ペンローズの怪談

夕暮 瑞樹

ペンローズの怪談


 僕が住むこの町には、心霊スポットがよくあります。というのも、元々の山の姿が多く残っている為、町全体が薄暗く、何よりトンネルが多いのです。トンネルと言えば、怖い話が付き物。地元の小中学生というのは、心霊スポットを巡ってみたり其処に関する噂を立てて怖がらせ合ったりと、それなりに町を楽しんでいました。


 しかし、僕の町に伝わる噂は、決して冗談ばかりではありません。先程述べた、小中学生の立てる噂は全て冗談な事には間違いないのですが、どうしてそれを断言できるのか。それは、噂というのは、親や身内から教えて貰ったとしても、口外を固く禁じられているからなのです。これは一種の教育にもなりつつあり、町のほぼ全員が暗黙の了解として成り立っている法なのだと、かつての父が言っていました。


 僕は生まれは此処なのですが、幼稚園の時に、訳ありで大阪の方に引っ越しています。何の訳だったかは正直記憶に無いのですが、確か両親の離婚の時期が其処らだった気がします。僕は母と一緒に大阪へ移住し、小中高と時を経て、今度は僕だけがこの町へ帰って来ました。別に父を探しているとかそういう深い訳は無く、唯僕が志望する大学が此方の方が近かったというだけの事です。幸い家はそのままで、家賃は少なくて良いとの事でしたが、大阪に住んでいた分この町に対する恐怖心は大きく膨れ、少しの物音でも肩が上がる程緊張状態が続いていました。








 突然、読んでいた本を取り上げ地面に投げつけられ、僕の机に座る様にして誰かが現れた。


「で、竹本《たけもと》も来るんだよな?」


 そう威圧的な態度で僕に問い付けるのは、隣の学科の木村裕介きむらゆうすけ。大学の同級生で、同じサークルに入った彼は、常に三人の子分を纏うようになった。その内の一人が僕で、木村は殆どの雑用を僕に押し付けた。残りの二人は、子分という程の存在では無いけれど、所詮気の強い男によってたかる女子二人。髪の長い方が“アライ”で、団子でくくっているのが“カワサト”というらしい。半年程一緒にいる中で、木村はまだしも女子二人の名前を直接確認した事は無い。持ち物もあまり目にした事は無く、あくまで周りがそう呼んでいるからという認識である。


「おい、お前も来るんだろ?聞いてんだよさっさと答えろ。」


「い、行きますっ、」


「じゃあ今日の夜…七時で良いか。しおトン前集合な。」


彼は忘れるなよと僕のペンで机に要項を書くと、そそくさと教室を出ていってしまった。


 しおトンというのは、『紫苑トンネル』の略で、直接の発言を回避する為に考案したあだ名である。何故回避するのか。それは、それこそ、噂があるからだ。紫苑トンネルは、この町で唯一の通行不可となったトンネルで、特に霊的な意味では無く単に土砂崩れで通れなくなったというだけのトンネルである。しかし復興工事が始まると共に工事現場内での謎の事故が相次ぎ、このまま工事は続けられないと判断した市長が復興を諦めたその応急処置として、〔通行不可〕という看板を建てたのであった。トンネルの長さはそれ程長くは無く、大体百メートルくらいである。勿論途中で遮断されている為もっと短くなっているだろうが、そんなの行ってみないと分からない。もう一つ、其処に関する噂として何より有名なのが、毎晩、毎日のようにある音がトンネル内に響いているらしいのだ。これも未だ理由が分かっておらず、そもそも近くに住宅が無い為人通りも少なく、あまり情報も回らない。しかもその噂が出て来たのが最近の事で、僕が子供の頃には紫苑トンネルはごく普通のトンネルというだけであった。


 どうやら僕は今日、そんな恐ろしい場所に行かされるそうだ。正直ドタキャンも考えたし、何なら病院沙汰の怪我でもしてまで断ってやろうかとは思ったけれど、いざ行動しようとすると身体が勝手に静止してしまう。そうこう考えている内についに授業も終わり、左腕でずっと微音を鳴らして動いている短針は“6”を指していた。後一時間。一時間後に、僕はどうなっているのだろうか。散々に怖がらされて置いてけぼりにでもあっているのだろうか。


 僕は行くしかないかと分かりやすい程肩を落とし、トボトボと荷物を纏めた。




 遂に時刻は午後の七時。唯でさえ暗いこの町の一角にある紫苑トンネルは、整備されていない茂みや木々の影響もあって、更に暗く感じてしまう。


 時間通りに来たというのに、彼等はとっくにトンネルに入っていた様で。特に驚かそうという意志も見せずに、三人が笑いながらトンネルから出て来た。てっきりどんな揶揄いを受けるのだろうかと身構えていた自分が恥ずかしく思っていると、その間も彼等は楽しげに会話をしている。足音を強めても一向に気付かない様子を不審に思った僕は、更に歩を進めて彼等に近づいて行った。


「もう一回行く?」、と木村。


「良いね、行こう!」、とアライ。


「行こう行こう!」、とカワサト。


怖い場所の筈なのにやけにテンションが高い三人。まるで遊園地に向かっている様な彼等の態度は、僕の心を恐怖から不安そして心配へと変え、易々とトンネルへ入っていく彼等の後ろ姿に焼き付けられていく。


 それ程興味深いものがトンネルの奥にあるのかな。彼等の不審さに紛らわされていたけれど、確かにトンネルからは噂通りの謎の音が鳴り響いていた。


「どうしよう…、」


このまま待つか。それとも彼等の後を追うか。でも彼等の後を追ったとして、これが僕をトンネルに置き去りにする為の罠かもしれないという疑いもある。怖いのは大の苦手だし、どうせ時間も経てば彼等も戻ってくるだろうから、取り敢えず待っておくのが一番安全かもしれない。


 僕は近くのちょっとした花壇の縁に腰掛け、ひたすらに時間が過ぎるのを待った。中へ入らずとも全身に伝わってくる恐怖を、何とかまぎらわそうと努力する。何もしない、誰もいない分、時間の流れは倍になる。変に焦ってトンネルに一歩踏み出すも、十秒後には元の位置に戻っていた。近くの小石を蹴ってみようか、葉を数えてみようか、秒を数えてみようか。色々試すも、中々恐怖には勝てなかった。勝手に帰ってしまおうかとも思ったけど、此処へ留まることより明日相手がどういった様子で会いにくるのかを考える方が恐怖であった。


 そんなこんなでやっと彼等がトンネルから出てくる。出て来た途端、彼等はまた会話を始めた。


「もう一回いってみない?」とカワサト。


「良いな、行こうか。」と木村。


「行ってみよう!」とアライ。


確実に僕が視界に入っている筈なのに、順々と進んでいく会話。流石に可笑しいと思った僕は、今にもトンネルに入ろうとする三人の間を割って入って嫌でも停止させる。


「皆どうしたの、この先に何があるってのさ。」


「…?気になるならお前も行ってみれば良いじゃないか。」


「本当にその通りよ?」


「一緒には行ってやらないけど。」


そう言って三人は不思議そうな顔で僕を見つめる。気になるんなら自分で行けば良い、それは確かにそうだ。だけれど僕が言いたいのは違う。この状況において唯先を確認するだけなら気が楽だろう。しかし僕が心配しているのは行って帰ってきた後の彼等の不自然さだ。まるで何かに洗脳された様な彼等は、行ってはまた同じ会話を繰り返し、再びトンネルへ消えていく。そんなものを見せられたら、気楽に足を運んでも良いのかどうかすら怪しく感じるのだ。


「…この先に誰かいる?」


指摘はしないが、例えば洗脳系のマジシャンとか。例えば記憶も飛ぶくらい恐ろしい怪物がいるとか。


「自分で行ったら?」


僕の不安に対してあっさりと言ってのけたカワサトは、木村とアライを率いて近くの石に腰を下ろす。普段はそんなに高圧的な態度は取らない癖に、と思っていると、僕の不安を助長するかの様に後ろからの風を受ける。振り向いても、其処にはトンネルの入り口しかなく、出口も塞がっているんだから到底風が吹き抜ける訳も無い。


「行かないのか?」


その言葉にとどめをさされ、何かを決心した僕はゆっくりと足の向きを一転させた。


 一歩ずつ、自分という存在を確かめながら足を進めていく。そうでもしないと恐怖のあまりに気を失い、僕は本当に取り残される事になる。響く音はどんどん鮮明にかつ大きくなっていき、内容は聞き取れずとも音の発信源となる様なものが大体分かってきた。




ーーーラジオだ。




 時折聞こえるザーザーという音、そして肌に伝わる痺れの様な違和感。中の声は何やら怒鳴ったり笑ったりと感情豊かな様だけれど、決して生の人間が実際にいる訳ではなさそうだ。更に歩を進めて行くと、やっとトンネルの奥に行き止まりの様な壁らしきものと、地面にポツンと置かれた古びたラジオを、僕の懐中ライトが捉えた。


 一回後ろを確認にてみようかと自身に煽りを入れたものの振り返る勇気には至らず、結局僕は奥へ奥へと進むしかなかった。何がともあれ、あの三人を狂わせる程のラジオの内容を一度は聞いてみたい。もしそれが面白みのあるものなのであれば明日にでも学校で言いふらしてやろう。そうして僕は安泰な生活を手に入れるんだ。もうパシられなくて済む、平和な学校生活を手に入れるんだ。


 赤褐色のラジオは錆びたり一部部品が壊れていたりするが、ダイアルを回せば周波数もあいだんだんと内容も聞き取れるまでになってくる。トンネルだから音が響いて聞き取れなかったと言うのもあって、ある程度の範囲に入ると急に音が輪郭を持ち始めた。僕はラジオの内容に集中した。






ザザッザーザー…




 ねぇ、その可笑しな思考回路は何な訳?こんな時間に人を呼び出しておいて用が無いなんて、能力も無ければ礼儀すら無いの?




 違う。俺はちゃんと話をしに来た。




 だから僕はお前なんかと話なんてしたくないって。君みたいなバカと話してたら僕までバカになるじゃない。




 それでも、聞いて欲しい。最近の俺に対する当たりがきつい気がするんだよ。何で会う度殴ってくるの?それをやめて欲しいだけなんだよ。




 仕方ないじゃない目につくんだから。頭もないお前の何がクラスの代表なの?どうして先生に好かれているの?賢い子を育てるのが教師の目的なら、僕が一番応えてるじゃ無いか。




 理不尽だよ。それに先生の目的は賢い子を育てるだけじゃ無いと思う。確かに、僕はあんまり成績は良く無いけど、多少の仕事は出来ているし…。そもそも、そんなに嫉妬してるんなら君も立候補すれば良かったじゃん。




 嫉妬じゃないよ、呆れてるだけ。君を選ぶ様な先生に、僕は従いたく無いからね。




 …兎に角もう殴らないで。




 それは無理だよ。言ったでしょ?これはゲームなんだって。皆のヒーロー、人気者でお優しい君が、どれだけ僕の娯楽に付き合っていられるかのゲーム。君は僕が満足するまで、一生耐え続けるんだ。痛い事でも、苦しい事でも。




 そうは言ってたけど、俺はそのゲームに賛成なんてしてない。




 知らないよそんなの。頭がないんだから、それくらい我慢すれば?




 最後だよ。謝らないの?いや、別に謝らなくても良いよ、やめてくれたら。




 やめる訳無いでしょ。馬鹿じゃ無いの?


 


 本当に良いの?最後だよ?




 何が最後なのさ。謝る訳ないでしょ?僕が君なんかに。




 …もう良い。




 え?…なっ!?っっ待って、待てってっ何すんだよ⁉︎




 もう僕は、耐えられない。耐えたくない。だから君を消す。協力者も来てくれた。俺がどんなに苦しかったか、あんたには分からないだろうな、




 っ!だからってっ一人に対して三人も卑怯……っ……




ザーザーザッザッザー…






 そしてまた冒頭からの言い合いが繰り返される。僕はこの録音された会話を、唯黙って聞いていた。いつの間にか緊張が解け、冷静な思考が蘇っている。その冷静さの中で浮かんできた疑問は二つ。一つは、誰がこれを録音していたか。一つは、そいつは生きているのか。


 今の僕の体温は確かに低かったが、それは恐怖から来るものではなかった。最後に彼が発した名前を、僕はもう一度復唱する。


「木村…。」


僕の中で、徐々に、忘れ去っていた記憶が蘇ってきた。


 僕と木村は、同じ小学校の同級生で、確かクラスも一緒だった。成績優秀者であった僕は、いくら優秀でも親から認められない事を腹いせに、クラスでいじめを働くようになった。当時、頭が悪いのにルックスや人格のおかげでクラスの人気者であった木村が、目についたのだった。今考えてみれば、頭の良さで友人関係がどうこうなるのは早くて中学からであって、小学生の人気者なんてルックスやら運動神経やらでしかないんだ。だから美意識など別世界のものだと思っていた僕に、しかも運動神経なんてまるで無かった僕に、注目が集まる訳が無いのだ。それでも僕は期待し続け、そして裏切られ、反って格好のつけ方を間違えた。強ければ良いんだと閃き、その強さを履き間違えたのだ。


 その一年後、僕は木村から直々に呼び出された。「ちょっと用があるんだけど。」と言う真剣な彼の顔を、僕は微笑を浮かべながら見ていたと思う。後に続くのは、ラジオに流れる内容と同じだった。僕は影から出てきた協力者、いわば川里と新井に抑えられ、木村に殴り付けられた。何故その女子二人が出てきたのかは不思議でならなかったが、兎も角木村の手にはナイフが。僕はその時初めて、相手が本気なのだと知った。


 けれどこれには続きがある。その証拠に、僕は死んではいない。結論から言ってしまえば、僕は彼に勝ったのだ。彼と言うか彼らというか。きっと阿呆な彼は、殺人に他者を巻き込む罪悪感から滅多な人を選んで来なかったのだろう。更に言えば、他者の殺人に加担する様な奴に滅多な思考をする奴はいないのだろう。取り押さえている手の位置は全くの無意味だし、幾ら運動不足な僕と言えど女子に勝てるほどの力はあった。僕は木村がナイフを振りかぶる瞬間を見さからって右にいた彼女を不意に引き寄せ、そのナイフが丁度バランスを崩した彼女の背に刺さるのを確認すると、驚いて手を離した彼を視認する。身代わりとなった彼女の背に手を回してナイフを手にした僕は、動けずの木村にそれを埋め込んだのだ。必死で逃げようとしたもう一人の彼女も、多少の抗争の後にしっかりと最期を迎える。そして三人を土に埋め、蓋をし、これは正当防衛だと自分に言い聞かせながら何事も無かったかの様に家に帰った。


 そこまでの生々しい記憶が一気に自分の脳内に流れ込む。何故今までこんな大事を忘れていたのだろうか。僕は自身が不思議でならなかった。思い出した所で決して怖い訳ではない。さっきまで話していた彼等が死んでいたという事実も、すんなりと受け入れる事は出来た。唯問題は、さっきも言った通り誰がこれを録音したのかと言う事だ。この町の何処かに、僕の過去を知っている奴がいる。それだけは許してはいけないし、許しがたい事実であった。ちょっと揶揄っただけで殺人へと手を伸ばしてしまう様な馬鹿で阿呆な人間を折角殺してあげたと言うのに、そいつの所為で僕の人生が狂うとかあり得ない。そうだ。僕は正しい事をしたんだ。これは正当防衛だ。そう、これは正当防衛。正当防衛。正当防衛。正当防衛。正当防衛なんだ。


 早速奴を見つけ出して殺しに行かなきゃ。そう思って勢いよく弾んだ足で回れ右をする。犯人探しの探偵の様でワクワク感に溢れた僕に、今や恐怖なんて感じない…筈であった。


 しかし勢いよく振り返った目前には青白い顔をした三人が立っており、真っ直ぐな目で僕を見ていた。あまりにも不意打ちで現れた彼等の圧に負け、僕の足は地面に強く跡を残す様に固くなる。


「な、なんで…。」


僕は彼等に負けじと何とか突破口を探したが、遂に彼等の圧からそして視線から逃れようとありもしない出口を求めて再度後ろを振り返ってしまう。しかし其処にも彼等の視線が。それも並んで立つ彼等とは違い、崩れてトンネルを塞いだ土砂の断片から、いつのまにか音を消したラジオの奥から、三つの顔が覗いているではないか。その三人の顔といい、冷え切った空気といい、全てのものが恐怖に感じられた。震える僕の喉は情け無い声を出し、震える僕の全身は同時に放たれる六つの視線によってがんじがらめにされていく。


「違う、こ、これは正当防衛…正当防衛、正当、防衛だから!もうやめて…、は、離してくれっ‼︎」


其処まで言うと、突然、僕の肩に手が置かれた。耳のすぐ側で聞こえるか細い呼吸音は、この静かなトンネル内にはよく響く。


『やめる訳、無いでしょ。』








 このゲームを、一体彼等はいつまで続けるつもりなんだろうか。


 僕は近くの花壇に腰掛け、出口のないトンネルの入り口を、ぼーっと見ていた。その暗闇から楽しげにやって来たのは、三人の男女達。そして間も無くまたトンネルへと入っていく。一度立って此処から離れようと試みるも、歩いている内に気付けば僕もまた花壇の側である。一生此処から出られない。奴も見つけられないまま、一生、楽しげにトンネルを出入りする彼等を見ていなければならなかった。変わった事と言えば唯一つ。行き来する彼等の顔が、何処の場面をとっても此方を向いている事だ。普通なら考えられない方向に首を曲げてまでして、僕を視界から外そうとしない。


 そんな不気味な光景を、僕はいつまでも、彼等が満足するまで、見ていなければならなかった。

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