第21話 お一人でどうぞ
再び応接間に戻ると、何やらオーギュスト様と殿下が顔を近づけて話し込んでいた。
皇族の叔父と甥にしては、関係性が近い気がするけれど……。ま、いっか。
「はーい。ブルーベリーパイが焼き上がりましたよ~」
「お菓子作りも得意だというのは本当だったんだな?」
「オーギュスト様、冗談だと思っていたんですか? 酷い!」
「はははっ。すまない」
自らパイを切り分けて、お皿に盛っていく。
一番初めにクリステル様とシャルル様に差し出したのだが、受け取るかどうか躊躇しているようだった。
いっけない! 以前、毒見していないサンドイッチを渡そうとして警戒されたんだっけ。
「クリステル? 毒が入っていないか心配を?」
オーギュスト様が首を傾げながら聞くと、「っ、そういうわけでは――」と否定したが、やはり心配そうだ。
「あの、気が利かず、軽率に失礼致しました。一度、毒見のために下げますね」
「――貸しなさい」
お皿を回収しようとした私を制すると、アルフォンス殿下が自らクリステル様とシャルル様に差し出したケーキを一口ずつ口に含んだ。
「大丈夫だ。ほら、食べなさい」
そういってお皿をシャルル様へ手渡すと、それは嬉しそうに破顔した。
「ありがとう、アルフォンス」
「父上、ありがとうございます!」
そっかぁ。クリステル様は殿下のことを「アルフォンス」って呼ぶんだ。
私は殿下のことを『殿下』以外で呼んだことはない。愛称で呼ぶ日なんて、こないんだろうなぁ。
ところで、「アルフォンス」の愛称って何になるんだろう?
「アル? フォンス? それとも、アルフォン? ま、どーでもいいけど」
「……どーでもいいところ悪いが、アルフォンはないだろ?」
「えっ!? 殿下ってもしかして……心が、読めるの?」
「そんなわけないだろう? さっきから心の声が口に出てるぞ」
「嘘っ!? いつから?」
独り暮らしが板についたせいか、最近、独り言が増えた気がする……。
「――うん、美味しい。ありがとうエレナ」
「それは良かったです。また
「だったら、今度は森の茸を使った料理をリクエストしたいな」
「それじゃあ、次回は茸のクリームパイを焼いちゃいます!」
「それは楽しみだ」
カツン、とフォークを置くとアルフォンス殿下が口を開いた。
「そういえば、カミーユは戻ってこないのですか?」
「あぁ。西国の学友たちの別荘で過ごすらしい」
「良いのですか? 好き勝手にさせて」
「思春期の女の子だからね。男やもめの父親と過ごすより、友達と一緒の方が楽しいんだろう」
「ですが――」
「嫁ぐまでは自由にさせてあげたいんだ。それに、馬鹿なことはしない子だと信頼しているしね」
辺境伯の一人娘にして皇帝陛下の姪ともなれば、恋愛結婚など望めないのだろう。それを分かったうえで、娘を信頼して一時の自由を味わわせてあげているんだ。
オーギュスト様って、父親としても素敵。
少しだけ重たくなった空気を払拭するように、シャルル殿下へ話しかけた。
「シャルル様、温泉はお好きですか?」
「温泉というよりも、この場所が好きです。家族だけでゆっくりできるから」
「そうですか」
「……あの、エレナ様は森で何をされていたのですか? ここ……」
頬っぺたを指さしながらシャルル様が聞いてきた。
しまった! 汚れ、まだ取っていなかった!
「ははっ。仕方ないな」
そう言って、オーギュスト様がハンカチで頬を拭ってくれた。
思わず赤面してしまって、それを隠すようにシャルル様と向かいあう。
「こほん。えっと、そうですね。昨日はオーギュスト様に馬に乗せてもらって森の中を一緒にお散歩しました」
「叔父上と二人乗りしたのか?」
「そうですけど?」
「乗馬は得意だろう? なにせ、花嫁衣裳を着て――」
「そぉ――だっ! シャルル様、森の中にはリスやウサギも、たくさんいましたよ?」
全く、殿下ってば何を言ってくれるのよ。オーギュスト様の前では、庇護欲をそそるようなお淑やかな女性を目指してるんだから。人の恋路を邪魔するの、やめてよね。
「本当ですか?いいなぁ。僕も行きたいです」
「シャルル様も、今度は一緒に出掛けましょうか?」
「いいのですか?」
「もちろん!」
そっかぁ。普段は籠中の鳥だものね。自由もないし、常に誰かの視線に晒されている。6、7歳の子といえども、そういうのには敏感なんだろうなぁ。
チラリとクリステル様のお顔を見たら、困ったように笑っていた。
『一緒に出掛けましょう』とは言ったものの、私と出かけることには不安があるのだろう。
害を加えたりなんて絶対しないけど、信頼を得るには共に過ごした時間が短すぎる。
「……そろそろ行くか?」
アルフォンス殿下がそう言うと、
「そうですね」
とクリステル様も同意なさり、シャルル様の口元をハンカチでそっと拭った。
そんな3人の姿に、胸の奥がチクりと痛む。
クリステル様は、こんな天使のような宝物を、殿下から貰ったんだ。……羨ましいな。彼女の、透明感抜群のシルバーグレイの髪の毛も。白い肌も。空色の瞳も。優しく包み込むような雰囲気も。
私はどれも、持ち合わせてはいない。
「叔父上、ご馳走になりました」
「いや、礼を言うならエレナに、だろう?」
「……ご馳走になった」
「お粗末様でした」
「ふっ。エレナの帝国語を聞いていると、懐かしい気持ちになるよ」
「どうしてです?」
「何というか、言い回しが古風というか……」
「それはたぶん、祖母の影響ですね、精進します」
「そのままでいてほしいな。本当に。美しい言葉遣いだから」
「っ……」
真っ赤な顔をした私をからかうように、オーギュスト様がポンっと頭の上に手を乗せた。
あぁ、やっぱりこの手。あの時、助けてくれた人だ。
「っ……じゃあ、行くか」
アルフォンス様の言葉に我に返る。
しまった、オーギュスト様と一緒にいると、ついつい2人だけの世界に浸ってしまう。皆の後ろに続いて、殿下たち一行を見送ることにした。
夫が他の女性と帰るところを見送る妻って。なかなかシュールな光景よね。
「それでは叔父上。失礼致します」
「ああ、気を付けて」
「……エレナ、荷物はないのか?」
「え?」
「たしかに、保養地にも着替えは用意してあるだろうが……」
「殿下、何のことです?」
「年末年始は、
「はい。オーギュスト様のお屋敷でお世話になります」
「は? 一緒に来ないのか?」
「どこに?」
「だから、保養地にだ!」
「行きませんよ?」
「叔父上の屋敷に滞在するなど、何も聞いてないぞ?」
「何も言ってませんもの。事前申告が必要でした?」
「そういうわけでは――」
「アルフォンス?」
馬車の中からクリステル様がこちらをのぞき込んでいる。
「2人を待たせてるんだ。早くしなさい」
「お一人でどうぞ。私は、行きません!」
「は?」
「行きません!」
「何を――」
「だって、誘われてないし。皇族でもないし」
「皇太子妃が皇族でないはずがないだろう?」
「いずれ離縁される
「っ……」
「アルフォンス。エレナのことなら心配ないよ。責任をもってお預かりするから」
「お預かりされま~す」
だからサッサと行きなさいよ!
「……その笑顔が信用できないんですよ、叔父上」
「ひどいなぁ。ま、気になるなら様子を見にくればいいだろう? すぐ近くなんだから」
「……宜しく頼みます」
「はーい。頼まれました」
「お気をつけて~ (もう来ないでいいからねー)」
アルフォンス殿下はまだ何か言いたげな顔を向けていたが、クリステル様に促されるかたちで馬車へ乗り込んだ。
「さーて、私たちも温泉に行こうか?」
「賛成~!」
オーギュスト様と一緒にいると楽だ。
言葉遣いにダメ出しをされることもなければ、皇太子妃らしさを求められることもない。
でもなぁ。将来の奥さん候補として見てもらうには――若干、色気のない関係であることも事実なのよねぇ。
そんなことを考えながら眠りについた翌日。
殿下がシャルル様を連れて再びオーギュスト様の屋敷にやってきた。
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