第46話 プロポーズ

 6月の下旬――梅の実が色づく頃。

 私は晴れて、貴族学園を卒業した。


 そして今、1年ぶりに王国の公爵領へと戻ってきている。

 昨年は陛下や殿下も祖母の1周忌に顔を見せてくれたけれど、今年は何の相談もせずに一人で里帰りをすることにした。


 実は、帝国と王国との間で軍事・経済面での相互援助協定が締結される運びとなり、殿下をはじめ帝国議会は今、そちらにかかりきりになっている。


 そして昨日。折しも祖母の命日に、吉報が届いた。


 墓前に座り、天国にいる祖母と父へ語りかける。


「お祖母様。お父様。無事に帝国の貴族学園を卒業できました。そして、昨日、ついに念願だった王国と帝国との相互援助協定が結ばれました。私……自分の役割を、ちゃんと果たせたでしょうか?」


「――ヘレナ」


 自分の名を呼ぶ声が聞こえて、一瞬、空から祖母が語りかけてきてくれたのかと思った。


「ヘレナ」


 今度はもっと近くで自分の名を呼ぶ声が聞こえて、驚いて振り返ると、およそお供え花には似つかわしくない、美しい花束を手にした殿下が立っていた。


「殿下? どうして……調印式は?」

「父上とシャルルに任せてきた」

「え?」


「今日は、8年前の約束を果たしに来たんだ」

「約束……?」

「平安な世になったら、必ず迎えにくると約束した少女に、会いに来た。皇太子ではなく、アルフォンスとして、ヘレナを迎えに来た」


「……遅すぎです」

「すまなかった」

「私、一度結婚しちゃいましたよ?」

「知っている」

「口付けだって、しちゃいました」

「気にしない」

「言葉遣いだって、淑女らしくありません」

「俺だってそうだ」

「やきもち焼きだから、愛人を持つような人は嫌です」

「ヘレナしかいらない」

「……本当に? 約束してくれますか?」

「約束する。アン夫人に誓って、へレナを幸せにする」


 殿下は力強くそう言うと、祖母と父の墓石の前で片膝を立てて跪き、プロポーズをしてくれた。


「ヘレナ・ラッスル。アルフォンス=ルイ=グザヴィエは、生涯でただ一人、貴女だけを愛することを誓います。私の妻になってくださいますか?」

「はい……喜んで」


 ――殿下と想いを確認し合ったその日。

 領地の屋敷へと足を踏み入れると、昔馴染みの友人たちが集まってくれいて、私の成人と貴族学園の卒業、そして両国の相互援助協定の締結を祝う宴を開いてくれた。


 もう成人したから、お酒だって正々堂々と飲める。

 そう思っていたのに、これから! という時になり、長年お屋敷に仕えてくれている侍女長に腕を引かれた。


「ヘレナお嬢様は、そろそろ――」

「え? なーに?」


 何かサプライズの贈り物でもあるのかしら? なんてウキウキしながら彼女の後をついて行くと、なぜか浴室に案内されてそのまま湯浴みをさせられた。


「……薔薇の花びら? ずいぶん凝ってるわね。――というか、私、まだ飲み足りないんだけど」

「お嬢様、今夜は大切なお務めがありますから、お酒は程々になさってください」

「えー!? 仕事、まだ残ってるの? もう、頭働かないんだけど」

「頭は働かせなくて結構でございますから。リラックスして、旦那様に全てお委ねください」

「なんだ、殿下がやってくれるのね? うふふ。『旦那様』だって」


 なんだか新婚みたいだな。


 そんなお気楽気分で寝室へ入ると、湯あみを済ませた殿下がガウン一枚羽織った姿で待っていた。


「殿下?」

「アルフォンスとヘレナ。夫婦の寝室にいるときくらいは、互いに名で呼び合わないか?」

「……アルフォンス」

「あぁ」

「アルフォンス」

「うん」

「アルフォンス」


 次の瞬間、殿下に強く抱き寄せられた。


「ヘレナ……今夜、いいか?」

「『いいか?』って?」

 それが意味するところが分からなくて、首をかしげながら殿下を見上げる。


「ヘレナが欲しい」

「っ!? でも……」

「嫌か?」

「嫌じゃないけど、心の準備が……」


 その後の言葉は、彼の唇に阻まれて紡げなかった。

 どう振舞えばよいのか分からず、うろたえるばかりの私に、殿下は何度も唇を合わせた。その温もりが段々と身体の緊張を和らげ、互いに産まれたままの姿になると、身体の曲線をなぞりながら何度も「綺麗だ」と言ってくれた。


 ようやく殿下と結ばれたとき、たとえようのない想いがこみ上げてきて、涙が次から次へと溢れた。

 殿下は指の腹で私の泪を払うと、労わるような口付けを落とした。何度もそれを繰り返し、ようやく私が落ち着くと、優しく髪を撫でながら「幸せだな」とささやいた。


 その夜は彼と身体をくっつけたまま、年季の入った窓から吹き込むヒューヒューという風の音を聞きながら、眠りについた。

 自分の身体が彼の匂いに包まれて、「ああ、この人に護られているんだな」と思うと、心の奥深くから嬉しさがこみ上げてきた。


 翌朝目が覚めると、殿下はすでに起きていて、机の上で何やら書類をさばいていた。


「……起きたか?」

「はい。……ごめんなさい、私、朝寝坊しちゃったみたい」

「ふっ。妻の寝顔を見ながら仕事するのも、悪くないなと思っていたところだ」

「っ……」

「身体は辛くないか?」

「大丈夫」

「食事よりも……湯浴みを先にするか?」

「はい」

「侍女を呼んでくる」

「あの、自分で出来ますから」


 そう言ってベッドを降りるも、ぺたんと座り込んでしまう。


「だから言っただろう?」

 殿下は苦笑しながら私を抱き上げ、浴室まで連れていってくれた。


「すみません」

「いや。昨夜は無理をさせた。大丈夫か?」

「はい」

「部屋にいるから、何かあれば呼んでくれ」

「呼びたくても、声がかすれて出ません」

「ふっ。泣きすぎだ」

「アルフォンス様のせいです」

「そうだな。すまない」


 以前より殿下と心が通い合っている気がする。肌を重ねると自然とそうなるのだろうか。


 用意されていた簡易ドレスに身を包むと、ササッと荷造りをした。


「殿下。帰り支度ができました」

「っ、何を言ってるんだ?」

「え?」

「そんな身体で帰るつもりか?」

「大袈裟ですよ。病気でもあるまいし」

「随分、余裕だな」

「そういうわけじゃ。でも、調印式の後処理がまだ残っているでしょう?」

「心配いらない。とりあえず、帝国行は却下だ」

「どうして!?」

「初夜の儀は3日3晩行うのが慣例だ。忘れたのか?」

「そうだった、ような……」


「いずれにしても、あと最低2晩はここに滞在するぞ?」

「うそ……」

「というわけだから、荷物は解いておけ」

「……あの」

「ん?」

「もしかして、今夜もするの?」

「何を?」

「夫婦の営み」

「3日3晩行うといっただろう?」

「そんなぁっ! まだ引き攣れたような痛みがあるのに」

「間隔が空くと、その分、痛みが辛くなるそうだ。早く慣らした方が良いだろう?」

「慣らすって……言い方!」



 その後、アナベルの花が咲き誇る中庭で一緒に遅めの朝食を取った。


「そういえば、わたし――殿下がだったんです」

「おっ、おう」

「あれ?驚かないんですか?」

「いや、そうだろうとは思っていたから」

「なぁんだ。知ってたんですか。ねえ、殿下も、私がだったりする?」

「んんっ? いや、それは――」


「そっかぁ。ま、たしかに、殿下は私より7つも上ですもんね」

「……」

「ねぇ、じゃあ、お相手はどんな人だった? 綺麗系? それとも可愛い系?」

「エレナ。たとえ夫婦でも、そういう話はしないのがマナーだ」

「へぇ。帝国ではそうなんだ」

「っ、王国は違うのか?」

「うん。普通に聞くし、話しますよ?別に過去の話なわけだし」

「……鷹揚なんだな」


 その時、私は知らなかった。

「初恋の人」という意味で「初めての人」という帝国語を使ったのに、帝国ではそう解釈されないことに。


 だから、社交の場面で2人の馴れ初めを聞かれ、「殿下は私の初めての人だったんです」と答えるたびに、生暖かい空気に包まれ、殿下の頬に赤みが差す理由を不思議に感じていた。

 ある日、ダフネに「それは、初体験のお相手という意味ですよ!?」と聞かされるまで。


「どうして教えてくれなかったんですか!? もうっ、恥ずかしくて死んじゃう」

 と殿下に詰め寄ると、ひと言、


「……可愛かったから」

 と言われてしまい、何も言い返せなくなってしまった。


 他にも、殿下は私の帝国語の言い間違いが「可愛いから」という理由で直してくれないことが度々あった。

 それからというもの、例の単語帳が復活したことは、言うまでもない。


 とまあ、そんな後日談もあるのだが、


 ――当初の予定から4日延長すること計7日間。

 私は生まれ故郷のこの土地で、朝から晩まで殿下と一緒に過ごした。初めから愛されて結婚したんじゃないかと思うくらい、それは大事に扱われた。


 そしていよいよ帝国へと戻る朝。

 殿下と一緒に馬車へ乗り込むと、いつもより多めにクッションが敷かれていて、護衛のみんなにも知られているのだと思うと、たまらなく恥ずかしくなった。

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