第13話 女官たちの嫉妬
3日3晩行われた――と臣下たちに思い込まれている「初夜の儀」が明けた翌朝。
女官が迎えに来てくれることなどとうに諦めた私が一人で食堂へ降りていくと、すでに殿下がいて、さらに彼を囲むように側近の文官たちが集まり、分厚い報告書を片手に会議をしていた。
「おはようございます」
「……」
みなが議論に集中していて、とても話しかけられる状況じゃない。自分のことは気にせず会議を進めてほしいと思い、テーブルの端にちょこんと腰をかけた。
皇太子妃付の女官たちと同様、私のことを存在しないものとして扱ってくれたら気が楽なのだが、年若い聡明な顔つきをした側近が話しかけてきた。
「皇太子妃様、いらしていたのですね。よくお休みになられましたか?」
「はい、おかげ様で」
「昨日は徹夜だったものですから、このような姿で申し訳ありません」
「いえ、皆さん大変でしたね。ご苦労様でした」
「フィリップ。
「かしこまりました。それで帝都の治水計画ですが――」
フィリップ――この人か。昨日、殿下へ私をもう少し気遣うよう提言したのは。
場違いなところに居合わせてしまったことを痛感し、何とも居心地が悪い。朝の定例会議には、女性文官もいた。徹夜明けで化粧はしていないのだろう。疲れた様子ではあるが、やる気に満ちた瞳は輝きを放っていた。
何かに没頭している女性って、生気に満ちていて魅力的だわ……それに比べて自分は。なんにもすることがない。
それとなく女官長に話を振ってみた。
「女性の文官もいるのね?」
「イヴェット様は高貴な出自でありながら、何も出来ない皇太子妃様の代わりに公務をこなしてくださっている有能な御方です」
「そう……。殿下はいつも、朝食を食べながら会議を?」
「その方が効率的ですから。お忙しい時期は特に」
「私がここにいたら、気が散るかしら?」
「さあ。私の口からは何とも――」
『何とも言えない』と言いながら、意地悪そうに細められた瞳が「そうだ」と如実に語っている。
「……明日から朝食は、私室でとることにするわ」
「かしこまりました」
――それから数日後。
届けられた朝食は、変な匂いのするスープだった。
「……なんだか変わった香りがするわね?」
「しばらくボリュームの多い祝い繕が続きましたでしょう? 帝国流の胃を休めるメニューですわ」
なるほど。たしかに婚姻の儀以来、豪勢な料理が続き、胃がもたれている……。
皇太子妃付の女官はみな伯爵家以上の出自の若い貴族令嬢たちで、殿下の寵愛を受けることを願いながら仕えている者たちが殆どだ。自分がそんな彼女達の嫉妬心を解消する格好の的になっていたなんて、全く気付いていなかった。
「殿下が本当にあの子と初夜の儀を行ったなんて、信じられないわ」
「敬語も覚束ない子どものくせに」
「私達は長年、厳しい淑女教育を受けてきたのよ? それがあんなぽっと出の子どもに皇太子妃の座を奪われるなんて……悔しくて夜も眠れないわ」
「ねぇ、いい事思いついたんだけど――」
「なるほど! 食あたりを起こしたら、薬を飲まざるを得ないものね。そうすれば、胎児に影響が出る事を考えて、事後避妊薬を飲むことになる」
「つまり、初夜の行為で子を宿す可能性は消えるってわけ」
「あの殿下が、初夜の儀以外であの子を抱くことなんてないでしょうから……」
「ふふふっ、いい気味だわ」
そんな会話が行われていたことなど知らない私は、彼女達の言葉を信じてスープを飲んだ。そして――案の定、お腹を壊し、夜になってようやく慌ただしく宮廷医師がやって来た。
のたうち回る私を診断すると、気の毒そうな目を向けてきた。
「食あたりの症状ですが、初夜の儀を済ませたばかりの妃様に薬を処方することはできません」
「え?どういうこと?」
「その、殿下のお子を宿している可能性がありますゆえ」
「お子?」
「この時期は特に服薬に注意が必要でございますので」
「じゃ、じゃあ、このまま様子を見ろと?」
「はい……」
妊娠の可能性は絶対にないのよ!と言えないのがもどかしい……。こんな時に限って、殿下は視察で帝都を留守にしている。
こうして殿下不在の3日間、私は高熱と腹痛に襲われながらベッドの上で過ごすことになった。
「
「臥せっておられます」
「は?」
「医師に見せてはいるのですが」
「体調が悪いのか?」
「それが――」
「腹を壊しただと? ……様子を見てくる」
3階――皇太子妃の私室
「エレナは何処だ? なぜいない?」
「っ、その、妃殿下は客間でお休みになられています」
「客間? ……いつからだ?」
「帝国にいらしてからずっと――」
「どういうことだ?」
「女官長より、妃様には客間をあてがうよう命じられております」
「エレナは皇太子妃だ。彼女に客間をあてがうことに、今まで何の疑問も持たなかったのか?」
「申し訳ございません」
「彼女は何処にいる?」
「……2階の、一番右端にある客間です」
「女官長を呼んでおけ」
皇太子の私室は3階の一番左端にある。女官長は故意に、殿下の部屋から一番離れた部屋を私に宛がったのだった。
「エレナ――随分、やつれたな。どうした? 帝国の料理は口に合わないか?」
「腐ったものを食べさせるのが、帝国流なの?」
「……どういう意味だ?」
「おかげでダイエットになったけど」
「確かに帝国では発酵食品も食されるが、腐ったとは大げさだろう?」
「2階に、家族用の食堂と厨房がありますよね? 使用許可をください」
「何をする?」
「自分で調理する。ここに運ばれてくるものは、信用できない」
「我儘を言うな。毒見はされているだろう?」
「こんなこと。っ、毒より酷い」
「……そんなに帝国の料理が気に入らないか? だったら、好きにしろ」
「外出の許可もください」
「何処へ行く?」
「市場」
「なぜ?」
「食材を買うから」
「厨房から必要なものを貰ってくればいいだろう?」
「それが出来たら苦労しないの!」
「どういう意味だ?」
「もうっ! 質問ばっかり。うっとおしい! お腹がすごく痛いの! 薬もくれないし! 外出許可、くれるの? くれないの? どっちなの!?」
最後の方は若干、八つ当たり気味になってしまったけれど、「町娘の格好をして、護衛付きならば」という条件で市場へ行くための外出も許可されることになった。
――その日の夜。
殿下に呼び出された女官長は震えあがっていた。
「皇太子妃を侮辱したんだ。国際問題にもなりかねない。通常であれば、極刑も免れないところだが、慈悲を与えんわけでもない。彼女に対して行った愚行を全て吐け」
「じ、実は――――」
「……なんだと?」
医師から話を聞いたのだろうか。夜遅くになって、再び殿下が客間にやってきた。
「薬を処方されなかったそうだな。すまなかった。今からでも飲んでくれ」
「もう大丈夫」
ここまで我慢したんだ。今さら薬を飲んで、あの女官達をニンマリさせるなんて真似、したくはなかった。愚かだと思うけど、これは女の闘いなのだ。
「頼むから飲んでくれ」
「お腹の子に障ります」
「っ、その可能性はないだろう? どうした?」
「……誰も信用できない」
「すまなかった」
「お腹の痛みも、酷い吐き気も、高熱も。3日間耐えたの。あと数日くらい、耐えられる」
「悪かった」
「殿下に謝ってもらったって――」
「……泣いてたのか?」
「放っておいて。――笑わせないでよ?まだお腹痛いんだから」
私の代わりに泣くことはできないけれど、笑わすことはできると言ってくれた殿下の言葉を思い出し、慌ててそう言った。この体調で笑わせられると、いろいろ不味い気がする。
「分かってる」
殿下はベッドの中に入ってくると、お腹に手を当てるようにして後ろから私の身体をすっぽりと包んだ。
「こんなことしても、絆されたり、しないんだからね?」
「どうしても、薬を飲むのは嫌か?」
「ぜったいに嫌――んっ」
殿下は私が言い終わらないうちに片手で水差しを持って口に含むと、私の顎を固定して唇を重ね、口移しで薬を飲ませてきた。
おそらく、鎮静剤も混ぜられていたのだろう。文句を言う間もなく眠りに落ちた。
「許してくれ」そんな呟きが聞こえた気がした。
その夜は、ずっと側にいてくれたようだった。
明朝私を起こしに来た女官が、同衾している私たちを見て瞠目していたが、それ以来、彼女達に会うことはなかった。
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