第34話 見送る側の立場

 翌日の早朝。

 下腹部に、ツツッとした感触が走り飛び起きた。

 いつもは下腹部痛があった2日後に月のものが始まるのに。タイミングが悪すぎる。


 音を立てないようにすばやく手荷物をまとめると、部屋を出た。

 シーツを汚してしまったかもしれないが、寝ている殿下を起こすのが忍びなくて、そっと寮へ戻ることにした。


 明日にはクリステル様たちが到着する。

 優秀な使用人たちのことだ。

 今日一日あれば、私の痕跡などまったく残らないように掃除してくれるだろう。


 帝国では、年末年始も夏休みも家族で過ごすものらしい。

 そういう家族を、私もいつか持ちたいと思う。


 けれど、夫を他の女性と共有できるほど私は懐が深くない。

 それどころか――今回のことで身に染みて分かったが、嫉妬心は海のように深い。


 厄介な性格だなぁ。こういうところも、皇太子妃なんてものには全く向いていない。


 学園都市へと戻る道中は、皇族がお忍びで町へ行くときに利用する敢えて質素な外観をした馬車を使わせてもらうことにした。

 辺境伯領から学園都市までは半日程で着く距離だけれど、月のものが本格的に始まり、たびたび休憩をとってもらっているせいで、いつもより長くかかりそうだ。


 町娘の恰好をして、中間地点の町でお茶をしていたら、誰かが正面にドカッと腰を下ろした。


「っ!?」

「挨拶もなしに去るとは、冷たいんじゃないか?」

「……殿下!? んぐっ」


 殿下に思いっきり口を手でふさがれた。


「『殿下』なんて言うな!何のために変装していると思ってるんだ?」

「……どうしてここに?」

「あ? 逃げた小鳥を探しに来たんだよ」

「私を追ってきたんですか? 何のために?」

「エレナが心配だったからに決まっているだろう?」

「そんなの……信じられない」


「今朝起きたら、シーツに血がついていた。エレナの姿が見当たらないから使用人に聞いたら、今朝早くに出ていったと言うじゃないか。心配しないわけがないだろう?」

「月のものが始まったんです」

「体調は大丈夫なのか?」

「毎月のことですから」


「その身体で馬車の旅は辛いだろう?」

「ご心配には及びません。早く戻らないと、明日にはシャルル様たちが到着されるんでしょう?」

「保養地には戻らない」

「どうして?」

「エレナといるから」

「意味が分からない」


「夏休みは家族と過ごすものだから」

「家族ごっこなら、他所よそでしてください! 愛情もない、抱く気にもならない、講和条約を締結するために期間限定で迎え入れた妻と、外面だけ装って一緒にいたって、虚しいだけでしょ?」

「エレナ!?」

「もう、私に、構わないでっ!」


 バンッと勢いよく立ち上がると、人込みに紛れるように走った。これ以上もう走れないということろまできて、ようやく立ち止まった。

 振り返ると、殿下の姿は見えなくなっていた。


 別に、追いかけてきてくれるのを期待していたわけじゃないけど……。


 感情的な女は嫌いだ。

 人前で涙を見せる女も。

 こういう女がいるから、女は男に馬鹿にされる。

 そう思っていたのに――自分も同じじゃないか。


 結局、殿下が私を探し回って見つけてくれて、抱き合って愛を確認し合う――なんて夢物語みたいなことは起こらず、その町で一泊することにして、翌日、改めて学園都市に向かうことにした。


 ようやく寮に着くと、なぜか不満顔の殿下に迎えられた。


「遅かったな」

「……昨日はあの町に泊まったので」

「知っている」

「え!?」

「隣の部屋に泊まっていたからな」

「はぁ?」


「――荷物はこれだけか?」

 そう言うと、当たり前のように殿下は女子寮にある私の部屋へと向かった。


 もうどうしてここへ来たのかと尋ねる気力もわかなかった。

 それに――クリステル様よりも自分を優先してくれたということが、たとえそれが同情心からだったとしても、嬉しかった。


 夏休み期間中、寮や学校の食堂は閉まっている。

 あまり食欲がないと言う私に、殿下は器用にナイフを使って果物をカットすると、簡単な夕食を用意してくれた。


 何だかんだ言って、殿下は面倒見が良い。今夜はそれを、独り占めできるのだと思ったら、急に甘えたくなってしまった。


 そして夜。

 誰もいない大浴場で湯浴みをして寝室に入ると、すでに殿下はベッドに入っていた。仕事を持ち込んでいるのか、書類に目を通している。

 普段一人で使っているベッドに殿下がいると、それだけでベッドが小さく見えてしまう。


「大浴場に行ってたのか? 広いからって、潜ったりしてないだろうな?」

「そんなことするわけ、ないでしょう!?」

「当たり前だ。皇太子妃がそんなことをしていたら、それこそ精神状態を疑われる」

「うぐっ」


「……灯りが眩しいか?」

「平気です。おやすみなさい」

「おやすみ」


 けれど、殿下の気配が身近にするせいか、全然寝付けなかった。

 それから殿下が寝支度をして、燭台の火を消した。


「……殿下?」

「どうした、寝てなかったのか?」

「学園都市って、学生がいないとゴーストタウンみたいでしょう?」

「なんだ? 怖いのか?」

「違いますよ! 明かりがない分、星が綺麗に見えるんです」

「……星?」


 殿下を併設されているベランダへと案内する。


「夜空がすごく綺麗に見えるんです」

「……本当だな」

 殿下はそう言うと、私を後ろから抱きしめてすっぽりと包んでくれた。


 普段なら悪態をつきそうなところだけれど、不思議と心地が良くて、感じたことのない大きな安心感に身を委ねてみることにした。


 男の人にまもられるって、こういうことなのかな……。


 暫く星を眺めてからベッドに入ると、「お腹が痛いから温めてほしい」とお願いをして、同じように殿下に後ろから抱きしめてもらいながら眠りについた。



 結局殿下は、休みの間、ずっと学園の寮にいて、多くの時間を一緒に過ごした。

 朝から難しそうな顔をして書類と睨めっこしている殿下の向かいに座り、政策についてアドバイスを求められれば率直に答え、そうでなければ留学生の受入準備や、生徒会の事務作業などを行った。


 お腹が空くと、2人で近くの市場まで食料を買いに行って調理をしたり、時には外食をしたりして、まるで仲の良い友人同士フラットメイトのようにして過ごした。


 そして別れの朝――


「12月に立太子3周年の祝宴を挙げるんだ。エレナも参加してくれるか?」

「え?」

「高位貴族へエレナを皇太子妃としてお披露目する」

「えっ、でも……」

「ふっ。心配するな。エレナは堂々と隣にいてくれたらいい。ダンスだけは、練習しておいてくれるか? おそらく、初めに踊ることになるだろうから」

「……分かりました」

「じゃあな。また学園の様子を報せてくれ」


 そう言って儀礼的な口付けをおでこに落とすと、去って行った。


 自分が見送る立場になってはじめて、誰かを見送るということは、自分が去るときよりも寂しさを感じるものなんだなということに気が付いた。

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