第45話 西国の皇太子
「エレナ。スカートの裾、切りこみが入ってるぞ?」
「っ!? 貴方……ギヨーム?」
「あぁ。ビックリしたよ。ほとんど表舞台に出ないと有名な帝国の皇太子妃がどんな女性が見てやろうと思ったら、エレナだったんだから」
「私もよ! って、そんなにすぐ分かった?」
「いつも見てるからな。それにしても、帝国の皇太子妃が留学生のふりをしてるなんて知ったら、同級生のやつら腰を抜かすぞ?」
「それを言うならギヨームだって同じじゃない? 西国の皇太子が同級生だなんて知ったら、すごい騒ぎになりそうよ?」
「くくくっ。間違いない」
「じゃあ、お互い秘密ってことで」
「スカート、膝丈までスリットが入っているようだけど、その方が踊りやすそうだな」
「側妃として迎えられる予定の令嬢に破かれちゃったの」
「げっ。やっぱり、そういう女同士の闘いがあるのか?」
「私なんて、排除するまでもなく『お飾りの妻』なのにね。ご苦労なことだわ」
「ふーん。じゃあさ、見せつけてやろうぜ?」
「何を?」
「半年前の、特訓の成果をだよ」
「特訓?」
ギヨームことヴィルヘルム皇太子は、ニヤリと笑うと何やら侍従に耳打ちをした。
壇上からダンスホールの中央まで降り、互いに向かい合うと軽く礼をした。
そこに、厳かな雰囲気漂う宮殿の舞踏会には似つかわしくない、リズミカルな音楽が響き渡った。
「っ!?」
「そ。西国では定番のダンスだが、運動量が多いしキレのある動きを多用するから、お淑やかなご令嬢にはまず踊れない。でも、エレナなら大丈夫だろ?」
「もちろんよ! それに、ストレス発散にもちょうどいいわ」
「だろう?」
実はこのダンス、学園祭の演劇でギヨームと踊る予定だったのだが、王女役を降板したため、お披露目できないままになっていたのだ。
ギヨームとの流れるような情熱的な踊りに、会場中の視線が釘付けになっているのを感じた。
スリットが入っているため、ターンするたびにスカートの裾から引き締まったふくらはぎが顔をのぞかせているが、そんなこと、もう、どうでもいいや。
最後に激しいターンを繰り返していたら、ウィッグが取れそうになってしまった。
「あっ!」
それをギヨームが寸前のところで抱きとめる振りをして押さえてくれた。
「ありがとう。助かった」
「さすがの俺も、ヒヤッとしたよ」
音楽が鳴り止み、どちらともなく「ふふふっ」と笑い合う。
ワーッとものすごい拍手が鳴り響く。
互いに恭しく礼をすると、聴衆に向かって笑顔を向けた。
その背中へ、メリッサ様が言葉をぶつける。
「……エレナ様は随分、破廉恥なダンスをご存知なのね?」
「破廉恥、ですか?」
ヴィルヘルムの低い声が響く。
「破廉恥極まりないわよ。肌を露わにする踊りなんて。帝国に対する侮辱だわ!」
「っ、ヴィルヘルム殿下。ただ今の失言、どうかお許しください」
すぐに西国担当の大使がとんできて、謝罪する。
「常識知らずの令嬢を公式な夜会に参加させるとは……親の顔が見てみたいものですね」
「っ、常識知らずですって?」
「先ほどのダンスは、西国の伝統的な舞踊です。エレナ皇太子妃はそれを知っておられたようですがね」
「っ、そんなの単なる偶然でしょう?」
「踊りまで完璧にマスターされていらっしゃった。さすが皇太子妃ともなれば、格が違いますね」
「っ、何ですって!?」
「メリッサ、もう下がりなさい」
「え? どうしてよ、お父様!」
「下がれ、と言っている」
「っ……」
メリッサ様は父親であるロレール公爵に腕を取られ、顔を引きつらせながら退場した。
「ヴィルヘルム殿下。あらためて、先ほどの発言をお詫び申し上げます」
「アルフォンス殿下。どうぞお気になさらず。……それにしても、皇太子妃様は素晴らしい方ですね。この短期間に帝国語をマスターされたばかりか、西国の文化にも通じ、令嬢の挑発もさらりとかわすほど肝が据わっておられる」
「……」
「『お飾りの妻』と聞いておりましたが、それが本当なら、ぜひ我が妻に迎えたいものです」
「ご冗談を。私はエレナを愛しておりますから」
「そうですか。では私の失言もお許しいただきたい」
「……」
それから何組かの主要貴族が挨拶に来た。
殿下には『ただ座っていればいい』と言われたが、そうもいかない。
淑女コースのアメリから日々教わっている社交会の情報を駆使して殿下をサポートした。
一通りの社交を終えると、オーギュスト様から声をかけられた。
「妃殿下。一曲、お願いできますか?」
「喜んで」
「……エレナ、何だか美しさに磨きがかかったね」
「相変わらず、お上手ですこと」
「お世辞など言わないよ。本当だ」
「……大人になったからでしょうか」
「ははは。成人したからって、急に変わるものじゃないだろう? それにしても、さっきのダンスは見事だったな。あんなに運動神経がいいとは知らなかったよ」
「ふふふっ。だから、辺境伯夫人にはピッタリだと思ったんですけどね」
「あぁ……すまない」
「冗談ですよ! オーギュスト様のことは、もう綺麗さっぱり諦めましたから」
「エレナ……」
「ほらー。そんな顔しないでくださいよ」
「ありがとう」
「それはそうと、フォスティーヌ夫人の体調はいかがですか?」
「まだ悪阻が辛そうだよ。あと1か月もすれば落ち着くようだけれどね」
「お屋敷の皆さんも、新しい命の誕生を心待ちにしているでしょうね」
「久しぶりだからね。みな張り切ってるよ」
「うふふ。みなの様子が目に浮かびます」
オーギュスト様――その昔、自分が恋をした人は、昨年の暮れ、フォスティーヌ夫人と結婚をし、今、夫人のお腹には2人の赤ちゃんが宿っている。
「エレナのおかげだ」
「え?」
「君に元気をもらったんだ。私も、もう一花咲かせようかなってね」
「まぁ。お役に立てたようで何よりですわ」
「本当に……ありがとう」
「大袈裟です」
「それから、昔、エレナを保護したときの話なんだが。実は伝えていなかったことがある」
「え?」
「口留めされていたからね」
「どなたから?」
「可愛い甥に」
「甥?」
「あの時、帝国軍の指揮官だった私は、正直、貴女の処遇を決めかねていた。エレナは敵軍の元大将の一人娘だったからね。けれど、その時、私の右腕として仕えてくれていたアルフォンスが、『絶対に家に戻してあげるべきだ』と進言したんだ」
「殿下が?」
「ああ。だから、エレナの恩人は私ではなく、アルフォンスの方なんだ」
「どうして教えてくれなかったんでしょう……」
「昔助けたことを理由にエレナを繋ぎとめるのは、フェアじゃないと思ったんだろうね。不器用な子だから」
そうか。やっぱり、あれは――私の初恋の青年は、アルフォンス殿下だったんだ。
それから、1週間後。
メリッサ様が放った侮辱発言に対して西国から正式に抗議がなされ――おそらく真実は、アルフォンス殿下が抗議をさせたのだろうが――彼女が側妃として殿下のもとへ嫁ぐ話は消えてなくなった。
一つ心の重しがなくなった私は、貴族学園の卒業認定試験に向けて学業に専念することにした。
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