I'm always watching over you.

碧月 葉

I'm always watching over you.

 酔った勢いってやっぱ怖いな…… 通常だったら考えられないような事をしでかしちゃうんだから。


 我が家のグレーのソファーにゆったりと腰掛ける彼女を見るたび、しみじみとそう思う。

 知性的でパッチリした瞳、穏やかな表情、身長168㎝でDカップの彼女は正に「理想のお姉さん」。

 ナナは今夜もとびきり可愛い。


 

 半年前。

 

 26歳から31歳までの5年間付き合った彼氏に振られ、不幸のどん底、この世の終わり状態だった私は、ある日、悪友のシホに無理矢理飲みに連れ出された。

 飲んで、飲んで、飲んで。

 そして3軒目のワインバーの片隅では、感情をコントロールできなくなって、泣いた。


「もう泣くなって、あいつより良い男なんて沢山いるからさ。前の男は次の男で忘れるに限るよ」

「もういい、男なんて信じない。要らない。一生一人で生きるもん……」

「だったら早くその涙止めなさいよ。………… 分かった、分かった。じゃあさ、あんたを慰めてくれるとびきりのラブドールでも探してあげるから」


 下ネタで、涙を止めようとする所が、流石はシホといった所なのだが、スマホで見せられた代物は全くいけていなかった。


「ううっ、全然好みじゃないよ。むしろ気持ち悪い……」

「ちょっと待ってよ。……全く……女の子の人形は沢山あるのに、何で男の子はこんなに少ないのよ」


 ブツブツ言いながら画面をスクロールするシホ。

 手元を覗くと、禁断の世界が広がっていた。


「わぁすっごくリアル……生きているみたい」

「ここまでくると芸術の域だよね〜。これなんて一体50万円だって」

「凄っ」


 結局シホの作戦勝ちで、私の涙は止まった。


「可愛い!」

「へぇ、このメイク上手」

「ちょっと……これは犯罪じゃない? 引くわ」


 私たちはそのまま、男性向けのラブドールを物色した。

 おそらく、何をしているか知られたら私たちの方が引かれる事をしていたのだが、その時の私たちは結構な酔っ払いだったのだ。


 私の暴走はそこで止まらなかった。


「この子、素敵」


 その時、ナナを見つけた。

 一目見て気に入ってしまい、「この子は私のもの。男性の玩具になんかさせない」という謎の使命感が湧きあがったのだ。

 念の為もう一度言うが、私は相当酔っていた。

 だからやってしまった。

 貯めていた結婚資金を注ぎ込んで、75万円の高級ラブドールを購入したのだ。


 ナナがやってきた日、私は自分の所業を悔いながら包みを開いた。場合によっては返却しようとさえ思っていた。

 しかし、現れた彼女は想像以上に素敵だった。

 

 私はその昔、親が許せば美大に行きたかった。

 今でも絵画や彫刻も大好きで、美術館巡りは趣味の一つだ。

 そんな自称美術好きの私の目から見ても、ナナの仕上がりは完璧だった。

 クリエイターの意地を感じる爪の先、まつ毛一本一本までのこだわりを感じ感動してしまった。


 という訳で、メーカーに送り返す事はせず、私とナナの奇妙な同居生活が始まった。

 見ているだけで癒される。

 日々愚痴を聞いてくれる物静かな同居人との生活は悪くなかった。

 思った事を声に出すという行為は、ストレス解消にもなるらしい。

 

 だから今夜も、私はウイスキー片手にナナに語りかける。


「初めてだよ。誰からも『お誕生日おめでとう』って言われなかったのは」


 彼氏はいない。

 シホは遅くまで残業だし。

 誕生日には欠かさず電話をくれた母も、2年前に亡くなっている。

 だから、SNSには幾つかのメッセージが届いているものの、それだけだ。


「気づけば32歳かぁ」


 一人きりの誕生日がこんなに孤独を感じるものだとは思わなかった。

 友達は殆ど結婚しているし、何なら子どもも生まれているし……って、そんな事が気にかかる。

 去年までは、一応デートをして過ごしていたから何も感じなかった。

 あの時は、私ももうすぐ結婚するって思っていた……。

 ちなみに元カレは再来月に結婚するらしい。


 誰の大切でもない現実が、寂しさが胸に押し寄せてくる。


「誰からも愛されてない……か」


 ……いけない。

 負の感情に引っ張られる。

 アルコールを薄めなきゃ。

 私は慌ててペットボトルのミネラルウォーターを口に含んだ。

 

 ソファに座り直し、ナナにもたれかかると人肌のような柔らかさが私を慰めた。

 酔っ払いの思考や行動は脈絡がない。

 

——ナナに息を吹き込んだら、どうなるんだろう。

 

 ふと、そんなことを思いついた。

 私は行動に移した。

 胸いっぱいに空気を吸い込むと、ナナの唇を塞ぐ。

 そして、お腹の底から息を吐いて注いだ。

 御伽話のように、人間になったりしないかしら、そんな風に願いながら全力で吹き込んだ。


 唇を離した途端。

 変化が生じた。

 ナナが温かい?


「お誕生日、おめでとう」


 彼女が喋った。


「嘘ぉ」


「嘘じゃないわ。えっと、心を込めて作られた人形はね、一度だけ魔法が使えるの」


「へ?」


 私は変な顔をしたのだろう。ナナが慌てている。

 

「…… え、あ、うーん、じゃあこれは夢よ。じゃなかったら……酔った貴女の妄想? それとも……幽霊が取り憑いちゃったとか。貴女が好きな理由で解釈して」

「じゃあ魔法?」


 正直、幽霊は怖い。

 だったらピノキオみたいな方が良い。

 それに、ナナからは温かい気配がするから、悪いものでは無いはずだ。

 

「今だけの魔法?」

「ええ」


 今夜だけか、残念。

 でもせっかくだから、いろいろ話そう。

 

 私は「ここに来て嫌じゃ無かった?」とか「愚痴ばかり聞かせてごめん」とか、喋りたかった事を次々と話し、ナナからも好きな事、楽しかった事など多くの質問をされた。

 

「そうだ、貴女が会社で作ったって言ってたポスター、ずっと見たかったの」

「わぁ、よく覚えてるね。あの時は確か嬉しくてはしゃいで一杯喋っちゃったからかな」


 そんな話題も飛び出して、私はパソコンを立ち上げ、社内イベントのコンクールで優秀賞を獲った時のポスターを見せた。


「とても綺麗ね」

「良いでしょ。文字列のバランスや色の組み合わせにはこだわったの。ここのイラストも私が描いたんだよ」


 こんな感じでナナと喋っていると、心の底に溜まった澱は綺麗に流れていくような気がした。

 もっともっと喋りたいのに、なんだか凄く眠くなってきた。

 勿体ない、今夜だけなのに。


 ナナにもたれ掛かると、彼女はゆっくりと頭を撫でてきた。

 困るよ、ますます眠くなってしまう。

  

 ウトウト……ウトウトしていると……


「ごめんなさい…… 美術の道でも良かったかも知れないわね。貴女の絵は小さい頃から本当に素敵だったもの。愛している、忘れないで。私は貴女をいつまでも見守ってるわ」


 夢か幻か妄想か。

 そんな声が聞こえた。 

 私はふわふわした気持ちのまま、心地よい眠りに落ちていった。





 


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I'm always watching over you. 碧月 葉 @momobeko

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