第41話 側妃

 殿下はまず私を海辺のレストランへ連れて行くと、サンマリア名物の「漁師のパスタ」を食べさせてくれた。


「うわ~、すごく美味しい!」

「そうだろう?」

「はいっ!」


 殿下は向かいの席に座ると、私が食べている姿を満足そうに眺めていた。



 日暮れが迫ってきた頃。

 保養地にある建物の庭から直接、目の前のビーチへと降りて、夕陽が海に沈む景色を横並びに座って眺めていた。


 殿下が私に何かを言い出すタイミングをずっと見計らっていることには、気づいていた。

 だから、そっと殿下の足の間に身体をすべり込ませて、後ろから抱きしめられるような形で座り直した。お互いの表情が見えない分、本音で話ができると思ったから。


「……何かあったんですね?」

「あぁ」

「…………私に話をしたかったのは、側妃、のこと?」

「っ、知っていたのか?」

「学園の噂で。……本当だったんですね」

「……許してくれ」


「その方は、殿下のお心を慰めて下さる方なんですか?」

「違う。政略的な縁だ」

「……それでも、お迎えになった後、心が通い合う仲になるといいですね」

「本当に、すまない」

「なーに謝ってるんですか! 皇族ってそういうものでしょう?」

「……」


「大丈夫ですか?」

「ん?」

「辛いのかな、と思って。慕っている女性を迎え入れるのなら喜ばしいことだけど、ただ血縁を繋ぐために婚姻を強いられる立場っていうのは。存外に孤独で、空虚なんじゃないかって」

「っ……」


「出過ぎたことを言って、ごめんなさい」

「いや。……そのとおりだな」

「甘えられていますか?」

「ん?」

「殿下だって、弱気になることもあれば、文句を言いたくなる時だってあるでしょう?そういう時、心を慰めてくださる方は、側にいらっしゃいますか?」

「そうだな」

「それなら、良かったです」

「……」


「『いない』っておっしゃったら、今夜は特別サービスしちゃおうかなぁと思ったんだけど、その必要はなさそうですね」

「なっ!?」


 わざと明るくそう茶化すと、夕陽が沈んで行く様を、ずっと2人で眺めた。

 オレンジ色の光が水平線の向こう側へ消えたとき、声には出さないで「さようなら」とつぶやいた。


 うまく表現できないけれど、私の知っている殿下も、私の知っている私も、次の瞬間にはもう存在しないような気がした。

 側妃を迎えるということは、そのくらいの――私の中の一部をもぎとっていくくらいの、痛みをもたらした。


「お飾りの妻」なんて自分で言っておきながら、全然、覚悟、できてないじゃない……。



 結局、サンマリアの保養地には、4日間、滞在することになった。

 その間、私達はずっと、側妃の話などまるでなかったかのように、仲の良い友人同士のようにして過ごした。


 朝市を冷やかしたり、海辺のビーチで日向ぼっこをしたり。かと思ったら、2人してうっかり寝てしまっていたり。

 港町を端から端まで歩いてみたり。

 そうして夜は、くっつくようにして一緒に眠った。


 ブイヤベースも、魚介のパエリアも、新鮮な生のお魚も。海の幸のほとんどを堪能した頃、殿下がポツリと言った。


「そろそろ、海の幸にも飽きたな」と。


 サンマリアの保養地は、海と山とに囲まれている土地にある。だから、今日の夕食は得意の山菜料理を振舞おうと思い、食材調達のために裏山へと入って行った。


 満足できる量の山菜が採れたところで、良い感じに日向ぼっこができる場所を見つけ、しばらく木の幹に背を預けて瞳を閉じていたら、知らないうちに眠りに落ちた。


 途中で小雨が降ってきた気配を感じたけれど、土が濡れる匂いに懐かしさを感じ、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。やがて叩きつけるような雨が肌を打ち、眠ってしまったのだと気づいた。目覚めなければと思うのだけれど、水分を含んだ洋服がやけに重く感じられ、体温を奪われた身体は思うように動かなくて、再び瞼を閉じた。



「……ナ?」

「……レナ?」

「ヘレナ?」


 懐かしい夢を見た。人攫いに会ったときの夢だ。


「将軍、この少女は?」

「サーフォーク公爵の一人娘だ。孤児院にいたところを賊に攫われたらしい。奴隷商に売られる直前だった」

「っ、この子を人質にするつもりですか?」

「偶然とはいえ、帝国にとってこれほど好条件で停戦に持ち込める材料はない」

「私は反対です! この子は、家に帰してあげるべきだ。それに怪我の手当も――」


『将軍』と呼ばれている人のすぐそばに、『大佐』と呼ばれている年若い青年がいて、必死に私を守り、家族の元へ返そうとしてくれていた。


「……んっ」

「気が付いたか? 可哀そうに。ちゃんと家に帰してあげるからな。それまで頑張るんだぞ?」

「……私、死ぬの?」

「心配いらない。必ず家に戻してやるから」

「……私、独りぼっちなの」

「お母さんがいるだろう?」

「私を置いて、お嫁に行っちゃった。うっ……ぐすっ。お父さんに、会いたいの」

「ヘレナのことは、俺が守ってやる。平安な世になったら、必ず迎えに行くから」

「ほんとう?」

「ああ、本当だ。待っててくれ」

「約束だよ?」

「ああ。約束だ」



「――ヘレナ?」


 あぁ。なんだか懐かしいな。

 私の名前――ヘレナ。帝国に来てからは「エレナ」になってしまったけれど。

 優しくおでこをさすってくれる、剣だこのある手。


 どうして今まで忘れていたんだろう。

 あの年若い青年のことを。

 あんなにも、必死に私を守り、家へ戻そうとしてくれていた人の存在を。


 ふわりと意識が上昇し、ふるふると瞼を振るわせながら瞳を開けると、誰かの身体に上半身を委ねるようにして質素な小屋の床に横たわっていた。


「……気が付いたか?」

「殿下? 私――」

「森の中で気を失ってたんだ。とりあえず、近くの小屋まで運んだ」

「すみません……」

「このままじゃ風邪をひく。服を脱がすぞ? いいか?」


 こくりと頷く。


 感覚をなくした手では、ボタンすらうまく外すことができない。

 殿下は手早く私の服を脱がすと、毛布ですっぽりと冷えた体を覆ってくれた。


「殿下は?」

「心配いらない」

「ダメ。殿下がいてくれないと、困る人たちがいる」

「ふっ。こんなでも、皇太子だからな」

「守るべき人たちがいるでしょ?」

「守るべき人、か……」

「殿下も一緒にくるまろう?」


 殿下は観念したのか、服を脱いで私の衣服と同じようにロープに干すと、後ろから私を抱きしめるような形で座り、2人で一枚の毛布を分け合った。

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