おまけ

 廃墟探索が趣味のとある大学生が属する団体に、廃墟愛好者のコミュニティがある。

 かつては掲示板、今は匿名性の比較的高いチャットで活動している団体だった。何をするかというと、訪れた廃墟のレビューや廃墟で撮った写真のアップロード、どこにどういった廃墟があるかなどの情報共有、たまに雑談である。所属者はほぼ全員が不法侵入者であり、もしもこのサーバーに司法に携わる者が入れば全員警察の世話となるだろう。余談だが、大学生の所属する学部は法学部である。

 この犯罪者まみれのコミュニティで、話題になっている廃墟があった。

「✕✕町の鎮守の森にある神社の廃墟が最近アツい」

 神社の廃墟というものは中々に珍しいが、これまで訪れた人はコミュニティにも少なかった。鎮守の森は堀に囲まれ一ヶ所からしか入れず、さらにすぐそばには現在の神社の神主一家が住んでいる。ゆえにこっそり目を盗んで入る……というのは難しい。試みたが神主に見つかりお説教を食らった者もいるという。侵入したはいいが、御神木に藁人形を打ち付ける女性とはち合わせて金槌片手に追いかけ回された者もいる。

 ではなぜ急に話題になったかというと――夜な夜なその廃墟から泣き声が聞こえるという話が出たためだ。

 とあるメンバーの書き込みが発端だった。怖がりの癖に近くのオカルトスポットを巡るのが趣味の友人が相談してきたのだという。

「✕✕町の鎮守の森で、すすり泣きの声が聞こえてきた。誰か怪我とかしてないか探してみたら、その声は人が入れないよう扉を封鎖されたボロ神社から聞こえてきた」

 青い顔で震える友人にとりあえず生のノリでお祓いを勧めたメンバーは、その日の夜に喜々として話をチャットに書き込んだ。ヤバい廃墟がある、いやあった廃墟がヤバくなったと。コミュニティは沸き、しばらくその話題でもちきりになった。

 テストでしばらくコミュニティを覗いていなかった大学生はこの話を知った途端飛びついた。心霊現象にではない。神社の廃墟の部分にだ。彼は主に病院やホテルなどの現代建築の廃墟を巡るのが好きで、本格的な和風建築に訪れたことはなかった。いやなんかあったような気もするが、彼の脳みそはそれを思い出すことをなぜか拒否していた。

 そして即断即決がモットーの大学生は、話を知ったその日に鎮守の森へと突撃することにしたのだった。




 歩く度に草がガサガサと揺れる。名前も知らない鳥の鳴き声が周りから響いてくる。手にした懐中電灯の明かりは、遠くを照らす前に木々の間の深い闇に吸い込まれて消えていった。

 草木も眠る丑三つ時、大学生は鎮守の森を歩いていた。できたら昼間に訪れたかったのだが神主一家の目を避けたかったし、何より昼間は追試があった。本番はメタメタだった。しかし学業でしぼみきった心も、未知なる廃墟への憧れに膨らみ弾んでいく。

 よほど人が立ち入らないのか、森の中には獣道に毛の生えた程度の道しかない。そこを大学生はしずしずと歩いていく。足音。草の音。鳴き声。木の葉が風に揺れる音。雑音は聞こえてくるのに、なぜか森は痛いほど静かに感じた。背筋に不思議な緊張が走り、大学生は唾を飲み込んだ。懐中電灯をにぎる手が自然と汗ばむ。

 しばらく進むと、前方に大きな木が見えてきた。しめ縄が掛けられているのでおそらくこの木が御神木なのだろう。噂によるとここで怪奇丑の刻参り女に出くわしてドロップアウトした人がいるので廃墟はまだ先か。そう検討をつけた大学生は休憩することにした。木に寄りかかるとリュックからペットボトルの水を出し、蓋を捻って口をつける。

 不意に、遠くから声が聞こえた。しゃくりあげる声が。

 手からペットボトルが落ち、中身が地面にぶちまけられる。あれが、噂の声だ。足がすくむ。大学生は怪しげな体験はしてきた方だったが、神社の鎮守の森という一種の異界が彼を飲み込みかけていた。

 (けど、この先に)

 この音が例の泣き声だとすれば、その出本に廃墟があるのだ。静かに佇んでいるであろう、彼がまだ知らない廃墟が。

 恐怖はあっというまに興味で塗りつぶされる。興奮がエンジンに火をつける。ペットボトルを拾い上げ、彼は再び歩き出した。少しずつ大きくなる泣き声を道標にして。

 あまり進まないうちに、足裏から伝わる地面の感触が変わった。土から石畳へ。大学生は顔を上げる。そこには朱色がすっかり剥げた、神錆びた鳥居があった。そして鳥居の奥には。

 瓦がいくつも落ちた屋根。朽ちていつ壊れてもおかしくない木の柱。ただの枠になり果てた賽銭箱。横を向けば首の欠けた狛犬が向かいあって座っている。神社、というには少々こじんまりとした建物だった。中に人が一人入ればいっぱいになってしまうだろう。だがそれでも、いやそうだからこそ。神々しいものだと思っていた建物が矮小に朽ちているのは異様な迫力があった。大学生は初めて、廃墟とはおそろしいものなのだと感じた。

 古びた社の中から、泣き声はまだ響いていた。しゃくりあげているのだと思っていたがそのレベルではない。内容はなぜかくぐもってよく聞こえないが、それが嘆き悲しみ、喉も割れんばかりに叫んでいるのはわかった。何が泣いているんだろう。何をあんなに悲しんでいるのだろう。もっと近づけば、例えば扉に耳をつければわかるだろうか。大学生の好奇心が加速する。自然と社の腐った階段を登っていた。

 格子戸の奥は何も見えない。彼が体験してきた中でも一番の闇だった。戸の間には鎖がぐるぐると巻きつけられ、話の通りに封印されている。サビ一つない新品なのが、余計に不気味だった。

 大学生はそっとボロボロの扉に耳をつける。予想通り、中からはっきりと叫び声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。


「どして!なんでまたオレ捕まったのぉ!?なんでええええええ!!!!!!!!!!」

「バーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

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バカの人外の座敷牢 マフィン @mffncider

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