第25話 アルフォンスの憂心

 同じ頃――皇太子の執務室。

 補佐官とともに書類をさばきながら、小さくため息をつく。


エレナからは、あれきりだな」


 ラピスラズリを使用した瑠璃るり色に輝く万年筆が自分の手に握られるようになってから、3か月が経つ。1月の自分の誕生日に祝いのメッセージとともにこの美しい筆記具が届いて以来、彼女からは音沙汰がない。


「森の離宮へ移られて、もうすぐ半年ですか」

「拗ねているのか、楽しくやっているのか……」

「報せがないのは、元気な証拠なのでしょう」

「誕生日に贈った品についても、何も反応がないな。離宮まで会いに行かなかったことを怒っているのか――」

「いえ、それでしたら返送されてきたと伺いましたが」

「は?」


「『お気持ちだけ頂戴いたします』とのメッセージ付きで」

「なに!?」

「ご存知ありませんでしたか?」

「あぁ。妃から私宛てにくる手紙は誰が管理しているんだ?」

「妃様とのやりとりは、全てイヴェット様が管理されています。敢えてお伝えして殿下のお心を煩わすのを避けたかったのでしょうか?」

「……今後、妃から届くものは開封せず、全て直接持ってくるように伝えておいてくれ」

「かしこまりました」


「離宮へ行く朝も、結局、顔を見せることなく出て行った。年末年始も、皇族専用の保養地には一度もやって来なかった。もはや贈り物も受け取りたくない程に嫌われたか……。ふっ、自業自得だな」


 自分にしては珍しい乾いた笑いに、側にいた宰相の顔がたちまち曇る。


「殿下、今月の視察にはトスカランテ地域へ行かれるのでしょう?」

「ああ」

「ついでに森の離宮へ顔を出してこられてはいかがですか?」

「ん?」

「慣れない地でたったお一人。頼る者もおらず、あの離宮に住むというのは、存外に孤独でしょう」

「どうした宰相、やけに湿っぽいことを言うな?」

「娘と同じくらいの歳ですから。元敵国おうこくからきた妃を守るためとはいえ、酷なことをしました」

「……」


 宮殿に居ると、否が応でも悪意に身を晒すことになる。

 耳に入れたくない情報も入ってくる。

 皇太子としての実績に欠ける自分には、強い後ろ盾が必要だろうとささやきながら自分の娘を側妃にと推してくる権力者が後を絶たない。

 自分の支持基盤が盤石といえない現状では、不満の矛先がいつ彼女へ向けられるか分からない。


「……皇太子となったことを、後悔なさっていますか?」

「っふ。どうだろうな。ただ――」

「ただ?」

「今でも無性に剣を振るいたくなる」



 そんな4月のある日。

 夜のとばりが下りた頃、森の離宮へ着いた自分を迎えたのは、かつての恩師であるセヴラン先生だった。


「これはアルフォンス殿下、ご無沙汰しております。前触れをくださいましたら、おもてなしのご用意を致しましたのに。本日はまた、どのような御用でしょう?」

「近くまで視察に来たついでに寄ってみたのですが、ご迷惑でしたか?」

「とんでもございません。ですが、通いの家政婦は帰ってしまいましたから、日を改めてお越しくださいますか?」

「――エレナの姿が見えませんが、元気でやっているでしょうか」

「息災だと聞いております」

「『聞いている』? どういうことですか?」

「私も数えるほどしか、お会いしておりませんので」


「ここには居ないのですか!?」

「はい」

「いったい何処へ?」

「私からは何とも――」

「どういう意味です?」

「私は妃様と個人的に雇用契約を結んでおります。機密事項を漏らした場合、莫大な慰謝料を請求されますゆえ」


「っ……安全は保障されている場所なのですか?」

「その辺りは抜かりございませぬ」

「なぜ護衛から連絡が来ないんだ……」

「警護の必要がないと判断されたのではありませぬか?」

「何の話です?」


「年末にそのような書類を携えた事務吏官がやってまいりました。1月から皇太子妃の身辺警護のための予算は付かぬから、護衛を引き上げるようにと。……ご存知ありませんでしたか?」

「以前の護衛騎士3Jsが戻って来たことは知っていましたが――配置換えがあったものだと。一体、どうなっているんだ」

「私どもも、森の離宮はもはや安全とはいえぬと判断しました」

「エレナの側には誰かがついているのですか?」

「妃様自らが護衛を雇い入れました。なんでも昔、人攫ひとさらいにあったことがあるそうで。用心なさっておいでです」

ですからご安心ください、とセヴラン先生が頭を下げる。


「エレナに手紙を渡せますか?」

「わたくしがお預かりいたします」

「それほど、私に会いたくないと?」

「妃様の意志でございます。森の離宮に居を移させることで自分をまもってくれたのだと、殿下には感謝しておいででした。いやはや、たった2か月で帝国の政情と殿下のお立場を理解するとは。16、17歳とは思えない程、聡いお方です」

「……エレナの部屋に案内してください。今夜はそこで休みます」

「かしこまりました」



「簡素な部屋だな。……時々は戻ってきているのでしょうか?」

「いえ。ここを去られてからはまだ一度も」

「そうですか」


 夜の闇に呑み込まれそうだ。


 頼る者もなく、必要とされる務めもなく、一人でただ時が過ぎるのを待つだけというのは、存外に苦しいのだろうな。

 笑顔で過ごしてくれているといいが――

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