人食い狼と天才神官

紫菟

Ⅰ丑寅の刻 魔族の森奥

 それは、満月の妖しくも美しい光が差す丑三つ時。魔物住む森と囁かれる此処に、人影が二人……否、一人と一匹。片方は聖職者のローブを身に付けた長身の男。銀色の髪と瞳は月光に静謐に輝く。名をクリス・フォワード。麓の教会で神父を務める。残りは裾の長い艦棲に身を包んだ魔物。目深に被ったフードで解りづらいが、整わぬ紺色の髪からは尖った耳が覗き、瞳は金に冷たく光る。人を食らうと噂される、狼の魔物。人食い狼、所謂『人狼』。そんな中でもこの魔物、危険性は他の比にならない。

 何故なら彼の二つ名は_

「一つ取引をしよう、人狼の長」

 神官が静かに語り掛ける。

「聖職者の取引か、内容を聞くまでもなくノーだな。何だ、そんな事を言いに来たのか」

 人狼は嘲笑う様に鼻をならす。

「これも仕事だ、気を悪くするな。麓の町は貴殿の噂で持ち切りだ。「最恐」の人食い狼が夜な夜な町に降りてきて、子供から老人まで見境なく攫って食べて行くと。」

 _『最恐』。

 数多いる魔物、人狼の中でも最も危険。魔物は畏れ、人は恐れるこの森に住む魔物の長。だからこそ、この神父が自らここまで赴いたのだ。

「あんたの事は良く見知っている、『天才』クリス・フォワード。だが俺もそう容易くはないぞ」

「こちらも重々承知している。だからこその取引だ、人狼。真面にやり合えば麓に被害が及ぶ。そして何より森の自然に悪い。自然は神の最初の創造物。そして生命の源。貴殿ら魔物もそれは同じ。平和的解決といこう」

 神官は懐から銀のロケットを取り出した。

「洗礼、という行為を知っているか」

「人間のカミサマ信仰なんざ知らんね」

「そうか。本来は入信の際に行う儀式だが、私の洗礼は、本来とは全く異なるものだ。私の洗礼は『通過儀礼』。人と人ならざるものとの禊に必要不可欠な儀式」

「禊、か。大人しくするとでも思うか?」

 人狼が鋭い爪で威嚇する。その爪は人の首は愚か金属さえも容易く穿つ。

「力を誇示するのみが強さではない……と、何処かで聞き及んだ事はないか?」

 神父は優美な仕草でロケットペンダントを開く。元来そこには写真やら薬やらが入っている。が、溢れたのは眩い光。それは神が天啓を示す神々しい光、魔物、魑魅魍魎の類は尻尾巻いて逃げ出す聖なる火。最恐と調われる人狼といえども、真正面から食らってはただでは済まない。しかしそこは魔物の長。自身の大きな尾を払い威力を散らし逃がした。否、した積もり……だった。光は魔物の大きな尾さえも通り抜け、狼の首に巻き付いた。

「!?」

 光は留まることを知らず、魔物を包み込みやがて消えた。残されたのはロケットをこれまた優美な仕草で仕舞う男、夜空にひっそりと瞬く星々、傍観を決め込む満月、噂を運ぶ夜の風。一気に静寂の満ちた森の葉を踏み締めて神父は歩く。倒れる人影のもとへ。悠然と、荘厳に、そして優しささえ持って。倒れているのは人狼と似た……否、同じ艦棲を纏った青年。傍から見れば誰も彼が先程の人狼とは思うまい。

「賢明な判断だ、人狼の長」

 魔物に聖職者の術は特効だ。出来るだけダメージを減らす為に人型に変化したのだろう。さて、と聖職者は咳く。本番は此処から。空はまだ暗く、境界が淡く紫に染まっているだけだ。それでも陽は昇る。光は人の世、闇は魔の世。聖職者は人狼改め青年を見遣る。光と闇が、何時の日か、この空の様に交わるまでは。私は光を守り続けなければならない。

 神の子の名に掛けて。

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