第4話 想定外の結婚式

 帝国の皇太子、アルフォンス殿下との婚約期間は、3か月という異例の短さだった。

 ランスロットとの結婚準備ですら1年がかりだったのだから、帝国の皇太子との結婚となれば、儀式の流れから始まり、帝国流のマナー、貴族相関図、言葉遣いなど覚えるべきことが多岐にわたるはずだと意気込んでいたのに、私のそんな覚悟はあっさりと踏みにじられた。


「婚姻式の当日、発言は必要最低限に抑え、こちらで用意したフレーズのみをお話ください」

「どういうことかしら?」

「エレナ様の名誉のためです」

「ただお人形のように座って、馬鹿みたいに微笑んでいろと?」

「帝国のマナーも言葉も覚束ない現状では、それが最善かと。下手に皇族や高位貴族の前で恥を晒せば、今後の皇太子妃としての立場を悪くしかねませんから」

「……一応、式次第と出席者リスト、貴族相関図などが分かるものを準備してください」

「かしこまりました。しかし、そのために講師を付けることは出来ない旨、ご了承いただけますか?」

「ええ。貴方たちに無駄な手間をかけさせるつもりはないわ」

「理解が早くて助かります。では」


 数日後、ずっしりと資料が詰まった箱が4つ、届けられた。


「な~にが、『エレナ様の名誉のためです』よ! 私だって一応、王国の運命を背負う覚悟で嫁入りするんだから。お飾りの妻とはいえ、帝国側の操り人形になるつもりなんてないわ」


 ランスロットとの挙式と新生活のために空けておいた3か月間は、みっちり帝国へ嫁ぐための準備にあてることにした。帝国側の使者はいつも王国語が堪能な文官が派遣されていたため、彼らは知らない。私が帝国語を流暢に使いこなすことを。

 だからこそ、発言は必要最低限に抑えるよう助言したのだろう。まあ、その助言はわりに的を射たものであることを後日痛感するわけだが。


 帝国流のマナーについては、帝国の公爵令嬢だった祖母から日常生活の中でみっちりと仕込まれていたから、さほど不安を覚えることもなかった。

 けれど、皇族の婚姻ともなれば話は別で、細部に至るまで伝統に則った手順が決められていた。これはもう暗記するしかないので、映像で繰り返しイメージすることで覚えていった。


 最大の難関は、帝国議会の議員をはじめとする権力者や有力貴族の勢力図を頭に叩きこむことだった。これらの情報は生き物だから、日々変動する政情や権力関係を説明してくれる人物の助けが不可欠だ。そこで、祖母の葬儀に参列してくれた人の中から目ぼしい人物にあたりをつけ、家庭教師をお願いすることにした。それがセヴラン先生だった。


 セヴラン先生は、祖母が帝国の貴族学園に通っていた頃の同級生で、皇族の教育係を引き受けたこともあるほどの人物だった。祖母から生前、私が幼い頃に何度かお会いしたことがあると聞いていたため、一縷の望みを託して手紙を書いた。


 今は引退して各国を周遊していると聞いていたため、あまり期待し過ぎずに待っていたのだが、セヴラン先生は快く承諾してくれると、5日後には公爵領へやってきて婚姻式の前日まで私を導いてくれた。


 事前資料では、結婚式は帝国の首都にある大聖堂で行われる予定だと書かれていたが、実際には王国と帝国との国境にある町の小さな教会で挙げられることになった。


 それは、皇族の結婚式とは思えないほど小規模なものだった。神父の前で誓いの言葉を交わし、最後に結婚証明書に署名するだけという簡素なもので、義父となる皇帝陛下の出席などもちろんなく、参列者もごくわずかだった。

 唯一の救いは、夫となる人――アルフォンス皇太子殿下――がその場にいたことだった。


 こういう場合、代理人が新郎役を務めることも珍しくはないのに。


 国境を越えたところで馬車が止まり、小さな教会の控室に通されると、ネウステリア帝国軍の赤を基調とした制服を着用した、眉目秀麗な偉丈夫が私を待っていた。漆黒の髪に、青金石ラピスラズリのように濃い青紫の瞳をした彼は、無自覚に人へ畏怖の念を起こさせる雰囲気の持ち主だった。


「よく来てくれた」

 アルフォンス殿下は静かにそう言って私の輿入れを労う言葉をかけてくれたけれど、恐ろしく整った顔立ちをした彼の表情からはどのような感情も読み取れなかった。殿下は、帝都にある大聖堂ではなくこの町の教会で挙式する理由を、淡々と語ってくれた。


 彼の話によると、準備期間が短かったということもあるが、私が未成年であることが重視されたということだった。

 帝国でも王国でも、成人は18歳である。夫となるアルフォンス皇太子が成人であるため結婚自体は法的に許されるが、国民や高位貴族へのお披露目は、成人後、私が皇太子妃として相応しい品格と教養を身に付けてから行う方が良いだろうと判断された、とのことだった。


 たしかに未だ心の準備が整わない私にとって、それはむしろ有難い申し出だった。

 けれど、せっかく覚えた儀式の流れも、これまでの努力も、全てが徒労に終わるのだと知ったとき、耐えがたい疲労感を覚え、祖母を亡くしてから初めて、瞳が涙の膜を張った。


「もうここには、私のために泣いてくれるランスロットはいない」

 自律しなければ――その想いだけが、私を踏みとどまらせた。


 粛々と指輪の交換をするが、事前にサイズの確認もされずに用意された何の思い入れもないその指輪は、私の薬指には大きすぎた。帝国側のおざなりの対応は、私の輿入れに少しの時間も予算も人手も割きたくないと思っていることを如実に物語っていた。


 だから、誓いのキスだって、てっきり額か頬にされるものだと思っていた。


「――を誓いますか?」

「誓います」

 殿下が存外にはっきりした声で答えた。


 次は私の番だ。

「――を誓いますか?」

「ちかいます?」

 質問に対して疑問形で答えてしまい、参列者から嘲笑があがる。


 帝国語は、祖母との日常会話で使っていたから流暢に使いこなすことはできる。しかし、敬語表現はまだ学習途中だった。これで合ってるはずよね?と思いながら答えたら、意図せず疑問形になってしまった。


『だから、こちらの言ったとおり、発言は必要最低限に抑え、予め用意されたフレーズを丸覚えすればよかったんだ』という側近の声が聞こえてきそうで、無意識に下唇を噛んだ。


 ざわめきを、神父様が咳払いで収めてくれる。

「こほんっ。それでは、誓いの口付けを」


 アルフォンス殿下が私のベールをそっと持ち上げる。

 堂々と構えて居たいのに、ランスロットの婚約者として成人男性から隔離されて育てられてきた私は、殿下の手が肩に触れただけで自然と身体が硬くなるのを覚えた。


 16歳の花嫁の覚悟を無碍にした、この冷淡さを身にまとった彼がどんなふうに私に触れるのだろうと目を見開いて見ていたら、チュッと瞼に口付けを落とされ、反射的に瞳を閉じた。


 てっきり、誓いのキスはそれで終わりだと思った。

 けれど、予想に反して温かな口付けが唇に落とされた。


「ん?」

 ゆっくりと唇が離れていき、驚きで瞳を開けると、再び柔らかな感触が口元に落ちてきた。


「んんっ?」

 さすがに2回の口付けはどうなのかと抗議しようと軽く開けた口は、またしてもあっさりと彼に塞がれた。

 3度目の口付けは、これまでよりもずっと深く、参列者からどよめきが起こるのを感じた。


「っ、殿下!?」

「誓いの口付けは3度。それが帝国流だ」

「うそっ?」

 嘘だ、そんなこと、どこにも書かれてなかった!


「くくくっ」

「なに?」

「口付けは初めてだったか? 耳まで真っ赤だ」

「うっ……」

「こんなので照れてたら、子などできないぞ?」

「ひぃっ!」

「悪い。……からかった」

「ひどい」


「信じられない」と言って頬を膨らませて憮然とする私のほっぺたを両手でつまみながら、

「これから披露宴のため帝都へ移動する。小規模な食事会だから、そう硬くなるな」 そう言って、にやりと笑った。

 見目麗しい帝国皇太子の正体は、一筋縄ではいかなさそうな性悪王子だった。

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