第11話 慰謝料
翌朝は、殿下と一緒に夫婦の寝室に付属されたバルコニーで朝食をとった。
「……公務は大丈夫なんですか?」
「今日は休みを取った」
「へー、暇なんだ」
「なっ! 臣下たちが、もっと妃を気遣えと」
「どうして?」
「新婚だからだろ?」
「皆、知らないんですか? 契約婚だってこと」
「不用意に言ったりはしない」
「そうですか」
「……何処か出かけるか?」
「え?」
「行きたいところはあるか?」
「……だったら、帝都の市街地を見て回りたい」
「いいな。視察を兼ねて出かけるか」
「やったぁ!ありがとうございます」
目立たないよう平民の服装をして出かけようということになり、着替えが終わった頃に殿下が部屋を訪ねてきた。
「準備できたか?」
「はい!」
「……驚くほど普段と変わらないな」
「むっ! どうせ私は芋っぽいですよ。田舎の領地育ちだし」
「いや。着飾ったら、化けそうだという意味で――」
「……婚姻式の時、思いっきり着飾ってたけど?」
「そうだったな」
「まぁ、ある意味、本当に化け物みたいだったけど」
「……いろいろすまなかった」
「謝られると地味にへこみます」
やっぱり殿下も、あのメイクはないだろうって思ってたんだ……。
それから目立たない馬車に乗り込んで市街地へと出かけた。帝国には幼かった頃に何度か来たことがあるが、ほとんど記憶はない。
けれど、そこはかとなく香る匂い――香辛料だったり、街並みの空気だったり――みたいなものは何となく覚えている。
殿下の隣に腰かけて、近づいてくる街並みをワクワクしながら眺めていた。
「……指輪、外したのか?」
不意に、殿下に話しかけられた。
「え? あぁ、はい。サイズがぶかぶかで、失くしちゃいそうだったから」
「……そうか」
殿下の左手には、きちんとサイズの合った結婚指輪がはめられていた。
無理にしなくてもいいのに。
「どこか行きたいところはあるか?」
「銀行へ寄ってもいいですか?」
「何のために?」
「口座を開きたくて――」
「なっ! 実名で口座を作ったりしたら、皇太子妃だとバレるだろう? 何のために変装したと思ってるんだ」
「あっ! たしかに……。どうしよう」
「そういう手続きは、皇太子妃付の事務官に任せればいい」
「じゃあ、両替だけでも」
「は?」
「帝国の通貨に両替したくて」
「必要ない。金なら俺が持っている」
「私も持ってきたんですよー! ほら!」
そう言って、王国通貨が入った袋を見せた。
「物騒だな。いったいいくら入ってるんだ?」
「1か月分の慰謝料」
「慰謝料?」
「そう。ランスロットから、今月分だけ現金で受け取ったの」
――ランスロットから婚約の解消を求められたという報告をしたとき、祖母から言われたのだ。
挙式の3か月前になって婚約解消を求めてくるなんて、何か差し迫った事情があるに違いない。関係の解消は承諾しつつ、慰謝料を含めた条件は、できるだけヘレナの有利になるよう交渉しなさい、と。
本当は一括で支払ってもらって、さっさと関係を清算させようと思ったのだけれど、
「分割にしておきなさい。毎月支払うたびに、ヘレナを傷つけたことを思い出させて、反省させるの。いい? ランスロットとヴィクトリア嬢の個人資産の中から連名で支払わせるのよ?」
そう祖母に助言されたのだ。
「分割っていっても、どのくらいの期間にしよう」
「とりあえず、10年くらいにしておきなさい」
「10年ってことは、26歳までかぁ。――その頃の私にはもう、旦那様がいるかな?」
「旦那様と、可愛い子どもも授かってるよ」
「だといいなー」
こんな会話を交わしたあの時は、まさか帝国に輿入れすることになるなんて、思ってもみなかった。
でも、お祖母様の言うとおり、分割払いにしてよかったかもしれない。
為替は日々変動するから、毎月換金するたびに、生きた経済を実感することができる。物価にも敏感になるし、こういう感覚って大切な気がするのよね。
鼻歌混じりに銀行へ立ち寄り、喜々として両替を頼むと、なんと金貨30枚分にもなった。
「うわー、ランスロットったら! 今月分だけ弾んでくれたのかしら。結婚祝いかな?」
「……あのなぁ」
「はい」
「他国の王太子をファーストネームで呼び捨てにするのは如何なものかと思うぞ?」
「向こうだって私のこと、へレナって呼び捨てにするもの」
「それは婚約していた頃の話だろう?」
「いいえ? 帝国に来る直前にも会ったけど――」
「いいから! 他の男を気安く名前で呼ぶのはやめろ」
「どうして?」
「皇太子妃の威厳に関わるからだ!」
「こんな時だけ『皇太子妃』扱い?」
「付け入る隙を与えるなと言っているんだ」
「はいはい。以後、気を付けまーす」
「『はい』は1回。それと、語尾は伸ばすな」
「細かいな……」
さすがに金貨30枚が入った袋を持ったまま街歩きをするのは物騒だということで、結局、両替したものは護衛騎士へ預けることになった。
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