第9話 王位簒奪の始まり(最終話)

 分からない。分からない。分からない。


 いいや、正しくは信じたくなかったのだ。


 絢雲のせいで人が死んでいくことを。


 あの後、継雪つぐゆきを探していた追手に見つかって、合流に間に合った燕飛えんひに助けられた。その勢いで魔導院の外に放り出されて、今に至る。


 人生の大一番を仕掛けた継雪の魔法か、その影響か、雪は広域に渡って降っていた。深く積もった雪のお陰で、不時着も即死するほどの衝撃にはならず、絢雲が自分たちの姿を隠せるほどには身体を動かせた。


「えんひ……」


 絢雲は全身の痛みを堪えながら起き上がった。仄暗い明るさで、それでも燕飛の赤い血ははっきり見える。


 絢雲の呼びかけに精霊が応えてくれ、二人がいた場所は陥没しドーム状の空間が出来ていた。


 追手の気配が遠ざかっていく。


 そのことに、ほっと息をつく。


「……りょう、りょう、赤く燃えている。終われ、終われ、結び目のように」


 手をかざし、詠唱する。魔力マナを編み込むように使うので、絢雲が治療魔術の中でも得意とする魔術だった。外傷に強いだけでなく、内臓にも応用が利くので重宝している。しかしすでに流れた血を回復させることは出来ないため、勝負はこれからとも言える。


「う……」

「燕飛……!」

「……くくも。……ぶじか」


 青白い肌で、燕飛が問う。赤黒い双眸が、より一層濃い色に見える。


「……燕飛を治せるくらいには」

「無事なら、良かった。追手は」

「ここの精霊たちに隠してもらった。気配はない」

「そうか」


 燕飛はある程度落ち着いてくると、自己治療を開始しながら起き上がった。


「おそらく、俺たちの呪いのお陰なのだろうな。呪われているということは、魔導的要素が強いということだから」

「人にとっては穢れでも、精霊にとっては同胞に近い気配に過ぎない……。いっそのこと、ここでひっそりと暮らしていくのも有りだよね。私は、だけど……。燕飛は私といたらせっかくの不死みたいな身体が活かせないよね」


 燕飛は慌てて顔を上げた。


「絢雲! 思い込むな! 前にも言ったように、俺は呪いの因果関係から、絢雲の呪いでは死なない。だからこれは、絢雲の呪いとは関係がない」

「じゃあ、どう信じろっていうの!? 継雪まで死んだ! 簡単には死なないんでしょ!? 私のせいじゃん!」

「不死ではないだけだ。俺たちは、もともと不穏因子をあぶり出すための特攻隊なのだから、継雪に何かあったということは、事態が動きだしたということだ。状況はむしろ最善だ」


 燕飛は、絢雲の胸元を一瞥した。


「継雪は自由を得た。その心臓が絢雲のところにある限り、継雪の後継は生まれない。そして戸隠とがくしの尻尾を掴むチャンスを得た。だから今は、次の段階に入るために、絢雲の安全を確保する時なんだ」


 絢雲はうつむいた。燕飛が言い聞かせようとするほどに、致命的なそれが浮かび上がってくるようで。


「ねえ、二人とも、それって、殺処分を兼ねてるとか言わないよね」


 燕飛は反射的に息を呑んだ。事実ではないが、否定も出来ないからだろう。


 絢雲が彼から聞いたその呪いは、不死の研究とは関係ないという。だが、自然発生したその呪いは、なんの因果か燕飛に宿った。避雷針のように、王家にかけられた呪詛を吸収する。それは良くも、悪くも。


「燕飛は私に関わり過ぎた。だから嫌だったのに。勝手に関わってきて……っ」


 でも、嬉しかった。久し振りの人のぬくもり。なんの気兼ねもなく話しかけてくれる。話すことが出来る。燕飛は絢雲を否定しないどころか、存在を喜んでくれた。それが呪いの負担が軽くなるからだとしても。それでいて、絢雲の望みである解呪を手伝おうとしてくれた。


 本当に絢雲を見てくれているのだと思った。そんな人が絢雲の目を、自分が好きな碧色と同じだと言う。カレンがその昔、貴族の子息から容姿を褒められて内心で嫌がっていたが、絢雲は素直に嬉しかった。


 たぶん、絢雲が好きになってしまった人だったから。


 恩を感じて返したいと、絢雲の呪いの性質からして危険なことを、思ってしまうくらいに。


「燕飛が死にかけるのなら、私はどうしたって自分の呪いを疑うしかない。それを止めたいなら、燕飛はちゃんと生きて。危ないことをしないで。逃げてよ」


 燕飛が今一度、絢雲を見た。


「俺は本当に感謝している。継雪が最後に、誰にも縛られずに生きられた。だから俺が絢雲に強いてしまった負担を心から謝れない。それだけは、済まない。危ないことをしない、というのも約束出来ない。この上、俺は絢雲をこのまま利用できると思っている」


「利用したら? その方が私の呪いも軽くなるだろうし」

「俺の命も助かるかもしれない」


 絢雲は瞠目した。燕飛が微笑む。


「絢雲、俺が王家から殺されないためにも、王朝を簒奪してくれないか?」

「――は? 燕飛が国から離れたらいいんでしょ……?」


「俺は裏切り者として追われることになるだろうし、宗主国の方でも新たな継雪が生まれないとも限らない。それに、前から貴族連中に一泡吹かせたがっていただろう。宗主国の王朝を簒奪すれば、絢雲は故郷の貴族どころか、それよりも高い地位にある者よりも、権威ある最上の存在になるんだ。なかなか痛快だろう? 王朝の正統性も、前王朝の血筋である俺が担保できる」


 燕飛は良いことを思いついたと言わんばかりに、晴れやかな表情をしていた。


「己の正義感から逃げられない、俺はそういう人を好ましく思う。そんな君からの言葉だ。出来ることなら約束したい。しかも、そうすれば、俺は絢雲と生きる約束が出来て、絢雲は意趣返しができる。一石二鳥だ」


 絢雲は、考える。


「……私にそう言うってことは、燕飛はきっと、何かを投げ出せない人なんだろうね。継雪が言ってた。民のために、て。本当に、そんなことを言う王侯貴族もいたんだね」


 物語の王族ではない、本物の王族から出てきた言葉だとは思えなくて、まさか絢雲にまで向かって言われるような言葉にも思えなかったから、そのせいですぐには聞き取れなかった。思い出すことが出来て、ようやく理解した。


 民を支配する存在なんて目の上のたんこぶくらいにしか絢雲には思えなかったが、魔導院が今の姿になる前は、国の力があってこそ栄えた叡智だと聞き知っている。


 魔導院の力を頼りにする絢雲にとっては、そんな力を手に入れることは悪くない選択に思えた。


 それに燕飛こそは、絢雲よりも貴族の世界を知っている分、本当は絢雲以上に意趣返しをしたかったのだ。


 朱黒院しゅこくいん燕飛という男は、業腹なことに反省するどころか、絢雲をさらなる面倒事に巻き込もうとしているのである。利用したら、とは言ったが、限度というものがあるだろう。


 こっちはしがない貧民育ちというのに、である。身分違いの恋とやらを、してしまったのが敗因か。


 そういうことから、絢雲は至って率直に思ったことを口にした。


「いいよ。手伝ってあげる。私の解呪を手伝ってくれてる分にはね」

「ありがとう。絢雲」


 燕飛が頭を下げる。王族だというのに、こうなる前から絢雲には頭を下げることを躊躇しなかった。


 だからではないが、絢雲は頷いた。そうして、心の中でつぶやく。


 言われた通り、王位を簒奪しよう。


 それであなたが助かるのなら。

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魔法使い絢雲の恋物語 葛鷲つるぎ @aves_kudzu

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