Ⅱ卯の刻 魔物の森麓の教会前
「……一つ言わせろ聖職者」
「クリス·フォワード。貴殿が自ら聞き及んでいると言っていただろう」
「はあ」
日の登った早朝、森の教会前。教会の赤茶けた煉瓦の壁は朝の光の中で暖かい色を孕み、凛とそそり立つ外観は神の御前の名に相応しい。築百年を越えても信仰の途切れぬこの教会も、まだ日曜礼拝の時間でない今は人気が無い。そこに佇む人影が二つ。至って穏やかな表情の聖職者と、苦虫を噛み潰したような表情の青年。襤褸のフードをだらしなく被っているため、紺色の髪と瞳が垣間見えている。誰もこの青年が巷で噂される「最恐」の人狼だとは思うまい。
「そう気を落とすな、人狼。神の裁きを受けさせるために連れてきたのではない。禊の庇護下にあるのだから、教会にも無傷で立ち入れるはずだ」
「……ちっ」
悠然と聖職者が歩きだすと、青年も続いた。がちゃ、と教会の大扉が開かれる。ステンドグラスから朝の光が漏れ、聖母画を柔く照らし出す。そして通路の両側に並ぶ木製の長椅子に人影が一つ。
「御早う御座います、ミスターシルク」
「やあ、そっちこそ早いなクリス。そこの旦那連れて来たんだろ?」
長椅子に座りトランプを操っていた男が振り返る。灰色の髪は白髪混じりにも見えるが、黒曜色の瞳は悪戯っ子の少年の様な輝きを湛えている。年齢の読めない男だ。目を完全に離しているにも関わらず依然トランプは右手から左手、また右手とパラパラ動き続けている。
「彼はミスターシルク。よく教会に遊びに……否、子供達の面倒を見に来ている」
紹介された男はやっと手を止め、椅子の背もたれ越しに身を乗り出した。
「俺はシルク。シルク・ウェルディン。皆んなはミスターシルクなんて呼ぶ。ま、その辺に居る手品師さ。よろしくな旦那」
シルクに差し出された手を青年は黙って見つめた。
「ところでミスターシルク。何故こんな朝早くから教会に?礼拝にはまだ時間がある。いる分には全く構わないが……」
「何、手品師の勘さ。旦那に会える気がしてね。……あんた、あの噂の人狼だろう?」
手を引っ込めたシルクは、青年……否、「最恐」の人狼の目を見て、言った。臆することなく。そうであると知っているかのように。
「お前魔女か」
「まぁね。女じゃあないが。母親が魔女だった」
「ミスターシルク」
咎める様に聖職者が言うが、シルクは先程とはうって変わり、静かな湖畔のような凪いだ瞳をして続ける。
「クリス。この旦那をただの討伐や封印としなかったのは、『魔女狩り』の解決のためだろう」
クリスは押し黙った。
_魔女狩り。
数十年前、その名の通り、魔女を初めとする魔族の狩り、すなわち掃討が人間によって行われた。争いは激化の一途を辿り、お互いの指導者が相討ちとなったことで漸く終結した。生き残った魔族は森に隠居するか、「人間」として生きなければならなかった。
「俺の母親はその時死んだ。別に恨みがどうとかはないがね、旦那も思うところはあるだろう、魔族の長?」
「確かに多くの同胞を……父を殺されたのは恨んでも恨み切れないお前ら人間の所業だが、まさか今更協調してくれだなんて言わないだろうな。憎みこそすれ解決に協力等するか」
「まぁそうだろうが、人間と魔物、双方に利のある話だ。魔女狩りの前は、確かに人間と魔物は相互に協力し合って生活していた。それは旦那も知るところだろう?」
「話に聞いただけだ。仮に知っていたとしてもお前らのやったことは変わらない。過ぎたことは戻らない。去った命も帰らない」
「確かにな。だが、」
コンコン。静かな論議の中、軽いノック音が聞こえた。
「クリス殿、」
「レヴェルか」
神官がいらえると、きいと音を立てて扉が開いた。
「お早う御座います、クリス殿」
「おはようございます。神官さん」
「お早う、レヴェル、フィルディオ。礼拝にはまだ早いが何かあったのか」
神官が問うと、タキシードの男は恭しく、コートの男は微笑を浮かべながら答えた。
「いいえ、私共には変わり御座いません。然しながら、私共も夜の住人故、昨夜の森での出来事を察知した身としては、クリス殿にお変わりないかと勝手ながら懸念しておりまして、ご迷惑と存じながらお訪ねした所存で御座います」
「回りくどいけど心配で見に来たって事です。元気そうですね、狼さんも手品師さんも」
「ちっ、折角真面目に話してたってのに」
シルクが静謐な雰囲気を霧散させて舌を打った。
「貴方が真面目に行動するとは、明日は大蒜が降りますね」
「そりゃいい、パエリアでも作ろうぜ」
「ニンニクたっぷりかあ。美味しそう」
「人狼、こちらはレヴェルとフィルディオ。吸血鬼と死神だが、普段は麓の町で暮らしている」
「……なあ誰かつっこめよ」
「そういや、」
人狼の呟き虚しく、シルクが目を輝かせて言う。
「旦那の名前は? ずっとフィルディオみてえな呼び方じゃ変だろう」
「変じゃないよ。おしゃれだろう」
「確かに、その通りだ。貴殿の名は?」
「人じゃ発音できない音だ。勝手に呼べ」
「ふむ。よし旦那、一枚引きな」
シルクがトランプの束を扇状に広げて人狼に突き出す。
「は?」
「いいからいいから」
訝しみながら人狼が引いたのは、
「ジョーカー。五十三分の一の確率を引くとは、運がいいな、『ジャック』」
「『ジャック』?」
「ジョーカーは三枚のジャックのうち一つ、最高位の切り札として後で追加されたものだ。他のジャックはそこの魔物二人。んで、ジョーカーじゃあ安直だから『ジャック』。男前だろう?」
「……好きにしろ」
「おや、いい名前を貰ったじゃないか、狼さん」
「これからご助力願います、ジャック殿」
「は? 助力?」
「悪いがこれは不可抗力だ、『ジャック』。私の禊に掛かっている限り、人を食らうことはおろか、危害を加えることもできん」
「ちっ。お前らに従えって事か」
「裏山の中腹に山小屋がある。其処に住まうと良い。「神官」として歓迎しよう」
「はあ? 働かせる気か?」
「そうだな、先ずは着替えて、教会の周りの掃除から」
「無視かよ……」
クリスにローブと箒を渡されたジャックは、苦虫を噛み潰したような顔をしながらも大扉を開けて出て行った。
人食い狼と天才神官 紫菟 @shiu-05
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