第40話 クリステルとシャルル

 ――あの日、殿下の立太子3周年の祝宴に参加してから。

 私はずっと、成人を待たずして高位貴族へお披露目されたことの真意について考えを巡らせていた。そして、ある一つの推論に行きついた。

 

 おそらく。

 たぶん……。


 復路かえりみちは思うところがあって、護衛の一人に御者席へ座ってもらい、空いた馬に乗って帰ることにした。


「すみません、馬車酔いしそうなので、馬に乗って帰ります」

「何を言ってるんだ? 皇太子妃をそんな危険にさらすわけにはいかない」

「乗馬服を着た皇太子妃なんていませんよ。それに、本当に皇太子妃を狙うんだったら、真っ先に馬車を狙うはずです」

「殿下。エレナ様のことは私が責任を持って守りますので」


 レオポルドが力強く言ってくれたので、その隙にそそくさと騎乗した。


「レオポルドがいてくれて助かった。ありがとう!」

「どうされたんです? クリステル様は、お優しい方なのでしょう?」

「ちょっとね、現状把握。……祖母がよく言ってたの。『問題を把握するためには現場に足を運びなさい』って。馬車の中からだと確認できないから」

「はあ……」


「この道は綺麗に整備されてるのね。レオポルド、護衛のみんなに聞いておいてほしんだけど――」


 離宮から辺境伯、学園都市などを往復して分かったことだが、帝国には交通網の整備に偏りがある。護衛として国内全域を移動している皆なら、そういった道路事情にも詳しいはずだ。


 帝都へと続く一本道を走りながら、自分が帝国で手掛けることのできる最後の仕事について想いを馳せていた。


 完成を見届けることができないのが残念だけれど、提案さえ議会に通れば、きっと、この国はもっと繁栄するはずだ。そして、殿下の治世も、より安定したものになるだろう。


 整備された交通網には、賢帝の存在が欠かせないことは歴史が物語っているのだから。


 宮殿の表門に着き、これから別の馬車で住まいへと向かうクリステル様とシャルル様に別れの挨拶をした。


「……では、私もこちらで失礼致します。殿下、今日はお招きありがとうございました」

「何処へ行く?」

「寮へ戻ります」

「何を言っている。もう夕暮れだぞ?」

「今から馬を駆れば、夜の帳が降りる前には着きますから」

「今夜は泊っていけ」

「今から部屋を用意してもらうのは、迷惑でしょう?」

「……話があるんだ」


「それなら、今、ここで伺います」

「2人きりで話をしたい。私の部屋に就寝の用意をさせるから、そこで休んでくれ」

「……分かりました」


 宮殿に住んでいた時でさえ足を踏み入れたことのない殿下の私室に、なぜか今になって我が物顔で鎮座している自分が怖い。


 それにしても、レオポルドったら、『じゃあ、5日後に!』ってどういうつもりよ。裏切者!


「はぁぁー。疲れた」

 バタンとベッドの上に身体を横たえる。

 殿下、『話がある』って言ってたけれど――今夜は、もう寝よう。



「……エレナ?」

「っ、殿下!? どうされたんですか?」

「どうしたもなにも、ここは私の部屋なんだが」

「そうですけど。……まさか、殿下もここでお休みに?」

「いけないか?」


「っ、てっきり今夜はクリステル様のお部屋でお休みになるのかと」

「は? どうしてクリステルの部屋で私が寝ないといけないんだ!?」

「え!? だって、クリステル様とは、その、そういう関係――」

「なわけがないだろう?」

「え、えーっ!? そうなんですか?」

「ちょっと待て! いつからそんな勘違いをしていたんだ?」

「いつからって……婚姻契約を結ぶ前から。それに、結婚した日にも女官たちからそう聞かされましたけど……」


「何を聞いた?」

「クリステル様は殿下の大切な女性で、2人の間にはお子さまもいらっしゃると。毎晩のようにお部屋に足を運ばれているから、お飾りの私が抱かれることはないだろうと」

「嘘だろ。はぁ――。何となく、クリステルといる時のエレナの態度が余所余所よそよそしいなとは思っていたんだが、まさかそんなことを吹き込まれているとは」

「違ったんですか?」


「クリステルは、私の兄の恋人だった女性だ。訳あって婚姻はしていなかったが、妻も同然の立場だった」

「殿下、お兄様がいらっしゃったんですか?」

「――ああ。5年前に儚くなったけどな」

「どうして、誰も教えてくれなかったの?」

「王国とは長年敵対関係にあったから、一番に命を狙われる皇子の存在は伏せられていたんだ。婚姻を結ぶ前に、説明済みだと報告を受けていたのを信じたのが迂闊だった。すまなかった」


「じゃあ、シャルル様は?」

「シャルルは私の立太子とともに嫡子にしたが、実際には甥だ。たしかに2人は大事な存在だが、クリステルとの間に男女の情はない」

「そうだったんですか。わたし、てっきり……自分は邪魔者なんだって。存在自体が、迷惑なんじゃないかって、ずっと思ってて――」


 そう言ったとたんに、ポロリポロリと涙がこぼれた。


「どうして最初に聞かなかった?」

「だって、初夜のとき、『皇子様のお母様はどちらに?』って聞いたら、『知る必要はない』って殿下がおっしゃったから。婚姻前の説明でも、そんなふうに聞かされていたし」

「っ、すまなかった。エレナがそんな嘘を吹き込まれているとは知らなかったんだ。許してくれ――」


 正当なお世継ぎであるシャルル様は、誕生してから常に命の危険に晒されてきたという。

 元敵国から輿入れしてきた私に対する警戒心や不信感が払拭されるまでは、私たちの接触を極力避けた方が良いと判断したのだろう。

 今なら、殿下のその判断は、私を護るためだったのだと理解できる。


 殿下は、ようやく泣き止んだ私をソファーに座らせると、見覚えのある小さなリングを差し出した。


「結婚指輪だ。付けておいてほしい」

「……これ、発信機だか盗聴器だかがついてます?」

「ついているわけないだろう!?」

「だったら、どうして今さら?」

「結婚している皇族は夫婦でつけるのがなんだ」

「また慣例それぇ? ――だったら、殿下がはめてください」

「分かった」


 殿下が真剣な手つきで指輪を通してくれるものだから、思わずドキドキしてしまった。


「あれっ?」

「サイズ、直したんだ」

「本当だ……ぴったり! ――――それで殿下。話っていったい、何ですか?」

「あ? ああ、いや。明日でいい」

「そうですか。じゃあ、もう寝ましょうか?」

「……そうだな」


 ――翌朝。

 殿下に誘われて、サンマリア地域にある皇族専用の保養地へ行くことになった。

 今度は正真正銘、2人きりの旅だった。

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