第14話 俗世間の師

 例の「スープ事件」が明るみになった翌日、女官長を含め、私付の女官は総入れ替えされることになった。

 

 殿下からは何度か、居室を2階の客間から3階の皇太子妃の部屋へ移すように言われたが、そのたびに、「2階の客間は、隣に厨房がついていて便利なんだもん」とかなんとか言って、やんわりとかわした。


 宮殿内で私たちが仮面夫婦だと噂になるとバツが悪いのかもしれないけれど、今さら体裁を整えたところで、お互い虚しいだけじゃない。


 殿下は納得がいかないような顔をしていたけれど、これ以上は言っても無駄だと悟ったようで、最近は何も言わなくなった。


 金魚の糞みたいに私の後ろをついて回っていた女官たちがいなくなり、清々したのも束の間。殿下から衝撃的な一言を告げられた。


「明日から、護衛騎士が24時間体制でエレナを警護することになる」

「……警護? 監視の間違いじゃなくて?」

「本来、皇太子妃は常時警護されて然るべき身分なのだが、手違いで――」


 手違い? わざとでしょ?

 どうせ、前の女官長の差し金かなにかで、人員を配置していなかったんだろう。別によかったのに、それで。人件費だって、馬鹿にならないだろうし。

 私を警護するというよりは、元敵国からきた花嫁が何かやらかさないように見張っておくのが目的なんだろうから。


 そんなふうに思って不貞腐れていたけれど、意外に彼等との関係は良好だった。


「本日より宮殿内での妃様の警護を担当させていただきます、ジャン、ジャック、ジョスの3人です」


 ジャンにジャックにジョス……。なんて覚えやすい名前なの!

 我ながら単純だと思うが、それだけで3人に対する親近感がわいてくる。


「私はエレナよ。今日からどうぞ宜しくね、3Jsジース!」


 私に関してどんな噂が流れているのか定かではないが、初めは警戒心を抱いていた彼らも、気さくに接していくうちにどんどん打ち解けていった。


 彼らはみな平民出身の騎士らしく、最近では貴族社会のスキャンダルから市井での流行や俗語に至るまで、皇太子妃教育では決して吸収することのできない知識を彼らから教えてもらっている。

 殿下には絶対言えないが、密かに彼らのことを「俗世間の師」と呼び仰いでいるのだ。


 宮殿の外に出かけるときだけは、レオポルドという名の中堅騎士が護衛についてくれることになった。


 今朝もレオポルドとともに市場へ食材を買いに来ている。町娘の格好をし、秘密通路を通って外に出るのだが、祖母と暮らし始めた頃から公爵領では同じような格好で過ごしていたため、全く違和感なく溶け込める。


「妃様は、変装がお上手ですね」

「エレナと呼んでと言っているでしょう? それに、こっちが地なだけよ。それより、レオポルドの方が身分を隠しきれてないわよ?」

「えっ?」

「レオポルドって貴族でしょう? そういうオーラが出てるもの」

「申し訳ございません。精進します」


 一応、皇太子妃ということで予算はついているが、成人王族でない私が公式行事に出る予定はなく、殿下の寵愛を受けることを期待されていない私は宝石やドレスで着飾る必要もない。そのため、お金なら十分にあった。


 これをそのまま国庫に戻してしまうのは、何とも惜しい気がする。どうにか自分にあてられた予算を両国のために有益に使えないものか。日々、市井を視察――という名の散歩――をしながら考えている。


 お飾りの妻であっても、最低限の皇太子妃教育は受けてほしいという意向を受けて、教育係には再びセヴラン先生を指名した。また、新たにマナーの講師を雇うのもいかがなものかと考え、新しく入った女官長にその役割をお願いすることにした。


 食材を仕入れに出かけたついでに屋台で朝ごはんを食べたり、マルシェで買った新鮮なフルーツや焼きたてのパンを皇太子妃教育の合間に頂いたりするのが日々のささやかな楽しみになっている。


 朝とお昼は、居室の隣にある家族用の食堂に隣接されている小さな厨房で調理をして食べるのだが、この国の食材を使って色んな料理にチャレンジしては、3Jsジースやセヴラン先生に試食してもらっている。


 ある日、セヴラン先生と新しい女官長のダフネも誘って、以前殿下と外出したときに行った王国料理のお店を訪ねた。


「おっ、久しぶりだね、お嬢ちゃん!」

「お、『お嬢ちゃんっ』ですって!? 貴方、妃様に向かって――うぐっ」

「シーッ。女官長ダフネ! 今日は私たち、家族という設定でしょう?」

「っ、申し訳ございません。つい――」


「オーナー、お久しぶりです。今日は、祖父母と一緒にこちらの看板メニューを頂きにきたの」

「それは嬉しいねぇ。素敵なおじい様に、おばあ様じゃないか」

「ええ。自慢の家族なの。それに――祖父母は私が憧れるラブラブの夫婦なの」


 女官長の頬に、みるみる赤みが差していく。


「妃、……エレナさん!?」

「いいでしょう? 今日は、そういう設定なんだから」

「そんなこと、わたくしは聞いておりませんっ!」


 こういうところが、可愛いんだよなぁ。

 ひっつめ髪に銀縁眼鏡という、見るからに「仕事のできる人」風の新しい女官長は、人にも自分にも厳しい人で、滅多に笑うことなどない。私など、いつもやれマナーが、やれ言葉遣いが、と叱られてばかりだが、以前の女官長のように意地悪で厳しくされているのでないことだけは、伝わってくる。


 テーブルに案内されると、給士係の女性がお水を持ってきてくれた。

「今日は、お父さまは一緒じゃないんですか?」

「え?」

「この前一緒にいらしていた……。すごい男前だって、皆で騒いでいたんです」

「……オトウサマ?」


 ――それって、殿下のこと? 私たち、はたから見たら親子みたいに映ってるの!? 夫婦じゃなくて?


 いくらお化粧をしていなかったとしても、父娘に見られていたなんて……ショックで軽く眩暈がする。女官長の顔をチラリと見ると、肩を震わせながら笑いを堪えていた。


「こほんっ。あれは、叔父なの。私の父の、歳の離れた弟です」

「まぁ。あんなに格好良い叔父さまがいて、羨ましいです」

「そうかしら? いくら男前でも、性格が腐ってたらねぇ。――料理だってそうでしょう? いくら見た目が良くても、味が激マズだったら食べないでしょう?」

「げ、激マズ、ですか?」

「そ。あの男。顔だけ男っ!」

「っ、エレナさん!? 言葉遣いには、気を付けましょうね!?」

「まあ、良いではありませんか、ダフネ。素直なところはエレナの長所ですから」


 ふふっ。女官長ったら、『ダフネ』ってセヴラン先生から呼ばれて真っ赤になってる。可愛いなあ。


 それから3人でお店の看板料理を頂き、オーナーから正直な感想を聞かれたので

「この調味料は少し減らして、逆に甘みを加えると本格的な王国の味に近づくと思う」と率直にアドバイスをしたらとても喜ばれて、試作品のデザートまで感想を求められてしまった。


 また来ることを約束してお店を後にした。


「妃様は――」

「エレナ」

「エレナさんは、どなたに所作を習われたのですか?」

「……祖母、かな。母から習った記憶はあまりないから。どうして?」

「姿勢。食べ方。指先の使い方。――とても美しい所作を身につけていらっしゃるものですから」

「ふふっ。女官長おばあさま? 私だって、やるときはやりますのよぉー?」

「また言葉が乱れておりますよ!?」

「だから、やるときにはやるんだってば。今はほら、オフだから!」

「オフ……?」


 自分で言って気が付いた。帝国に来てからずっと「オフ」だということに。

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