第8話 初夜
披露宴が急遽中止となり、部屋へと連れ戻されると、今度は女官たちに囲まれてドレスを脱がされた。浴室に案内されるや、3人がかりで身体を洗おうとするものだから、つい叫んでしまった。
「一人で大丈夫!」
「そういうわけにはまいりません」
「裸を見られるのは恥ずかしいの!」
「慣れていただきませんと。私どもも仕事ですので」
「そのベタベタする香油は塗らないで!」
これ、なんの拷問なの!?
羞恥心と怒りが入り混じった気持ちのまま案内された部屋で待っていると、予想外に早く殿下がやってきた。すでに湯浴みを済ませたようで、漆黒の髪の毛が濡れている。少し開いたガウンから厚い胸板が見えていて、醸し出す色気が半端ない。
「……素顔は全然違うんだな」
「そうかな」
「あぁ。何というか――」
「まだ16ですから。殿下から見たら、お子さまでしょう?」
「今日は、いろいろすまなかった」
「いえ……」
「――ワインのことは気づいていたんだな」
「はい」
「くくくっ。おかげで助かった」
あの時、殿下に「では殿下、どうぞ――飲む振りを」と耳打ちしたのだ。
実は昔、同じ手口でひどい目にあったことがある。
王国では飲酒に厳格な年齢制限はなく、15歳を過ぎた頃から皆お酒を嗜むようになる。ランスロットとの婚約を祝ってくれるという名目で高位貴族の令嬢たちと食事会をしたとき、正妃の座を狙っていた令嬢から同じようにワインを差し出され、「産まれ年のワインを頂けるなんて、嬉しい~」と無邪気に口を付けたのだ。その後、しばらく口の中が痺れて、大変だったのを覚えている。
――それにしても、やっぱり、あの時殿下に飲ませてしまえばよかったなぁ。
あのワインを口にしていたら、今ごろ初夜どころではなくなっていたはずだから。
いや、でも香りで気づいたはずだよね。
「……緊張しているのか?」
「はい」
「私達は夫婦となったが、貴女は未成年だ。望むのであれば、初夜の儀を成人するまで延期しても構わない」
「構わないんですかっ!?」
「もともと、貴女が成人するまでは、白い結婚でいるつもりだったからな」
「しろいけっこん? ……どういう意味?」
「知らないのか?」
「帝国語は祖母から習っていたけれど、その単語は聞いたことがなくて」
「だろうな。……白い結婚というのは、普通の夫婦がすることをしない、と言う意味だ」
「え?」
「だから、夫婦の務めを果たさない、と言う意味だ」
「務め……社交とか?」
「夜の営みをしない、という意味だ!」
「なーんだ、性交渉なし、という意味か」
「気を遣って遠回しに言っているんだが……」
「えっと、『しろいけっこん=性交渉なし』と」
「おいっ、何をメモしている?」
「知らない単語はこうやって単語帳にメモして覚えるんです」
「メモするなっ!!」
「え? どうして?」
「そんな単語、日常会話で使うことなどないだろう?」
殿下が単語帳を取り上げようと私の手首を掴んだ反動で、床にバサリと落ちてしまった。それを拾い、パラパラと頁をめくっていた殿下の顔が、次第に険しくなっていく。
「なんだこれは! どれも普段使わない単語ばかりじゃないか!」
「そんなはずは! 今日だけで何人もの人から耳にした単語だもの」
「はぁ?
『おてつき=主人が女官と関係を持つこと』
例文)殿下には、おてつきの女官が宮殿内にたくさんいる。
『クズ=役に立たない人のたとえ』
例文)言葉も文化も知らないクズは早く
『お飾りの妻=愛されず必要もされない用なし妻のこと』
※ これって私のこと!?
……なんだこれ。こんなもの覚えるな!」
「せっかくメモしたのに」
「間違いだらけだ」
「どの部分が?」
「全部だ!特に『おてつき』の例文!……誰に聞いた?」
「誰って、女官たちですけど」
「……貴女付の?」
「はい」
「全員、解雇だ」
「そんな! 国語力に問題があるだけで、解雇だなんて大袈裟ですよ」
「そういう問題じゃない!」
「――それで話は戻るが、初夜の儀はどうしたい?」
「延期してくれるなら、そうしてほしい」
「分かった。少なくとも貴女が成人するまでは白い結婚でいよう。私のことは貴女の身分を預かっている叔父くらいに思ってくれたらいい」
「叔父? ……殿下って、いくつですか? もしかして若く見えるだけで――」
「23だ! 18歳になったら、王国の公爵位も返上されるんだろう? もしその時、王国に帰りたいと思うのならば、離縁して戻ればいい」
「『戻ればいい』って……この婚姻は、両国の和平のためのものでしょう?」
「政略的な婚姻を結ばずとも平和を保てるようにすればいいだけだ」
「私が成人したら、離縁するってこと?」
「離縁したとしても貴女はまだ若い。再婚も容易だろう? 帝国に留まりたいならそうすればいいし、気に入った男ができたならそこへ嫁げるよう協力する」
「それって、殿下が私の再婚をごり押ししてくれるってこと!?」
「そういう単語は知っているんだな」
「『根回しが、ダメなら最後はごり押しで』ってよく祖母が言ってたから」
「……どういう家庭環境で育ったんだ?」
「祖母と2人、慎ましやかな暮らしでした」
「……」
「それで確認ですが、殿下は私が成人した暁には、権力で私を好いた殿方の元へと嫁がせてくれるんですね?」
「そうだ。だから数年、私の妻でいてくれればそれでいい」
「お世継ぎはいいんですか?」
「心配いらない」
「今年7歳になる皇子様がいらっしゃると聞きました。ちなみに、皇子様のお母様はどちらに?」
「知らなくていい。貴女が彼女たちと接触することはないから、安心しろ」
「――そうですか」
「数年内には解放する。それまでは、帝国で心穏やかに過ごしてくれ」
「公務はどうすれば?」
「皇太子妃の公務は、別の人間が務める。とはいえ、公式行事には貴女も参加することになるから、最低限の皇太子妃教育は受けてもらうことになる」
「分かりました」
「できるだけ貴女の願いは叶えるつもりだ」
「ありがとうございます」
「……アン夫人のことは、残念だった」
「祖母を知ってるんですか?」
「昔、世話になった」
「そうでしたか」
「他に聞きたいことはあるか?」
「殿下は、私に何を望みますか?」
「妻という立場でいてくれさえいれば、何も望まないし期待もしない。自由に過ごしてくれていい」
「っ……わかりました」
「もう寝るか。今日は疲れただろう?」
「はい。……じゃあ、おやすみなさい」
「何処へ行く?」
「ここは夫婦の寝室でしょう? 自分の部屋へ戻ります」
「女官達には、初夜の儀は済ませたと思わせておきたい。気は進まないだろうが、今夜はここで寝てくれ」
「この部屋のベッドは使えません!」
「どうして?」
「だって。私と離縁したら、殿下は相応しい女性を皇太子妃に迎えるんでしょう? たとえ名ばかりだとしても、前妻と使っていた夫婦の寝室など、嫌でしょうから」
「……」
「私は早朝、こちらに戻ります」
「共寝が嫌なら、私が出て行く」
「分かりました。じゃあ、毛布だけください」
薄手の毛布を持つと、裸足のままベランダに出た。
南に位置する帝国は、秋でも肌寒さを感じさせない。
夜空の星は、帝国も王国も同じだ。
だから、星を眺めながら心の中で祖母に話しかけた。
「お祖母様。こんな私でも、少しはお役に立てるでしょうか……」
殿下の放った、『何も望まないし期待もしない』という言葉が頭の中でこだました。まるで自分の存在を全否定されたようで、胸が張り裂けそうに痛む。疲労困憊の身体は眠りを必要としているのに、頭が冴えてなかなか寝付けなかった。
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