第3話 婚約解消の裏舞台

「ランスロット殿下。ヴィクトリア様とのご婚約、おめでとうございます。挙式の準備は、つつがなくお進みですか?」

「ヘレナ。俺に敬語なんて使わないでくれ」

「私はもう、殿下の婚約者ではありませんから」

「っ。ヘレナ、頼むから――」

「分かった。……ランスロット、わたし、貴方に謝らないといけないことがあるの」

「ん?」


 それから私は、祖母が密かに余命宣告を受けていたこと、私に隠れて帝国から新薬を取り寄せて服用していたことを伝えた。そのことを知ったのは、葬儀の2日目、祖母の部屋を整理していた時だったということも。


「同情でもいいから、葬儀が終わるまでは、ランスロットに側にいてほしかったの」

「そうか」

「ごめんね。貴方の罪悪感を利用したりして」

「いや、嬉しいよ」

「え?」

「ヘレナが俺を頼ってくれることなんて、なかっただろう?」

「……そんなことない。いつも馬鹿なふりをして、何気なく私を助けてくれてたの、ちゃんと知ってた」

「俺はバカだからさ」

「ヴィクトリア様……本当は妊娠なんてしていないんじゃない?」

「っ」

「彼女に会ってみて、直ぐに分かった。婚約者がいる男性を寝取るような女性じゃないって」

「ヘレナ……」

「何があったの?」


 ランスロットは、俯きながら、事の一部始終について話をしてくれた。


 あの日、ヴィクトリアと過ちを犯してしまったと思い込んでしまった日。

 防衛大臣――ヴィクトリアの父親であるコールネイ侯爵――は、珍しくヴィクトリアを連れて王宮に出仕していた。帝国側との和平に関する議論が終わったあと、コールネイ侯爵からヴィクトリアと一緒にお茶でもどうかと提案された。


婚約者ヘレナがいるため、ヴィクトリア嬢と2人きりでそういうことはできない」と告げると、「私も一緒に3人でお茶をするならば問題ないでしょう」と言われ、それならばと承諾した。告げられた部屋に入ると、ヴィクトリアしかいなかった。


「もうすぐ父も参ります」

 そう言ってヴィクトリアが手づからお茶を淹れてくれた。普段飲むお茶に比べて変わった香りだなと思ったが、東国から取り寄せた燻製茶だと聞いて納得し、口に含んだ。それからのことは記憶にない。


 ――数時間後、目覚めると自分の寝室で横になっていた。

 服を着ていないことに気づき飛び起きると、隣で素裸のヴィクトリアが寝ていた。

 驚いて呼び鈴を鳴らしたのが不味かった。すぐに侍女や護衛など複数人が寝室に入ってきて、同衾している自分たちの姿を見られてしまった。


 当日のうちに陛下や王妃、ヴィクトリアの父であるコールネイ侯爵の知るところとなったが、彼らの反応は予想を裏切るものだった。両親から王太子としての自覚のなさを指摘され叱責されることもなければ、侯爵からヴィクトリアとの婚姻を迫られることもなかったからだ。

 しかし――それから1か月程して、ヴィクトリアから「月のものがこない」と打ち明けられた。


「その後のことは、ヘレナの知っているとおりだ」

「そっか。私、ランスロットに裏切られてたわけじゃなかったんだ」

「ヴィクトリアのことを慕ってたのは事実だけど。でも、ヘレナを傷つけてまで一緒になろうだなんて、考えたこともなかった」

「……バカ正直なんだから」

「ごめん」

「今、水面下で動いている講和条約。私と帝国のアルフォンス殿下との婚姻が、締結の条件だったみたい。私の退路を断つためにも、ランスロットを早急に他の女性と婚姻させる必要があったんだと思う」

「……」

「陛下も王妃様も、ランスロットが情に厚い子だということはご存知だったでしょうから――だからこそ、他の女性と既成事実を作り、私との婚約を解消せざるを得ないよう仕向ける必要があった。それを先導したのがヴィクトリア様のお父様、コールネイ侯爵だった。――筋書はこんなところかしら?」

「……おそらく」


「はぁ――。ヴィクトリア様は大丈夫なの? 彼女だって、犠牲者なのでしょう?」

「父親に逆らえなかったらしい。俺を利用してヘレナを傷つけたこと、今になってすごく後悔している」

「……女、子どもや弱者は、いつの時代も政治の駒に使われる。まったく――嫌になるわね」

「ヘレナのこと、守れなくて、ごめん」

「たぶん、これが宿命ってやつなのよ」

「……」

「こんな宿命っ。反吐が出るほど嫌になる。でも――大事な幼馴染の初恋が成就して、良かった」

「ヘレナ……」

「だから、どうしていつもランスロットが泣くのよ!?」

「だって、ヘレナは泣かないだろう?」


 その日もまた、泣き虫の幼馴染は私の代わりにわんわん泣いてくれた。


「――ヴィクトリア様に、会えるかな?」

「ああ。ぐすっ。……隣の部屋に、いるはずだ」


 ランスロットにハンカチを押し付けて隣の部屋へ続く扉を開けると、ヴィクトリア様が椅子から立ち上がり、私に向かって深く頭を下げた。心労のせいか、以前会ったときよりも頬がげっそりとこけている。


「ヘレナ様。……本当に、ほんとうに、申し訳ございませんでした」

「ヴィクトリア様。――ランスロット殿下のこと、どうぞ宜しくお願い致します」

「はい。何があろうと、殿下をお側で支え続けるとお約束いたします」


 少しの躊躇も感じさせない彼女の言葉を聞いた私は、ヴィクトリア様にそっと耳打ちをした。彼女だけに聞こえるように殿下の秘密を伝えると、彼女は一瞬目を見開いたが、すぐに真顔になって、「わかりました」と答えた。


――それから1か月後。

 過去にケジメをつけた私は、清々しさを胸に帝国へと輿入れすることになった。

 帝国ではアルファベットのHを発音しない。

 だから私の名前も、ヘレナ(Helena)からエレナとなる。


 故郷を離れる悲しさよりも、新しい人生に対する希望の方が勝っている。

 けれどこの時の私は、夫から大切にはされても愛されることはない、ということの残酷さを、本当の意味では理解できていなかった。

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