第28話 紫色のストール
「ここが女子寮です。送ってくださって、ありがとうございました」
「ここまで来たんだ。部屋まで送ろう」
「ダメですよ」
「どうして?」
「女子寮は基本的に男子禁制なんです!」
「大丈夫だ」
「いえいえいえ、規則ですから。大丈夫とか大丈夫じゃないとかいう問題じゃないでしょう!?」
「いいから。――ご苦労!」
殿下がお腹に響く低い声で警護室へ声をかけると、ピシッと背筋を伸ばした護衛から敬礼を返された。
え? 通しちゃっていいの? 殿下ってば、顔パス? 美男だから?
それになに、あの敬礼。ここの護衛があんなことするの、初めて見たんだけど。
レオポルドにだって、したことないのに……。
「どうぞ」
「ここで暮らしているのか?」
「そうです」
「――喉が渇いたな」
殿下は部屋の中を見回すと、ドカッとソファーに腰を下ろし、足を組んだ姿勢でそう言った。
ここ、カフェじゃないんですけど!?
「粗茶でございますが」
と言って来客用のお茶を差し出すと、
「悪いな」
と言いつつ美味しそうに喉を潤す。
いきなりやって来たと思ったら、人の部屋で思いっきり寛いでくれちゃって。本当に『悪い』なんて思ってるのかしら?
「腹が減ったな。急に訪ねてきたお詫びに、夕飯でもご馳走させてくれ」
「だったら……何か作りましょうか? もうこんな時間だし。今から出かけるのも億劫でしょう?」
「いいのか?」
「野菜パスタくらいしかできませんけど」
「十分だ」
前から思ってたけど、殿下って、私に対しては遠慮がないわよね。
「お待たせしました。お口に合えばいいんですが――」
「ありがとう……美味いな」
「具が野菜だけだから、味気ないでしょう?」
「いや。個人的には、このくらいシンプルな味付けの方が好ましい」
「本当?」
「嘘などつかない」
「――サンマリア地域にも、皇族専用の保養地があるんだ」
「サンマリアって、南の海に面しているところ?」
「そう。魚介類の水揚量が多いから、パスタの種類も豊富なんだ」
「へー、じゃあ、もしかして、新鮮な魚介のパスタとかも食べられる?」
「ああ。美味いぞ?」
「本当? わー、すごいなぁ。きっと、美味しいんでしょうね」
「食べたことないのか?」
「ないです。公爵領は森に囲まれている土地だから」
「茸料理が得意なのは、そのせいか」
「そうかも。でも、魚介のパスタだなんて、想像しただけでもよだれが出ちゃう!」
「くくくっ。じゃあ今度、連れて行ってやる」
「え?」
「ん?」
「いえ。――楽しみにしています」
「ああ」
『今度』なんて日はやってこないんだろうけど。
でも、こんなふうに殿下と言葉を交わすのって、本当に久しぶりだな。
その日の別れ際、殿下から可愛らしいリボンのついた細長い包装箱を手渡された。
「?」
「どうせ豪華な贈り物は受取ってくれないんだろう? これくらいは受け取ってほしい」
「……ありがとうございます」
「それから――」
「はい」
「私達の今後だが、何が起きたとしてもエレナが学園を卒業するまで離縁はしない。学生生活は貴重だ。楽しんでほしい」
「いいんですか?」
「言っただろう? こういう時、叔父には甘えていいんだ」
「分かりました。……宜しくお願いします」
「ふっ。素直だな」
そう微笑むと、左の頬を人差し指の背でそっとなぞられた。
まるで愛しい
どうして今さら、こんなふうに私に触れたりするんだろう。
お風呂に入り就寝の準備をしてから、殿下から貰ったプレゼントの箱を開けた。
はじめに、殿下の筆跡で書かれたメッセージカードが目に入った。
「初夏の王国は多雨で肌寒いだろうから、風邪を引かないように」
帝国より北に位置する王国は、6月に入ってもまだ肌寒い。
祖母の命日に私が里帰りすることを見越していたのだろう。
年明けからは身辺警護のための護衛も外され、音信不通の状態が続いていたというのに、こんなふうに自分の身を案じてくれることが意外だった。
メッセージカードの下には、それは美しい絹で織られた、紫色のストールが納められていた。
紫色――それは、皇族の間では特別な意味を有する。
公式の場においては、正妻だけが身に着けることを許される色だからだ。
こんな大層なものを頂いても、使い道に困っちゃうんだけどな……。
殿下に会うたびに、彼の真意が分からなくなる。
その美しいストールを手に取ってしばらく眺めていたが、綺麗に折りたたむと、再び元の箱に戻して机の奥深くへと仕舞った。
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