第9話 誤解

 翌朝。

 目覚めると、なぜか寝室のベッドに寝かされていた。


 殿下の姿は見当たらない。ベッドシーツは、当たり前だけれど皺が寄っているだけだ。これでも一応、閨教育は受けていて、初めてのときはほんの少し出血することもあると聞いていた。だから――なんとなくで、やらかしてしまった。


「どうしよう! 血が止まらない!」


 友達から借りた恋愛小説の中で、破瓜の証拠を偽造するために指先を少しだけ切ってシーツに血を散らすというのを読んだ記憶があり、それを真似してみたのだけど。

思ったより深く傷つけてしまったみたいだ。


 痛みで泣きべそをかきなりながらも、血痕がついたシーツを見下ろして満足気に頷いていると、湯浴みを終えた殿下が寝室に入って来て、すごい勢いで叱られた。


「おいっ! 何をやってるんだ!? 出血がすごいじゃないか。馬鹿! とりあえず、ここを持って止血しろ。いいな? すぐ戻ってくるから」

 そう言うと殿下は大股で寝室を出て行き、すぐに消毒と包帯を手に戻ってきた。


「……出血は止まったか?」

「たぶん」

「全く、何をしてるんだ!?」

「何って……初夜の偽装」

「あのな、破瓜の印でこんなに出血するわけないだろう? 私が16歳の未成年を相手に無体を働いた鬼畜だと思われだろうが!」


「『きちく』? どういう意味?」

「人を人とも思わない残酷な行為をする者、という意味だ。メモするなっ! ――それよりもだっ! 2度と、こういう真似はするな」

「2度としませんよ。初夜なんて1度きりなんだから」

「そうじゃない! 自分を傷つけるような真似は2度とするな、と言っているんだ!」


「……変なの」

「あ?」

「殿下は私を傷つけてるじゃない。私の、心を。尊厳を。花嫁としての覚悟を。殿下は平気で私を傷つけるくせに、私が私を傷つけるのは許さないなんて、矛盾してる。やっぱり殿下は、鬼畜です」

「なっ……」


 手当は結構です、と殿下の腕を振り払うと自室へと戻った。


 殿下って、いつもポーカーフェイスで何を考えているのか分からないけど、驚いたときだけは顔に出るのよね。さっきも呆れたような顔してたし。もっと普段から感情を表に出せばいいのに。

 それに――私の前では、すごく口が悪い。公妾だか愛妾だか愛人だか――の前でも、あんななのかな……。


 ベッドにポスンと身体を預け、見慣れない天井を見つめていたら、慌てた様子で宮廷医師がやって来た。「初夜の儀」を無事に終えたかどうかを確認しに来たのかと思い、ぎくりとする。


「……何用です?」

「妃様が指を切ったと聞いたものですから」

「え?」

「殿下から診るようにと言われまして」

「ああ、こんなの2日もすれば治るから、大丈夫」

「いえ。それでは私が後から叱られてしまいます」


 医師には、ナイフで果物の皮を剥こうとして怪我をしたと嘘をついた。


「冷酷なのか、過保護なのか。……どっちなのよ?」

親指に大袈裟に巻かれた包帯を見てそう呟いた。


 手当を受け終わると、医師と入れ替わるように女官たちが入ってきた。


「おはようございます。朝の支度をお手伝いさせていただきます」

「おはよう。……あの、先に湯浴みをお願いしたいのだけど」


 昨日、あれほど嫌だと言った香油を塗られてしまい、身体中がベトベトとして不快なのだ。親指に包帯を巻いているけど、どうせ自分では洗わせてくれないんだろうから、ちょうど良いわ。洗ってもらおう。


 3人の女官が当たり前のように私のガウンを脱がすと、全身に残る赤い痕を見つけて息をのんだ。


「まさか……」

 そんなふうにつぶやきながら、彼女たちがこそこそささやき合っている。


「……別に、病気じゃないから感染の心配はないわよ?」

「分かっております!」


 昨夜、ベランダのソファーで寝たのが悪かった。9月といえども暑さが残る帝国にはまだ蚊がいて、寝ている間に結構、刺されてしまったのだ。


 絶対、あのベトベトする香油が原因だと思うけど! 眠りながら搔いてしまったようで、身体のいたるところに赤い痕が残ってしまった。

 なぜか急に黙り込んでしまった彼女たちに、乱暴な手つきで腕を取られ浴室まで連れて行かれる。


「そんなに強く引っ張らないで。あちこち痛くて、早く歩けないの」

「っ!!」

 すんごい形相で睨みつけられた。


 仕方ないじゃない。昨日の馬車移動のせいで、腰もお尻も筋肉痛なんだもの。


 湯浴みを済ませ、着替えを終えると、お化粧だけは自分でやるから大丈夫だと言って席を外してもらった。なのに――待てども誰もやってこない。とっくにお化粧も終わっている。


「おかしいなぁ。『皇太子妃様は女官が迎えに来るまでお部屋を出てはなりません』って言ってたのに。誰も来ないじゃない」

 仕方なく一人で食堂へ降りていくと、殿下がすでに着席して食事をしていた。


「おはようございます」

「ずいぶん遅かったな。2度寝でもしたのか?」

「……」

「医者には診てもらったか?」

「はい」

「痛みは?」

「もうありません」


 席に着くと、朝昼兼用の食事がサーブされた。

 けれど、親指に巻かれた大袈裟な包帯のせいで、うまくナイフが持てない。


 カチャカチャ。


 音を立てるたびに、殿下のみならず彼の後ろに控える使用人達までもが白い眼を向けてくる。


 はぁ――。ソーセージ、切れない。もういいや。果物だけ頂くことにしよう


 小さくため息をつくと、殿下がすっと私のお皿を取って、ソーセージを切り分けてくれた。


「……ありがとうございます」

「料理長へ妃の食事は一口サイズに切って出すよう、言っておいてくれ」

「かしこまりました」


「悪いが私は執務があるから、先に失礼する」

「執務? ……忙しいんですね」

「あぁ。あいにく、朝の支度に何時間もかけられるほど、暇じゃない」

「むっ」


 私だって、別に暇だったわけじゃない。誰も呼びに来てくれなかっただけで――。

 いや、暇なのか?

 だって、することないんだもの。


 それにしても、女官たちには「初夜の儀」を済ませたと思わせたいくせに、身体が辛いであろう新妻をこの伏魔殿に一人残して新婚1日目の朝から執務室に消える夫って、どうなのよ!?

 100歩譲って新婚旅行はないにしても、普通、1週間くらいはお休みを取るものなんじゃないの?


 そんなことをグルグルと考えていたから、殿下が話しかけてきたことに気づかなかった。


「――?」

「……」

「――い」

「……」

「――おい、聞いているのか?」

「え? ああ、はーい」

「言葉は伸ばすな」

「はいはい」

「『はい』は1回だ」

「細かいなぁ」

「あ?」

「別に。ほら、殿下。公務へ遅れますよ? 行ってらっしゃいませ―」

「だから、語尾は伸ばすな」


 その日の午後は、宮殿という名の伏魔殿を歩いて見て回ることにした。

 仕方ないのかもしれないが、どこへ行くにしても、自分より派手にお化粧し着飾った女官たちが、ゾロゾロと後ろをついてくる。


 筋肉痛に顔を歪めながらヨチヨチ歩いていたせいか、「初夜の儀」が無事に行われたという噂がアッと言う間に宮殿中へ広まった。

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