。


まったく、あなたはどれだけ優しいんですか。私たちはあなたに甘えてしまっているんですよ?【聖者】であるあなたならオークキングを倒せるだろうと、そういう甘えた考え方であなたにお願いしているんです。あなたがどれだけ強くても、命を懸けること自体は誰だって同じなのに。


いったいどれだけ優しいんですか。いったいどれだけの人を救ってきたんですか。


あぁ、だから私は、私なんかでは誰よりも優しいあなたに見合わないだろうけど、私は―――。



―――どうしてもあなたに、恋をしてしまうんです。

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