第10話 夫婦の寝室
夜になり湯浴みを済ませると、女官たちに昨夜と同じ夫婦の寝室に連れてこられた。
「――どうして? 今夜は私室で休みたいんだけど」
「お飾りの皇太子妃であっても、結婚された以上は夫婦の寝室でお休みいただきます」
「『お飾りの皇太子妃』ってたしか……必要もされない用なし妃のこと、だっけ」
朝ご飯を食べた後、気付けばあの単語帳がなくなっていたのだ。
きっと、殿下か、殿下に注意を受けた女官にでも捨てられたのだろう。
「まあ、殿下が
「そうなの!?」
「ええ。ですから、ごゆっくりとお休みください」
なるほど。「初夜の儀」が終わった以上、もう殿下が夫婦の寝室へ通う義務はないということか。離宮へは足繁く通っていると言ってたし。じゃあ、どうして私をここへ案内したんだろう。夫婦の寝室で独り寝する寂しさを味わせたくて、とか!? だとしたら、あの女官たち、本当に性根が悪い。
私は大人4人が寝られそうなくらい大きなベッドに飛び乗ると、クッションを抱えて真ん中に鎮座した。
「夫婦の寝室、かぁ。――ランスロットはもう、ヴィクトリア様とそういう大人の行為をしてるのかなぁ?」
彼らの結婚式は、挙式の3か月前に花嫁が交代するというハプニングがあったものの、予定どおり7月に行われた。さすがに元婚約者である私に招待状が送られてくることはなかったけれど、婚姻を祝うパレードも見に行こうとは思わなかった。
まぁ、お祖母様と暮らしていた屋敷の片づけやら、輿入れの準備やらで、それどころではなかったのだけれど。
ランスロットが初恋の相手であるヴィクトリア様と一緒になれたことを祝う気持ちは、ある。
でも――やっぱり私は、傷ついたんだ。
ランスロットが最終的には私じゃない人の手を取ったことにも。
国王陛下や王妃様から簡単に切り捨てられたことにも。
「私が純粋な王国人じゃないから、王家には相応しくないと思われたのかなぁ」
だとしたら、帝国で幸せになりたいところだけど。こちらに来たら来たで、「元敵国から来た花嫁」なんて言われている。
結局、どちらの国でも異分子扱い。
根無し草。
それが、今のわたし。
「あーあ、嫌になっちゃう。どうして今頃になって、涙が出てきちゃうのかなぁ」
真紅のクッションを膝に抱えたまま、わんわん泣いた。
そっか、もう私の代わりに泣いてくれる
「ランスロットの、バカ――っ! どうしてこんなとき、側にいないのよ!!」
我ながら酷い八つ当たりだとは思うが、そう叫んで思いっきりクッションを投げつけた。
ボフッ!!
クッションが壁に当たって床に落ちたと思ったら、ポスンとベッドが大きく揺れた。
「……殿下!?」
「――こんな時間にひとりで枕投げか?」
よく見たら、殿下の前髪が乱れている。先ほど「壁」だと思ったのは、どうやら殿下の顔だったらしい。
「……別に」
「夫婦の寝室で元の婚約者の名を叫ぶのは、如何なものかと思うがな」
「(公妾だか愛妾だか愛人だかがいる)――殿下に言われたくない」
「なっ」
「夫ぶらないでよ。嫉妬もしないくせに」
「……泣いてたのか?」
見ればわかるでしょう? どうしてわざわざ聞くのよ。
「っ、殿下は何しにこちらへ?」
「寝るためだが?」
「うそっ!?」
「なぜ驚く?」
「だって、女官たちから殿下はもうここへ通うことはないって聞いた」
「初夜の儀は、3日3晩行うのが慣例だ」
「3日3晩!?」
「そうだ。だから、今夜も明日も、
「おかしくないですか?」
「あ?」
「間違ってるでしょ、それ?」
「っ、慣例だと言っているだろう? そんなに帝国流が気に入らないか?」
「だって! 『3日3晩』ということは、3日間の昼夜という意味でしょう?」
「あ? ああ、まあ、そうだな」
「でも殿下は、朝食会場でお会いしてから今の今まで、私を放置していたじゃない!」
「……ん?」
「だったら、『3日3晩』じゃなくて、『3晩』じゃない?」
「――正確には、そうなるな」
「だったら。初めから守るつもりのない慣例なんて、するっと無視しちゃいましょう?」
「そういうわけにはいかないだろ?」
「どうして?」
「側にいてほしいんだろう? 俺では代わりにならないだろうけど」
「殿下じゃ、ダメなんですよ」
「なっ!?」
「――ランスロットはね、いつも私の代わりに泣いてくれたの。でも、殿下はそういうの、できないでしょ? いつも無表情で、何を考えてるのか分からないし」
「王太子のくせに、婚約者の前で泣いていたのか?」
「ヘタレだから。あれ、ヘタレって、帝国語で何て言うんだっけ?」
「意気地なし、根性なし、臆病者――おい、メモはするなよ?」
「殿下って、私の前では言葉遣いが荒くない?」
「それはお互い様だろう?」
「むっ。……ふふふ。あははははっ!」
「――こういうのなら、できる」
「え?」
「エレナの代わりに泣いてやることはできないが、笑わせることなら」
そう言って、私の頭をぽんぽんと撫でてくれた。そういえば、初めて『エレナ』と呼ばれたような……。
「――そろそろ寝るか」
「はい」
結局、そのまま流れで同じベッドで休むことになった。
「あのぉ」
「なんだ?」
「昨夜、殿下が私をベッドに運んでくれたの?」
「ああ」
「ごめんなさい。重かったでしょう?」
「エレナ1人くらい担ぐのは、平気だ」
「……殿下って、
「ん?」
「ここの筋肉。相当鍛えないと付かないでしょう?」
「そうか?」
「はい。腕とか、胸板とか、すごく逞しい」
「この国に平和が訪れたのは、この4、5年だからな」
「殿下も戦ってたの?」
「昔の話だ。――もう寝よう」
「はーい」
「伸ばすな、と言っただろう?」
「はいはい。おやすみなさーい」
「……それ、わざとだろう?」
まったく。そう言って殿下は私のおでこをコツンと小突くと、私に背を向けて横になり、あっという間に寝息を立て始めた。
「なによ……」
私のことを全く女性として意識していない殿下の態度が頭に来て、嫌がらせのように殿下の背中に身体をくっつけて目を閉じた。
その日の夜――懐かしい夢を見た。
「気が付いたか? 可哀そうに。ちゃんと家に帰してあげるからな。それまで頑張るんだぞ?」
「心配いらない。必ず家に戻してやるから」
「ヘレナのことは、俺が――――」
ずっと私を励まし続けてくれた帝国軍の青年。何かささやいてくれているのに、いつもここで覚醒してしまう。
「離縁したら、彼のところへお嫁に行きたいなぁ」
そんな事を思いながら、再び眠りに落ちた。
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