第38話 嫉妬

 殿下が真顔になって腕を上げたものだから、頬を打たれるのだと思って反射的に瞳を閉じた。


 けれど、次の瞬間――殿下が私を強く抱き寄せて、もう一度、低く静かに響く声で「何があった?」と聞いてきた。



「…………嫉妬、しちゃうの。クリステル様に」


 ああ、言っちゃった。これは――絶対、引かれたな。


 でも、殿下と夫婦でいられるのも卒業までの半年なんだと思ったら、恥も外聞もかなぐり捨てて、言いたいことを伝えようと思った。


「殿下のこと、アルフォンスって呼び捨てにするし。

 1年前のバーベキューだって、私にだけお肉を取ってくれなかったし。

 今日だって、自分の瞳の色をしたドレスを贈ってるし。

 私とは一曲踊っただけで、すぐにどっか行っちゃったのに、戻ってくるとクリステル様の手を――っ」


 そこまで吐露したところで、殿下に唇を塞がれた。

 今までで一番長くて、深い、口づけだった。


 その後、酸欠になりかけた私をようやく腕の中から解放すると、ぽつりぽつりと語り始めた。


「バーベキューの時は、エレナにも取ってやるつもりだった。ただその前に、火傷をしただろう?」

「私だって、食べたかった」

「王国ではよく火を通した肉しか食べないだろう? 帝国人はレアを好むから、先にシャルル達に取り分けたんだ」


「それから、今夜のドレスだが――」

 私に瑠璃色のドレスを贈るつもりで補佐官へ「このドレスはへ贈るように」とだけ言ったらしい。誤って解釈した補佐官が、クリステル様の元へと届けたとのことだった。


 女官長ダフネが『何かの間違いだ』と抗議したそうだが、すでにクリステル様の身長に合わせてお直しが進められていた。

 宮殿にもいないお飾りの妻のことなど、だれも皇太子妃だなんて思っていないということを改めて思い知らされた出来事だった。


「途中で席を外したのは――後で説明する」


 そこまで話すと殿下に手を引かれ、控室へと連れて行かれた。


「これに着替えてくれ。それから――もう、ウィッグは付けなくていい。そのままのエレナでいいから」


 殿下はそれだけ言うと、女官長ダフネに私を預けて出て行った。


 それから30分後――私は再び会場へと戻っていた。



「――続きまして、教育大臣から、今年の文化功労者を発表いたします」

「王国と帝国との国際交流事業に多大な貢献をされた、『フォンスロット奨学基金』の創立者、H女史です」

「えっ!?」


 うそ。どうして?


「実は『フォンスロット奨学基金』の創設者は表舞台に立たないことで有名なのですが、今回、なんと皇太子殿下自らその御方をご紹介してくださることになりました。では殿下、お願い致します」


 アルフォンス殿下は、衝撃で固まっている私の手を取ると、

「さあ、いくぞエレナ。いや、H女史だったか?」

「殿下……知ってたの?」

「夫だからな。妻のことなら、大抵は把握しているつもりだ。さあ、いこう?」


 こくりと頷いて、殿下の手を取った。

 壇上に登ると、皆が驚きで瞳を見開きながら一斉に自分に視線を注いでいるのが分かった。


 一つは、私の皇太子妃らしからぬ髪型のせいだろう。

 そしてもう一つは、おそらくこの衣装のせい。


 公式な場では、正妻にしか身にまとうことが許されない高貴な紫色の、広がりを抑えた大人っぽいドレスには、ショートボブの髪の毛がよく似合った。さらに、サイドの髪に飾られた白百合が、若者特有の瑞々しさを際立たせてくれた。


 殿下は、H女史が私だということに最近気づいたというようなことを話しているけれど、緊張のせいで、スピーチの内容がうまく頭に入ってこない。


「それでは、続きましてH女史あらため皇太子妃殿下からお言葉を賜りたいと思います」


 殿下が、大丈夫だ、というように腰に手を当ててくれる。

 ふぅーっと大きく深呼吸すると、ゆっくりと会場を見渡した。


 ――招待客お一人おひとりにお届けするような気持ちで。言葉はゆっくりと、聞き取りやすい声で。

 皇太子妃教育の中で女官長ダフネに教えられた内容を心の中で反芻しながら、丁寧に言葉を紡いだ。


「この財団は、王国と帝国の和平に日々ご尽力いただいている、私が心から尊敬する王国のランスロット王太子と、アルフォンス皇太子のお名前を拝借して名づけました。――この度の栄誉は、ランスロット王太子と夫のアルフォンスに捧げたいと思います」


 スピーチを終えると、割れるような拍手喝采がホールに鳴り響いた。


 会場の中にランスロットとヴィクトリア様の姿を見つけて、目が合うと、「ありがとう」と王国語でつぶやいた。

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