しゅわりと泡のように消え
月見 夕
透明な壁越しの彼女
なんとなく、ただ何となく月曜日の今日は気分が乗らなくて大学をサボった。
視界は特に何も変わらなかった。ただ単に僕が通学しなかった分だけ電車の席が誰かのものになって、成績システム上で僕の心証が一日分だけ悪くなっただけで、誰にも訪れる「一日」という膨大な時間の集束には何の影響もなかった。
相当に退屈で、適当に買った自販機のペットボトルの正体がサイダーだったと帰宅した今になって気が付いた。
畳に寝転び、蓋を捻る。空気が短く吹き出して中身の液体がしゅわしゅわと音を立てた。本当は日の下で元気に飛び跳ねる子供のものであったろうに、自堕落に怠け切った大学生が薄暗い四畳半で蓋を開けることに罪悪感すら感じる。サイダーはそんな気も知らず澄んで窓の光を返していた。
ああ退屈だ。
泡がはじける音に耳を澄ませ、遥か彼方の空想の世界へ意識を飛ばした。
掌に収まる透明な円筒に小さな人魚が泳いでいる。
へそから下が薄青の鱗に覆われ、美しい鰭に収束するその娘を何と呼ぼうかと部屋をぐるりと見回して、エリカと名付けることにした。すぐそばに転がっていた指輪の裏側が目に入ったからだった。元カノの名前だ。
エリカは貝殻に覆われた胸を白い両腕で抱いて、サイダーの中でぐるりと一回転してみせた。自慢の長い黒髪が小さな泡を連れ、そのゆったりとした軌跡に僕は見惚れる。
炭酸の中にいて苦しくないの、と聞いたが彼女はものを言わず、ただ自由にサイダーの中を泳いで僕に微笑んでいた。無意識にその笑顔に
僕の想いも露知らず楽しそうに泳ぐ彼女ごと、起き上がってサイダーを煽った。甘さと刺激が喉を潤してふとボトルに目を遣ると、減ってしまったサイダーの中で少し窮屈になったエリカが目で抗議を訴えていた。その視線すら愛おしい。
ごめんごめん、と笑って誤魔化し、中身の液体をゆっくりと揺らしてやった。エリカは突然の揺れに最初こそ戸惑っていたが、やがて水流に順応してくるくると泳いだ。見てと言わんばかりに両手を広げ、炭酸の泡で乱反射する光を鱗に照り返す姿に僕は虜になって、何度も何度もボトルを揺らして見せた。それに応じるように一生懸命に泳ぐエリカと透明な壁越しに目が合って、僕はもう一度恋に落ちるような思いがした。
君を連れてどこへ行こうか。各駅停車の車窓から昼の街を眺めて、ゆったりと旅をしようか。ふたりで海を見に行こう。誰も知らない海岸で、暮れるまで水平線を眺めようか。ボトルの中の君には、世界はどんな風に見えるのだろう。遠くに揺れる船を指差して、次はどこへ行こうかなんて話して――
そこまで考えて、ふと我に返った。各駅停車の電車も海も消え、僕はまだなんでもない四畳半にいた。さあ、妄想はそろそろいいだろう。
ゆっくりと瞼を閉じてもう一度開いた時には、ボトルの中の彼女は無数の泡になってきれいさっぱり消え、代わりに壁際に横たわる息絶えたエリカがボトル越しに透けて見えた。長い黒髪越しの瞳はどろりと濁り、何も映してはいなかった。
昨夜の別れ話と首を絞めた時の掌の感触が再びよぎり、僕は溜息を吐く。
彼女を殺してそろそろ半日になる。腐敗が始まるより前に、その身体を埋めるか溶かすか沈めるかを考えなくてはならない。人魚のように、しゅわりと消えてしまえばいいのに。
畳を踏み、重い腰を上げる。
僕は気の抜けたサイダーを飲み干した。
しゅわりと泡のように消え 月見 夕 @tsukimi0518
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