第29話 誤解と氷解ー1

 その日私は、サーフォーク公爵家の墓地に来ていた。

 祖母を亡くしてから今日で丸1年が経つ。


 すでに誰かが来てくれたようで、生前祖母が好きだった花がいくつも手向けられていた。

 湧き泉で汲んできた水に布を浸し、墓石を綺麗に磨いていく。

 掃除のため手向けられた花束を手に取った時、そのうちの一つが美しい刺繍の施されたリボンで束ねられていることに気が付いた。


「……ランスロット、来てくれたんだ」


 その不器用に結ばれたリボンには、王国王室の紋章が施されていた。

 それから、祖母が生前好きだった杏子あんずと山菜を添え、墓石の前で膝を抱えるようにして座った。


「お祖母様。お元気ですか? そちらの世界では、お父様とも会えましたか?」


 目を閉じて祖母と心の中で会話をしていると、後ろで草を踏む音が聞こえて振り向いた。


「――――陛下!?」


 婚姻式の日以来、一度も顔を合わせたことのない義理の父が、そこに立っていた。


「祈らせてもらえるか?」

「……もちろんです」

「サーフォーク公にも」

「……はい」


 私は5歩ほど横にずれると、祖母と父の墓石の正面を陛下に譲った。

 陛下はおもむろに膝をつくと、長い間、2人に祈りを捧げてくれた。


 その光景を見ていると、胸が締め付けられるように痛んで、涙が零れないよう精いっぱい奥歯を噛みしめた。


「恨んでいるだろうな。エレナの父親を、アン夫人の息子を亡き者にしたのだから」

「……祖母は誰も、恨んでいませんでした。ただ、時代が悪かったのだと」

「……」

「……陛下だったのですね?」

「?」

「祖母に帝国から新薬を送ってくださっていたのは」


 以前、皇太子妃の執務室で見かけたメモの筆跡と、祖母の部屋の引き出しから見つかった手紙の送り主のそれとが、そっくりだったのだ。


「せめてもの、罪滅ぼしだ」

「お礼をお伝えするのが遅くなりましたが――ありがとうございました」


 ずっと言いたかった気持ちをようやく本人へ伝えられたというのに、陛下の顔を見ていると我慢していた涙が溢れてきそうになり、慌てて顔を伏せた。


「――それは、アルフォンスからか?」

「っ!!」


 唐突に陛下から指摘されてはじめて、今日、アルフォンス殿下から贈られた紫色のストールを顔周りに巻いていたことに気がついた。帝国では恐れ多くて身につけられないけれど、王国でなら大丈夫だろうと思って、ありがたく使わせてもらうことにしたのだ。


 慌てて外そうとする私を、陛下が手で制した。


「どうして外す? 使ってやってくれ」


 陛下へは、お茶を召し上がっていってほしいと声をかけたが、今日中に帝国へ戻らなければならない用事があるとのことで、丁重に断られた。


 陛下を見送り、1年ぶりに領地の屋敷へ戻ると、変わらずそこで働いてくれている使用人たちが仕事の手を止めて集まってくれた。


「へレナお嬢様が戻っていらっしゃると聞いて、料理長なんて3日も前から準備をしていたんですよ? 今夜はとっておきのお料理をご用意いたしますね」

「まあ、ありがとう!とっても楽しみだわ」


「――久しぶりだな、ヘレナ。元気だったか?」

「っ、ランスロット!? ……殿下」

「やめてくれよ。ヘレナだって皇太子妃なんだ。これまでどおり、名前で呼び合おう?」

「……ん、そうだね」


「おい、ヘレナ!! どうしたんだよ、その髪――」

「……切ったの。さっぱりして良い感じでしょう?」

「髪は女の命だろう? そんな少年みたいなヘアスタイルをしてたら、アルフォンス殿下の寵愛を失うぞ?」

「っ」

「なんだよ、図星か?」

「……」


「冗談だよ……たしかに珍しい髪型だけど、ヘレナにはよく似合ってるじゃないか」

「そういうランスロットはどうなのよ? ヴィクトリア様との新婚生活、楽しい?」

「ああ。――実はさ、秋に子どもが産まれる予定なんだ」

「まぁ!そうなの? おめでとう」

「ありがとう」

「――幸せなんだね」


「ヘレナはどうなんだよ? ヘレナが子を産んだら、肝っ玉母ちゃんになるんだろうな。アン夫人の再来だ」

「……」

「どうした?」

「……別に」

「皇太子とうまくいってないのか?」


「私たちの婚姻に、愛とかそういうのは、初めから期待されていないから」

「愛はなくとも、大事にはされているんだろう?」

「……子は期待されていないの」

「どういうことだ?」

「そういう契約なの。でも、帝国での生活は楽しいわよ? 今なんて学園にも通って――」


「……アルフォンス殿下と話をしてくる」

「何を?」

「ヘレナのことを馬鹿にするなって言ってくる」

「何言ってるの、そもそも、殿下が王国ここにいるわけないじゃない。もう、しっかりしてよ。父親になるんでしょう?」


「元婚約者をコケにされて黙ってるわけにはいかない」

「その元婚約者を裏切った男が言うことかしらね?」

「それはっ……王家のしたことは悪かったと思ってる。だが、ヘレナを傷つけるやつは許さない」

「どの口がそれを言うのよ」


「ヘレナは、俺がヴィクトリアを慕ってると知っても傷つかなかっただろう? むしろ、数年後に側妃に迎える計画を立ててくれていたと――最近になって宰相から聞いた」

「それは……ランスロットの気持ちは知っていたし。私たちは、たしかに仲は良かったけれど、男女の情みたいなのとは、違ったから」


「だから余計に頭に来るんだよ! 皇太子のやつ、俺の大事な幼馴染を傷つけやがって!」

「え?」

「今のヘレナ、傷ついた顔をしてる。……自分で気づいてないのか?」

「そんなことあるはずが――(ない)」


 だって私は、オーギュスト様のことが好きなんだもの。


「とにかく、帝国が嫌になったらいつでも王国に戻ってこい! 側妃として迎えてやる」

「それは死んでもお断り」

「ふっ。だよなー」

「……うん」

「大丈夫か?」

「うん。――ランスロット、今夜はここで夕食を食べて行ける?」

「はじめからそのつもりだよ。ヘレナの家ここの料理長、王宮のシェフ並みの腕前だからな」

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