第32話 色気

 そして私は今、殿下と2人、馬車に揺られている。


「寄っていくか? 保養地」

「どちらでも」

「今なら貸し切りだぞ?」

「いつもそうじゃないですか」

「2人きりだ」

「……だから?」

「人目を気にせず、思いっきり泣いていい」

「……」

「慰めてほしいなら、慰めるし」

「――慰めてほしい」


「やけに素直だな。で、いったいどうした?」

「失恋」

「は?」

「……」

「相手は叔父上か?」


 こくりと頷く。


「再婚の件、ハッキリと断られました」

「っ……」

「あ――ぁ。やっぱりなぁ、以前にも軽く振られてはいたんですけど。ハッキリ振られると、それはそれでキツイですね。って、こんな話をでんかにしている自分が怖いです」


「……叔父上のどこが良いんだ? オジサンだろう?」

「昔の、命の恩人だから。あと、宮殿にいたころ、護衛のみんな以外で私のお弁当を食べてくれた唯一の人だった」

「……俺だって食べただろう?」

「そうでしたっけ?」

「覚えてないのか?」

「殿下の優しさは、気付きづらいから」

「……今日はさ、叔父上の悪口を言って盛り上がらないか?」



「――ほら、飲め! アルコールを飛ばした卵酒だったら、問題ないだろう?」

「……いただきます」

「なあ、さっきも聞いたが、叔父上のどこが良かったんだ?」

「かっこいいし。さりげなく優しいし。エスコートとかスマートだし。物知りで賢いし。それに筋肉もすごいし」


「俺にも全て当てはまりそうだけどな」

「はぁ?」

「何だよ」


「それに、奥様を亡くされた後もすぐに後妻とか娶らずに、子育てと領地経営に邁進されていて」

「そうか?恋人がいるって話、何度か聞いたことあるぞ? しかも、毎回違う女性だったような」

「うそっ!?」

「嘘ついてどうする? 叔父上だってまだ30代半ばなんだ。恋人の1人や2人いても不思議じゃない」

「……なんだかショック」


「まぁ、叔父上は女性に人気だからな」

「人って見かけによらないんですね」

「エレナの前では紳士でいたかったんだろうな。あのスケベ親父」

「というよりは、まったく女性として見られてなかっただけな気がしますけど」

「そうか? 結構、ほだされかけてたぞ?」


「慰めなら結構です。どうせ私は、色気がないもの」

「なんだよ、さっきは『慰めてほしい』って言ったくせに。だいたい、色気なんて男と肌を重ねていけば自然と出てくるものだろう? 要は経験値だよ」

「今のままだと私、年だけ重ねて一生色気とは無縁な気がする……」

「手伝ってやろうか?」

「むっ。結構です!」

「冗談だ。本気にするな」


 冗談なんだ……。妻なのに、夫から正面切って「抱かない」と言われる私って一体……。


「そういえば、クリステル様たちはいらっしゃらないんですか?」

「明後日、こちらへ着く予定だと聞いている」


 なんだ。やっぱり夏休みも家族3人で過ごすんだ。


「――でしたら、今夜だけこちらにお世話になってもいいですか?」

「ああ、問題ないが――」


『問題ない』かぁ。「もちろんだ」とか、「今夜は一緒に過ごそう」とか「嬉しいな」とかじゃなくて、『問題ない』かぁ。


 私、全っ然、歓迎されてないんだな。



「ほら、ここが今夜の部屋だ」

「え? わー、すごーい! 露天風呂がついてるお部屋なんて、初めてです!」

「嬉しそうだな」

「だって、すごいです」

「……早速、入るか?」

「はい!」


「あの、どうして殿下もいるんですか?」

「『どうして』と言われても、ここは俺の部屋なんだが――」

「は? 部屋ならたくさんあるでしょう?」

「俺はいつも、この部屋なんだ! それに、夫婦なんだから、同室で当然だろう? むしろ、別々のほうが怪しまれる」

「何を?」

「俺たちの関係をだ!」

「今さらでしょう?」

「……」


「もしかして、こちらの使用人は私たちが契約婚だってこと、ご存知ないんですか?」

「わざわざ伝えたりはしないからな」

「……だったら仕方ないですね」

「なんだか偉そうだな」


「はぁ――」

 オーギュスト様とフォスティーヌ様と私達、どうしてこうも違うんだろ。


「……まだ落ち込んでるのか?」

「殿下には、一生理解できないでしょうね」

「なんだ、人が心配しているのに」

「もとはと言えば、全部、殿下が悪いんですからねっ!?」


 望む男のところへ嫁がせてやるなんて言い出した殿下が悪い!

 釈然としない表情の殿下に背を向け、先にお風呂をいただくことにした。


 すでに日が陰っていて、木々が風に揺られてざわめいている。

 私は、晴天よりも曇りや雨の日の方が好きだ。

 心の中に抱えている傷や葛藤や醜い感情を、すべて覆い隠してくれる気がするから。

 安心できる場所から出ていかないですむ理由を、与えてくれるから。


 前髪をアップしてお風呂からあがると、ガウンだけを羽織って部屋に戻った。


「……新鮮だな」

「え?」

「前髪のない姿は初めて見た」


 ハッと息を呑み、すぐに前髪をガシャガシャとしておでこを隠した。


「隠すなよ」

 殿下が近づいてきて、前髪を持ち上げる。


「やっ!」

「っ……」

 今度は殿下が息を呑んだのが分かった。


「っ、傷があるから、見られたくない」

「……残ったんだな」

 殿下はそう言って、傷跡をツっと中指と薬指の腹でなぞった。


 どうしてそんな悲しそうな顔をするんだろうと思っていたら、不意に抱きしめられた。


「っ、殿下?」

「……すまない。許してくれ」

「え?」

「傷つけてばかりだな」

「――自覚はあるんですね?」

「あぁ」

「たいがいのことは、許してるつもりですよ? ほら、私、鷹揚だから」

「ふっ……だな」

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