第18話 森の離宮

 その夜、どこからか話を聞きつけた女官長が部屋までやってきた。


「離宮へ追いやるなんてあんまりです。そんな冷酷な子に育ては覚えはないのにっ! 今から殿下へ抗議しに行ってまいります!」


 常に冷静な女官長が、私のためにこんなにも感情を露わにして怒ってくれたのが意外だった。


「女官長、あなた――殿下の乳母だったの?」

「っ違います! 私はずっと独身ですから」

「あ、そうなの。ごめんなさい」

「とにかく、エレナ様が出ていく必要などございません!」


「……ここに、私の居場所はないの」

「居場所なんて、これから作ればよろしいでしょう? 何を弱気に――」

「私たちの婚姻は、和平のためだから。国が平和になれば、お役御免なのよ。居場所をつくれば、去るのが辛くなるだけでしょう?」

「エレナ様……」

「本当はね、貴女もついてきてくれると心強いんだけど。そうそう我儘も言えないわね」

「申し訳ございません」


「そんな神妙な顔しないでよ。次、貴女に会うときには淑女らしくなって驚かせちゃうんだからね~?」

「語尾は伸ばさない」

「はいはい」

「『はい』は1回」

「……ダフネ。もしかして貴女、殿下のマナー教師だった?」

「そうですが」

「やっぱりね。そっくりだわ、その口調。とにかく――お元気で。たまには離宮に顔を出してちょうだいね」

「エレナ様も……」


 そう言って女官長が泣き出すものだから、なだめるのが大変だった。

 なぜか私の周りには、自分の代わりに泣いてくれる人が集まってくるみたいだ。

 彼女の白髪交じりの髪を撫でながら、居場所がないと思っていた宮殿にも自分の身を案じてくれる人がいてくれたことに、遅ればせながら感謝した。


 ――翌日の夕方

 殿下の執務室を訪ねた。


「短い間でしたが、大変お世話になりました。殿下の御健勝、そして、帝国の繁栄と国民の幸せをお祈りしております」


 そう言って、署名済みの離縁届と結婚指輪を差し出した。

 結局、結婚指輪のサイズは調整されず終いだった。


 ま、これで私が成人したときか、あるいは数年して国際情勢が落ち着けば、自動的に離縁の手続きが行われるだろう。


「こんなに早急に出て行かなくともよいだろう?」

「『思い立ったが吉日』 帝国の諺ですよね?」

「……明日は、何時に発つ?」

「朝の8時に」

「その前にまた、顔を見せにきてくれ」

「分かりました」

 殿下に精一杯の美しいカーテシーをして、私室へと戻った。


 翌朝は、日の出とともに宮殿を発った。

 殿下への挨拶は昨夜済ませたから。

 朝もう一度顔を出すように言われたけれど、社交辞令の一環だろう。

 それに……綺麗に去りたかった。


 実は昨夜、柄にもなく泣いてしまったのだ。おかげで、まぶたが真っ赤に腫れている。


 ――捨てられたのだと思った。


『叔父くらいに思ってくれたらいい』って言われたけれど、そもそも私は、叔父という存在を知らない。世間一般には甘えられる存在なのかどうかも、よく分からなかった。


 森の中にひっそりと佇む離宮には、帝都から馬車で半日程の道のりだった。

 宮殿で過ごしたのはわずか2か月。

 セヴラン先生と、女官長が推薦してくれたマナーの講師は個人的に雇うことにした。2か月間は引き続きレッスンをお願いし、その後もアドバイザーとして必要な時に助言を貰うことにした。

 2人とも現役を引退している身だから、自然の中にある離宮で過ごせると聞き、喜んでついて来てくれた。


 固定的な使用人は持たなかった。

 恐ろしいほどに広い離宮だけれど、使うのはほんの数室だけ。

 だから、必要最低限、離宮を維持管理するための住み込みの老夫婦と、通いの家政婦だけを雇うことにした。

 護衛だけは、殿下の命令で変わらず24時間張り付くことになってしまったけれど。


「ごめんね、みんな。恋人と離れちゃうことになってしまって」

「エレナ様がお気になさることなど、何もございません」

「そうですよ、エレナ様。休暇のたびに帰れますし、離れている分、絆が深まるってもんです」

「そうそう。1週間ぶりに会ったりすると新鮮で、付き合いたての頃を思い出しましたよ」

「私はこれを機に結婚することにしました」


 へー。鎌をかけてみただけなんだけど、ジャンだけじゃなくて、みんな恋人がいるんだ。しかも、ジョスに至っては婚約者まで!


『離れている分、絆が深まる』かぁ。

 私の場合は――離れている分、速攻で存在を忘れられそうだな。

 それならそれで、都合がいい。なぜなら、密かに温めていたプランを実行に移す機会が訪れたから。


「……帝国の高等学校に通いたい、ですと?」

「そうなんです、セヴラン先生。王国の貴族学園は、退学せざるを得なかったから。帝国でも学園に通いながら、もっとこの国について勉強をしたいんです」

「ですが、殿下の許可が下りますかな」

「殿下からは『好きに過ごせ』と言われています」

「なるほど――でしたら、いいでしょう」


「帝国の学校では、どんなことが学べますか?」

「そうですね。アン夫人や私が通っていた貴族学園には、文官コース、騎士コース、淑女コースの3つがございます」

「文官コースでは何を勉強するのかしら?」

「この国の政治・経済・法律・領地の経営管理などです」

「淑女コースというのは?」

「いわゆる良妻賢母になるための教育です。人脈形成や社交術などもそこで学べます」

「じゃあ、文官コースにしようかな。それで、私の実力で編入できそうな学校をいくつか挙げてもらって、1月の編入試験に向けて勉強をみていただきたいんです」

「エレナ様の実力ですと、どこにでも編入できますよ。いくつか学園を見繕っておきましょう」

「あの、でお願いしますね!」

「おや、それはまたどうして――」

「将来に備えてに決まってるじゃないですか! 学園で良いご縁があるかもしれないし。再婚には、殿下も協力してくれることになってるから」

「なるほど……わかりました」


 そういうわけで、新しい目標ができた私は、徐々に元気を取り戻していった。

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