人の心を種として、

@ofnfo

木漏れ日


先日、金沢から帰る足のまま大阪と京都に赴く機会に恵まれた。ともに金沢に訪れた友人の一人のご厚意で彼の家に泊めて頂くことになったのである。二人ともつかれて会話は少なく、必要な情報だけがぽつぽつと並べられるが、それでも相手の感じるところが自分のそれと同じであろうという謂れもない安心感があるのが何とも不思議である。また遠くない未来にどこか恩返しを出来る場所があることを願っている。


やはり友人関係というものは理屈では説明できないことが多い。友達を作ろうとすると、趣味や好みや笑いどころの合う人を選ぼうとしがちであるが、それらを時間と激しい言葉の暴力で吹き飛ばすような関係の方が実は安定して長続きもするのである。もちろん、好きなことを共有できる喜びもある。理由が同じことからその素晴らしさを肌で感じ、違うことからその奥深さを知る。そして何よりお互いの地平が通じ合うための叩いても割れない石橋を得る。特に好きなものがマニアックになればなるほどその出会いの硬さが大きくなる。夜中の屋上のような、緊張と興奮の入り混じる共犯関係がそこにはある。


好き嫌いは最も端的な自己開示である。いや開示ほど穏やかではない。自らの価値判断の産物を他人の価値判断の場へと曝け出すことである。そしてそれは時には思いもよらない関係の契機になるが、時に他人との差異を決定づける機会になるのである。石橋にもなるが、深淵にもなりうる存在なのである。その淵を軽々と飛び越え相手側の岸へと一回転でもしながら飛ぶような脚力が、私たちには求められていると思う。そしてそのためには、落下の危険を顧みず思いっきり踏み込む勇気が不可欠だ。そのうえで私はここに宣言する。


私は哲学が好きだ。


勢いよく決意を述べた後に気恥ずかしい気もするが、もう一つ越えなければならないことがある。哲学だけのことではないが「○○が好き」などと言うと次の瞬間にはまだ好きになり切れていないのではないかという気持ちが脳裏をよぎる。好きというのなら当然、と次々にまだ達成されていない実績、倒していない強敵たちが思い浮かび、結果として勇者になる前の村人に戻ってしまうのである。控えめでいながらどこか自信に満ちた「○○チョットワカル」という俗語もきっとこういう葛藤の末に生み出されたのだろう。私は「完全に理解した」状態である。自らの不完全さを認め、それを解消しようと試みることこそがまさに「好き」という気持ちの力強い証左なのであって、その度に私は足を踏み出すのである。


さて、「哲学好き」の旅人としての私にとって京都に行く機会があればやはり哲学の道は外せない。銀閣寺から若王子神社を結ぶ約2kmのこの小径は「日本の道100選」にも選ばれ、日本を代表する哲学者である西田幾多郎が逍遥しながら思索に耽っていたことからその名前が付いた。ありがたがってぶらぶらしただけで何か意義深い洞察が浮かぶわけではないが、木漏れ日とそばを通る細流の水音に包まれただけでも名状しがたい心の動きと日々の内省を促され、自らを取り巻き包み込む世界との間に見出すことが出来たように思う。思惟するときには、「定められた文脈」としての自己から脱しなければならないときが割と頻繁にある。無責任だろうが、厚顔無恥だろうが、そこから脱しなければ得られない何かを見つけに行く。そしてその何かの堆積が再び私たちを自由にするのである。思惟とは、究極的な自由を得る唯一の手段であるように思う。そしてその思惟の軌跡を理解しその続きを描写することこそが哲学なのではないだろうか(先ほどの謙虚さとは裏腹に随分と大胆なのはご容赦ください)。


そういった意味で、哲学の道で過ごしたひとときは私にとって一つの印象的な参照点になったことは間違いがない。きっと今後も折に触れて思い出すことであろう。あの木漏れ日に照らされた、彼の横顔と水面を。


***


のちに調べて分かったことだが、西田幾多郎は加賀(現在の石川県)出身であり、主著の『善の研究』もそこで書かれていた。それと今回の旅の間に、少し大袈裟に意味を持たせると、私は西田幾多郎の軌跡を追うように旅をしていたということになる。これには驚きと同時に喜びを禁じ得なかった。私も気づかない自分自身が、それとなく仕向けてくれたような気がした。その日の夜は短かったように思う。

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