第44話 性悪女
6月初旬に行われる貴族学園の卒業認定試験に向けて追い込みをしていた頃。
殿下から手紙が届いた。
「……ええっ!? 舞踏会?」
「どうされました?」
「それがね、来月、西国の皇太子を招いた舞踏会を行うから、皇太子妃として参加してほしいって。それと、ファーストダンスは殿下と踊ることになるから、練習しておくようにって」
「ずいぶん急ですね」
「――きっと、どこかで私に渡る情報が止められてたんだわ」
「演劇部の皆さんに練習のお相手をお願いしてみてはいかがですか?」
「さすがレオポルド! 早速、お願いしてみる!」
そうして迎えた当日。
皇族専用の控室で、久方ぶりにメリッサ様と対面した。
どうしてまだ側妃に迎えられていない彼女が我が物顔でここにいるのよ!?
「まぁエレナ様! お身体はもう大丈夫なのですか?」
「は?」
「輿入れ以来、帝国の風土が合わず体調を崩されて離宮で療養中だと聞いていたものですから、わたくし心配で……」
「すこぶる元気ですけど?」
「そんな、ご無理なさらないで! 殿下とのファーストダンスなら、私が代わりに務めますから」
「いえ、結構です」
なーるほど。今度は私を「病弱の正妻」認定したいわけね。そこまで殿下とダンスを踊りたいなら譲ってあげたいところだけど、今回はダメなの。練習に付き合ってくれた演劇部の皆に失礼だもの。
思ったような反応が返ってこず、しゅんとした表情でメリッサ様が踵を返した瞬間、
カッツーン……コロコロコロ
小さな金属が大理石の床に落ちて転がる、硬い音が響いた。
どうやら、メリッサ様が付けていたイヤリングが床へ落ちてしまったようで、私の足元をすり抜けて向こう側へ転がっていった。
「あらっ、いやだ。……ごめんなさい、それ、取っていただけるかしら?」
「ええ」
私が屈んでイヤリングを取り、再び立ち上がろうとしたその瞬間。
ビリビリビリッ
生地が裂けるような鈍い音が聞こえた。ゾッとして振り返るとメリッサ様が私のドレスの裾をピンヒールで踏んでいた。
「きゃっ、ごめんなさい! うっかりドレスの裾を踏んじゃったみたい」
……絶対、わざとだ!
「やだぁ、そんなに睨まないでください。わざとじゃありませんのよ?」
「どぉ――だか」
「大変です! 皇太子妃様のドレス、スリットが太ももまで入っておいでです。これではとても、殿下とのダンスは無理でございますわね」
メリッサ様が連れてきた侍女が大袈裟に騒ぎ立てる。
「エレナ様。ごめんなさい、私の不注意のせいで――」
不注意? こんな簡単にドレスが裂けるわけないでしょ? 最初から仕込んでたんでしょうに。
「お気になさらず。わたくし、裁縫も得意ですので!」
その時、殿下が控室へ入ってきた。ただならぬ雰囲気を感じとったのか、「どうした?」と聞いてくる。
「アルフォンス殿下ぁ!」
「……どうした?」
「それが……わたくしが落としてしまったイヤリングをエレナさんが拾ってくださったのですが、その拍子にドレスが破れてしまったようで……」
「ドレスが?」
「……自分で裾を踏んでしまうなんて。エレナさんって案外、おっちょこちょいなのね?」
「っ、なにを――」
「でも良かった。アルフォンス様からの贈り物のイヤリングは、無事でしたわ」
そう言って、空色に輝くサファイヤの耳飾りをふるふると揺らせて見せる。
それ……以前見せつけられた婚約指輪と同じ宝石で作られたペアジュエリーだ。
「エレナさんのドレス、随分深くスリットが入ってしまったのね。歩くたびに太ももが露になって、下品だわ」
一瞬、殿下が顔をしかめたが、すぐに私に向き合って聞いてきた。
「エレナ、今夜のファーストダンスは大丈夫か?」
「大丈夫。間に合わせます」
「アルフォンス殿下? ダンスなら、私も準備しております」
「メリッサ。エレナのことは、敬称で呼ぶように」
「……はぁい」
「――少し、失礼致します」
チクチクチクチク
裂けてしまったドレスを自らの手で縫い上げていく。他のドレスに着替えた方が早いのかもしれないが、細工がされていないとも限らない。
「器用ですね」
レオポルドが後ろからのぞきこんでくる。
「裁縫は得意なのよ」
「料理も掃除も裁縫もできるエレナ様って、実はすごく良い奥さんですよね?」
「『実は』って何よ?」
「失礼しました。それにしてもメリッサ様。可憐な外見とは違っておっかない方ですね」
「ほんっとに頭にきちゃう! ついでに美しい刺繍も施しちゃうんだからっ!」
それにしても――殿下、さっきメリッサ様のこと、『メリッサ』って呼び捨てにしてたな。以前は『メリッサ嬢』って呼んでいたのに。そりゃそうか。もう婚約したんだものね。
そんなことを考えていたら、不意に殿下に声をかけられた。
「おい、無理はするな」
「無理なんて……痛っ!」
「大丈夫か?」
「平気です。ちょっと針で指を刺しちゃっただけ」
「血が出てるじゃないか! はぁ――。エレナ、もういい。今日は、座ってろ」
「ですが、ダンスは――」
「ダンスはメリッサと踊ることにする。いずれは紹介しなければならないから」
「……わかりました」
「アルフォンス殿下。ご期待に添えるように頑張りますわ」
「今夜は他国の皇族も招待している。失礼のないように頼む」
「もちろんです。練習の成果を発揮してみますわ!」
なぁんだ。初めから私の代役を想定してメリッサ様に練習させてたんじゃない。
急いで縫ったりして……私、ばかみたいだ。
「エレナ。今夜はただ座っていればいいから」
「やだぁ、エレナ様ったら、本当の意味で、お飾りですわね」
「……」
悔しくて思わず顔を伏せたその時――澄んだ高い声が控室に響いた。
「お待たせいたしました」
「クリステル? どうした……体調はもう大丈夫なのか?」
「
「――エレナ、どうだろうか?」
「もちろんです。クリステル様、どうか宜しくお願いいたします」
「承知いたしました」
クリステル様はすれ違いざま、悪戯っぽくウインクすると、そっと私の耳元でささやいた。
「私もあの
クリステル様……。てっきり深窓のご令嬢と思ってたけど、案外、私と似たような人なのかも。
陛下の開会の言葉を合図に音楽が流れ始め、殿下とクリステル様がダンスを始める。さすがに何度も踊ってきた2人だけあり、息もぴったりだった。
やがて静かに音楽が止まると、会場が拍手で包まれた。
「では、西国のヴィルヘルム殿下。我が帝国の令嬢達の中から、今宵のダンスのパートナーをお選びいただけますか? みな、貴方と踊りたがっていることでしょうから」
「そうですか? ……でしたら、エレナ皇太子妃にお願いできますか?」
「ええっ!?」
なんでメリッサ様が驚くのよ!? それに、声量注意!
まぁ、私も意外だったけど。
「ヴィルヘルム殿下。申し訳ないが妻は――」
「この会場で最も優雅で華があるエレナ皇太子妃にぜひお願いしたく。……ご迷惑でしょうか?」
「とんでもありません。私で宜しければ、ぜひ。お願い致します」
「光栄です。ではお手を――」
「ありがとうございます」
何か言いたげな殿下を無視して、西国の皇太子殿下の手を取り立ち上がった。
こうなったら、とことん受けて立ってやる!
私が飾り物の人形みたいに大人しく座ってると思ったら、大間違いなんだから!
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