第20話 ベリーパイ
アルフォンス殿下からは、森の離宮に移ってからというもの、文の一つも届いていない。年末で護衛を引き上げられたということは、私の生死など気にかけていない証拠なのだろう。
何が『叔父のように思ってくれたらいい』よ。
全くの無関心じゃない。
だからこちらからも、年末年始を辺境伯領で過ごすとは一言も伝えていない。必要なら、誰かが伝えるだろうから。
「どうせあと1年半もすれば他人に戻るんだもの。お互い、無干渉なのがいいのよ、きっと」
翌日は、オーギュスト様自らが馬に乗せてくれて、森の中を案内してくれた。
本当は乗馬は得意なのだけれど、馬など乗ったことのないような深窓の令嬢のふりをしてオーギュスト様のエスコートに身を委ねた。
先ほどから背中にオーギュスト様の逞しい胸板を感じて、ドキドキが止まらない。
風とともにフワッと鼻孔をくすぐる、彼が纏うエキゾチックな香りに、思わず異性を意識してしまう。
森の中を散歩しながら、リスやウサギを見てはきゃっきゃと声を立てて笑った。キノコやベリー類、薬草がたくさん実っている場所も教えてくれた。
「オーギュスト様、ベリーパイはお好きですか?」
「甘いものはあまり食べないんだが、実は大好物だ」
「じゃあ、私に作らせてください!」
「作れるのかい?」
「はい。こう見えて、お菓子作りも得意なんですよ?」
「そうか。それは楽しみだ」
「……オーギュスト様は、再婚を考えたりすることはありますか?」
「ん?」
「いえ、もしそういうことを考えることがあったら――」
「そうだなぁ。ブルーベリーパイを焼いてくれるような奥さんがいたら、最高だろうな」
「本当ですか?」
「あぁ」
「じゃあ、私、立候補しちゃおうかなぁ?」
「ははは。冗談でも嬉しいよ」
「本気ですよ?」
「はいはい。人妻に立候補されてもなぁ」
「人妻!?」
しまった! あまりにも結婚している実感がなさすぎで、人妻だということを忘れていた。
でもオーギュスト様、そこは障害にならないんです。
折を見て、殿下へ「オーギュスト様のもとへ嫁ぎたい」って相談してみようかな。
翌朝。
領地の視察に出たオーギュスト様を見送り、侍女と一緒に森に入ってベリーをたくさん摘んできた。それから、厨房の一部を借りてブルーベリーパイを焼くことにした。
「おやおや、たくさん採れましたね? これをどうするのです?」
「セヴラン先生! ブルーベリーパイを作ろうかと思って。お茶の時間に出しますから、ご期待ください!」
「それは楽しみです」
ブルーベリーパイをオーブンの中に入れたところで、にわかに屋敷の中が慌ただしくなった。
「どうしたのかしら?」
「旦那様がお帰りになったのでしょうか」
「もう!? いっけない! お出迎えしなくちゃ」
「オーギュスト様、お帰りなさいませ!!」
慌てて居間へ顔を出すと、仕事から帰ってきたオーギュスト様が、お客様と談笑していた。
「やぁ、エレナ。ただいま。今戻ったよ」
「……殿下。お久しぶりにございます」
「息災か?」
「おかげさまで」
オーギュスト様の対面にあるソファーには、クリステル様とシャルル様も座っている。
「エレナ? どうしたんだい、その恰好?」
「え?」
「顔に泥がついてるし、腕まくりなどして」
「あっ! 今日は朝から森に入ってベリーの実を採ってたんです。だから――」
なぜか殿下が眉をしかめる。
「はははっ。早速、行ってきたのかい? たくさん採れた?」
「はい! 籠いっぱいに採れました!」
「それはご苦労だったね。どうした? そんなところに立っていないでこちらに掛けなさい」
オーギュスト様に勧められるまま、彼の隣に腰かけた。
ますます殿下の瞳が険しくなる。
――何よ?なにか粗相をした?殿下は一人掛けの椅子に座っているんだから、オーギュスト様の隣に座るのが自然でしょう?
「わざわざアルフォンスが挨拶に来てくれたんだ」
「アルフォンス?」
アルフォンス殿下は仮にも皇太子だ。辺境伯が皇太子を呼び捨てにしても、いいものなのだろうか?
「あぁ。アルフォンスは私の甥なんだよ」
「甥!? ――ということは、オーギュスト様は……まさか、皇弟殿下!?」
「そういうこと。まぁ、私は中央の
――どうしてセヴラン先生は、輿入れ前の教育で辺境伯と皇弟殿下が同一人物だって教えてくれなかったんだろう。夫となる人の親族なら、教えてくれてもいいようなものなのに。
「叔父上。エレナとはずいぶん、親しそうですね」
「そうかな?」
ふふーんだ。殿下とよりは親しいですよ? 何なら昨日、軽ーく求婚もしちゃったし!
「殿下はどのようなご用件で?」
「年末年始は、家族で辺境伯領にある皇族専用の保養地で過ごすのが慣例なんだ」
「なるほど~。それで
ほんとにこの人、「慣例」が好きだな。
「……エレナはどうするつもりだ?」
「わたくしも年末年始はこちらで過ごす予定です」
「えっ!?」
クリステル様が驚いた様子で目を見開いたのが気になったが、それ以上にパイの焼き加減の方が気になった。
「そうでした! ブルーベリーパイを焼いている途中だったんです! ちょっと様子を見てきますね」
「……うっすらとだか、面影が残っているな。素敵なレディに成長していて、驚いたよ」
「立ち振る舞いといい、口のきき方と言い、皇太子妃にはおよそ似つかわしくありませんがね」
「仕方ないだろう? 皇太子妃らしからぬ生活を強いているのだから」
「それはっ……」
「まぁ、半分は血だろうな。豪胆さはアン夫人譲りらしい」
「はぁ――」
「どうした、ため息などついて。素直だし、面白い子じゃないか。騎士の間でも『庶民派の妃様』と人気みたいだぞ?」
「……」
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