第37話 主役級のクリステル様
年末には、アルフォンス殿下の立太子3周年を祝う祝宴が開かれるため、私も久しぶりに宮殿に滞在することになった。
成人皇族の仲間入りを前に、初めて皇太子妃として高位貴族へお披露目されることになった私は、殿下と共に式次第の説明を受け、当日の流れを頭に入れていく。
ファーストダンスを殿下と踊り、その後は招待客と一言ずつ言葉を交わしていく。そして最後に今年の各界の功労者を称える顕彰式へと進む。
――そうして迎えた当日。
「……そのティアラは」
「高祖母のものです」
「借りたのか?」
「はい。まだ未成年ですし、帝国民の税金で新に作るのは気が引けたので」
身に着ける機会も数える程しかないだろうと思い、帝国の皇族だった高祖母が成人した際に作ったティアラを貸してもらうことにしたのだ。
「はぁ――」
「どうかされました?」
「古いデザインだし、今の時代には地味だろう?」
「見劣りする妻で申し訳ございませんね」
「そんなこと、言っていないだろう?」
「ですね。殿下の正装があまりにも素敵だったので。つい卑屈になっちゃいました」
「……どうしてそのドレスにしたんだ?」
「え?」
「濃紺のドレスがあっただろう?」
「それはクリステル様にお贈りしたんじゃないですか? よくお似合いです」
殿下がハッとしたように会場の向こう側に目をやると、瑠璃色のドレスを華麗に着こなしたクリステル様がいた。
クリステル様が普段から離宮に友人を招いているのか私は知らないが、彼女は何人ものご婦人や令嬢に囲まれていた。
――彼女はきっと、周囲の人たちが思わず「
クリステル様には数えるほどしかお会いしたことはないが、正直、私は彼女に良い印象を抱けないでいる。
それが、殿下の庇護と寵愛を一身に受けている彼女に対する嫉妬なのか、それとも、彼女の醸し出す儚げな雰囲気が自分を捨てた実の母親と重なって見えるからなのか、よく分からなかった。
私が着ている今日の衣装も、殿下が思っていたものとは違ったようだけれど、私には勿体ないほど素敵なもので、全て宮殿で用意してくれた。
精巧で華やかなビーディングレースの身頃も。
グラデーションに重ねた美しいチュールスカートも。
宝石も。
全てが私の瞳と同じグリーン系でまとめられている。
一方でクリステル様は、殿下の瞳の色をした圧倒的な美しさを誇るドレスに、夜空に差し込む光を連想させるような煌びやかな宝石を身にまとっている。誰の目から見ても、クリステル様の方が皇太子妃然としている。
ま、いいけど。
あと半年もすれば首をすげ替えられる妻なのだから、お金をかけるだけ無駄だと思うのは理解できる。
「とはいえ、王国との和平が確実なものであると見せるために、人質の私が皇太子妃としてそれなりにきちんと扱われていることを外部に示す必要があったんでしょうね」
王国側の招待客を目に映しながらそんなふうに一人卑屈な思いを抱えていると、オーギュスト様からダンスに誘われた。
「エレナ。良かったら一曲、踊ってくれませんか?」
「オーギュスト様! 喜んで」
「皇太子妃としてのエレナのスピーチ、素晴らしかったよ。帝国語の敬語遣いは、もう完璧だね」
「ありがとうございます」
「みながエレナのことを賞賛していたよ。ほら、今だって会場中の殿方がダンスに誘いたがっている」
「そんなの、気のせいですよ」
何とはなしに会場を見渡すと、殿下がクリステル様の手を取り踊っていた。
会場中の視線は、どう見ても私じゃなくて、殿下とクリステル様に注がれている。
――惨め。
馬鹿みたい。
どれだけ国民感情に配慮しようと、陰ながら節約しようと、和平のための地道な活動をしようと。
みんな結局は、美しく着飾った女性の方を賞賛するのだ。
殿下のバカ! どうして今さら、私のお披露目なんてするのよ?
あと半年もしたら、離縁される妻なのに。
王国へのアピールなら、他にもやりようがあるでしょう?
私のプライドも、乙女心も、見事に砕け散った。
こういう日は、表舞台に立たないに限る。恥を晒す前に退散しよう。
そう思っていたのに――
「ヘレナ、久しいな」
「ランスロット?」
「ヘレナ様。ご無沙汰しております」
「ヴィクトリア様……」
3か月前に第一子となる王女を出産したヴィクトリア様は、以前よりも少しだけふっくらとして、幸せそうに輝いていた。
「ヘレナ様。本日の衣装、とても素敵ですわ。でも、少々、手を加えさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「え?」
ヴィクトリア様はそう言うと、持っていた白百合の生花を慎重な手つきで私のウィッグに挿してくれた。
「――やっぱり。ナチュラルな雰囲気が魅力のヘレナ様には、凝ったジュエリーよりこういう自然の生花が合うと思ったんです」
「ほんとだな。ヘレナ、一気に華やかさが増したぞ?」
「2人とも……ありがとう」
「なんだよ、泣くと化粧が崩れるぞ?」
「だったら、ランスロットが代わりに泣いてよ」
「俺じゃなくて、アルフォンス殿下に頼め」
「殿下はそういうの、できないもん」
「でも、涙を止めてはくれるんだろう?」
「え?」
「アン夫人の一周忌の夜、いろいろ話をしたんだ。ほら、噂をすれば何とやら。というわけで、俺たちはここで失礼するよ」
「――エレナ?」
「……殿下」
「エレナ! ここにいたのか。主役が会場にいないでどうする?」
「私がいなくても、主役級のクリステル様がいるから、大丈夫でしょう?」
「どういう意味だ? 今夜はエレナのお披露目のために皆集まってくれているんだぞ?」
「御礼の言葉も、殿下とのファーストダンスも、必要な方への挨拶周りも済ませました。これ以上、私があの会場にいる意味はありますか?」
「なっ……」
「王国へのアピールならご心配なく。私がお飾りの妻であることは、あちらも承知しています。ですから――今夜はもう、失礼させてください」
「……何があった?」
「何も」
「そんな顔をして、何もないわけがないだろう?」
「何かあったとして――殿下には関係ないでしょう?」
「なっ」
「『心配いらない』――殿下の口ぐせ。その意味が今、分かりました」
「は? 何を言って――」
「お前に心配されたくない、ってことだったんですね」
「どういう意味――」
「心配いりませんから」
「するに決まっているだろう?」
「正妻のお披露目会で他の女性を侍らせてる殿下なんかに、心配されたくないって言ってるんです!」
「なっ!?」
「だいたい、どうしてわざわざお披露目なんてするんですか! あと半年しないうちにお役御免になる妻に、良い想い出でも作ってやりたかった?
殿下が真顔になって腕を上げたものだから、頬を打たれるのだと思って反射的に瞳を閉じた。
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