『死にたくば。名で身を縛れ』
小田舵木
『死にたくば。名で身を縛れ』
トクトクと鼓動を刻む心臓が僕の手に収まっている。
僕は眼の前の男の胸に手を突っ込んでいる。
僕は。欲求に従って。心臓を追い求めて。
今。手に入れようとしている。
さあ、その姿を僕に見せてくれよ。
腕を勢い良く引き抜いて。抜けた
僕はそれをじっくりと眺める。いくら動いても疲れを知らない心筋で造られたその臓器は美しい。
食べてしまうのが勿体ない。
僕はそう思う。コイツの美しさを絵に残したい位だ。
だが。僕の中の欲求はそれを許さない。
貪りつくのだ。その臓器に。
噛みしめる心筋は硬い。だが。滋味が溢れていて。
鉄分のえぐ味が口の中を満たす。
腹の底が暖かくなるのを感じる。僕はこれで。
◆
炎が揺らめき。
それに照らされる僕も揺らめく。
心臓を喰らった僕は。ここまで逃れてきた。
ヒトの輪を外れた僕。社会は居場所を与えてはくれないだろう。
ああ。孤独になってしまったな。僕はそう思う。
永久の命を与えられた僕には。人間社会に入っていく資格がないのだ。
ヒトの交わりは同質性を求める。
有限の者と有限の者は交わりを結ぶ事ができようが。無限の中に居る僕と有限の中の者はきっと理解しあえないだろう。
僕は世界に一人ぼっちになってしまったのだ。
言葉の能力を持つ者の中で特異な存在になってしまった僕。
世界の孤独な観測者。世を捨てて生きていく他あるまいて。
◆
僕は世界を放浪した。
自分が狭い島国に囚われている事に気付かされた。
僕は都の近くに庵を立て。そこに寝起きして。
世界の様子を伺っていた。
孤独な観測者には友などなく。
ただただ独りで。世界を観測していた。
その最中にも僕はヒトを襲い。心臓を喰らい続けた。
腹が減ってはどうしようもないのだ。
いくつもの心臓を喰らい。僕は命を永らえた。
だが。僕の欲求は満たされる事を知らず。
僕はヒトを襲いすぎた。都では心臓喰らいとして知られるようになってしまった。
そこに現れたるは祓い屋。神道を奉ずる彼らは、僕を怪異、妖怪の類と決めつけ。断罪する。まったく。これだから人間は。
◆
永い時を生きてきた。孤独が唯一の友であった。
僕はそんな生活の中で生きる意義を見失った。
簡単な話である。有限の命を持てば生きる意義を探さねばならないが。永久の命を与えられた者はそれを見出す理由がない。
ただただ。世界の外から世界を観測する者。それが僕で。
僕はいつしか無気力になっていた。
日がな一日。庵に篭り。寝て暮らした。
ただ。いつか死ぬことを夢見ながら。
ああ。かつては永久の命を追い求めた僕でさえ。
永遠に近い時を与えられれば退屈をする。
人倫を外れた僕は今さら。人に戻る気力もない。理由もない。
だから惰性で人を襲い続け。命を永らえる。
人の世は回っていき。僕は取り残されたままで。
日々は
僕は悠久の時を生き。ただただ人の世を眺めて。
かつて持っていた何かを懐かしみながら。今日も眠る。
◆
我が庵に客人が居ない訳ではない。
この山に迷い込む
寝て暮らす僕に世界を教えた。
世界は回っている。僕は修験者達の言葉を聞いて思う。
だが。今さら世界に興味が湧かない。
「そうですか」それが僕の口癖である。
「
「ただ。命を永らえているだけです」僕は
「貴方のような人を世捨て人というのでしょうなあ」
「ええ。とうの昔に世を捨ててしまった。もう拾う気力もない」
「悟りを得ようというのか」
「いいえ。悟る程の真理なぞこの世にありはしない」
「それも悟りの一つではないでしょうか」
「そうでもない。もっと考えるべき事はあるでしょう。私がそれを知らない…いや知ろうともしないだけです」
◆
生きる意義を見失った僕は。木石のようなものだ。
ただ。存在し。命を永らえる者。
人の世界から外れてしまった怪物。それが僕に与えられるべき名前で。
ああ。いつか。祓い屋に出会いたい。
そう願うようになってしまっていた。
こんな永い命。抱えるのはもう御免である。
「ここに心臓喰らいが潜んでいると聞いたが」ある日の客人はいう。
「…やっと来たか」僕はそう
「抗わぬのか?」彼は問う。
「君は永久の命の恐ろしさを知らないと見える」
「私は。成りたての祓い屋であり。永久の命を受ける者に初めて
「そんな君が私を祓う訳か」僕は皮肉を感じる。
「だが。貴方には害がないように思える」
「そうでもないさ。都の外れで人を襲い、心臓を喰らう者。それが私だ」
「それでは。私は貴方を祓わねばならぬのだが」
「祓い給えよ。今さら。命なぞ惜しくもない」
「永久の命を受ける者でも?」
「永久の命なんて。君たちの命とさほど変わりはない」
「そうでもなかろう」
「いいかい。永久の命を受けようが。私はただのヒトから出る事は叶わなかった」
「…心臓を喰らうのを止めよ。さすればただのヒトに戻れるだろう」
「食事を止めろと言うかい?」
「それは出来ぬ相談なのか?」
「欲求を封じよと言われて封じる者は修行者くらいのものだ。私はそこまで高尚に産まれていない」
「なれば。私が還すまでよ」
「頼んだよ」
彼は
僕はそれをぼんやりと眺めていた。ああ。これで永久の時から解き放たれる。
だが。彼は方陣を描いても。そこから行動を起こす事はなかった。
「どうした?
「…大人しく祓われる怪異なぞ初めて見るものでな」
「そういう奴が居てもいいだろう?」
「こちらとしては張り合いがない」
「張り合いがないからと。仕事を投げ捨てるのは感心しない」
「私はそうも真面目な祓い屋でもない。むしろ。貴方の生き方に興味が湧いてきてな」
「好奇心ってのは。人を殺すぞ。祓い屋よ」
「だが。貴方は私を襲う気もなかろう?」
「面倒だからな。特に腹も減ってなし。むしろ殺されたいのだよ?私は」
「私は。無益な殺生をする位なら。貴方の話を聞きたい」
「無益でもなかろうて。都の人を喰らいし者だ」
「…都の人が襲われようが。私には関係のないことだ」
「君は変人と見えるね」
「よく言われるさ」
僕とかの祓い屋は向き合うのを止める。
そして庵の炉を囲む。
「永久の命は退屈か?心臓喰らいよ」
「最初は楽しみもしたが。人というのは永久の時を生きるようには出来ていないのだ」
「私は狭い命に囲われた者だから。想像もつかんが」
「可能性を無限に与えられてみよ。いつかは飽きる」
「私には祓い屋という道しか与えられていなかった」
「狭苦しい人生を歩んだようだな」
「だから。貴方のような生き物には興味がでる訳さ」
「祓う相手でもか?」
「ああ。別に私は真面目な祓い屋でもない。ある程度役目を果たそうとはするが」
「まったく。私はついてないと見える」僕は
「そう言うな。私の好奇心に付き合え。心臓喰らいよ」
「仕方あるまい」
僕は彼に。今までの来歴を語る。
初めて心臓を喰らってから、永久の命に絶望するまでを。
彼は興味深そうに聴き。僕は
気がつけば。夜の
彼は僕の庵に泊まっていくつもりらしい。
何処までずうずうしい奴か。
夜が開ければ。彼は僕の庵を辞する。
彼はまた訪れると
◆
それから。彼と僕の交友は始まった。
奇妙な交流である。祓う者と祓われる者が炉を囲み語り合う。
有限の者と無限の者の交わり。かつて僕があり得ないと考えた交わり。
僕はその交わりを面倒だと思いつつも、何処か楽しみにしており。
「よう」
「来たかい。
「今日もアンタの話を聞きに来た」
「いい加減。家の者が急かすであろう」
「適当に
「こんな隠者と語ろうて。何を得るものがあるというのか?」
「隠者の知恵ってところか」
「永く生きた所で賢くもならん」
「だな。アンタを見てると思うよ。ただただ。ヒトのままだ」
「だろう?いい加減
「詰まらぬ。お前のような隠者風情。生かしておいた所で害はない」
「最近。都の者を襲ったがな」
「そんな者。私の知ったところではない」
「君は。つくづく祓い屋に向いてないぞ」
「祓い屋だからと言って正義の味方でもない訳さ」
「都の人々は不幸だな」
「知ったことか」
僕は新藤と語り合う。
そして新藤の生き方をも知る。
彼は家に
祓い屋になぞなりたくなかったようである。
彼は生き方を制限された男であり。僕のような宙ぶらりんの生き方に強く憧れているようだ。
だが。僕のような生き方は不幸である。
僕は幾度も彼に説いた。道があるのは幸せな事であると。
例え、それが家に与えられたモノでも、道に惑う僕などよりは幸せになり得ると。
「新藤よ。道とは与えられるモノであり。自ら探すモノなどではないのだ」
「私は。この雁字搦めの人生を。呪っているのだ」
「まったく。君には説いても無駄な話なのか?」
「それはそうだ。私はお前のような自由な男ではない」
「自由など。ヒトの手には負えぬものよ」
「だが。私はそれを望んで止まない」
「私とお前が反対だったらな」僕は思う。僕が祓い屋で。彼が心臓喰らいだったら。どれだけ円滑に事が運ぶか。
「言うても
「我が心臓を進呈したい位だ」
「だが。私には心臓は掴めぬ」
「私は心臓を掴めるが。君のように怪異を祓う力がない」
「…ないものに憧れる。これもまた人生か」
「そのようだ」
◆
僕と新藤の交わりは。続いていく。
僕の粗末な庵を
僕はそれを迎える。そして語り合う。
彼の窮屈な人生を聴き、僕の行く宛のない人生を語る。
だが。我々の交わりは答えを出すことがない。
我々は産まれる立場を間違えたのだ。
僕は心臓喰らいで。彼は祓い屋。
これが反対だったなら。かなりすっきりした話になろうが。
もし。そうだとしたら。我々は親交を結ぶ事もなかっただろう。
我々はお互いに間違えてしまっているから。親交を結ぶ事が出来た。
お互いに自らに絶望しているから。友情を育む事ができた。
僕は憂鬱な気分になる。
ああ。僕は孤独だ。いくら新藤が友愛を示そうが。
いつか彼は居なくなる。命の終わりを迎える。
そして。独りぼっちで世界に生きていかねばならないのだ。
こんな事なら。友情を結ばねば良かった。そう思わない日はない。
「新藤よ」
「ああ?」
「いつか君は居なくなる」
「それが有限の命を背負いし者の運命だ」
「私は。君と友情を結んでしまい。それに固執してしまっている」
「…それは私もだ」
「なあ。新藤よ。頼むから私を祓ってはくれまいか」
「…断るぜ」
「そうだよなあ」
「ああ。私も友を亡くしたくはない」
◆
時は泡沫のように弾け消えゆく。
新藤はどんどんと老いてゆくのだった。
一方の僕は心臓を喰らったせいで老ける事もなく。
悠久の時を持て余してる。間違った人生。間違った生き方。
僕と新藤は庵を囲み。一時の友好を噛みしめる。
それがいつか無くなってしまうものだと知りながら。
着々と新藤の命は終わりを迎える。
だが。新藤はそれに抗うかのように我が庵を
「いい加減。アンタにも呼び名がなくちゃあな」新藤は言う。
「そんなモノ必要はないさ。隠者で結構」
「それだからアンタは。この世界に定着できないんだよ」
「それでも構わんさ」
「私が構う。アンタには呼び名が必要だ」
「適当な名を与えよ。それで満足か?」
「…ああ。そして。その名前で。アンタを封じる」
「どういうつもりだ?」
「アンタを祓うことは叶わないが。アンタに名を与え。ヒトとしてこの世に定着させる―これが私の呪いだ」
「君は。私の事を考えてくれていたのだな?」
「友だからな」
「まったく。これだから人間は」
「はは。ま。待ってろ。適当な名を与えてやるから」
「期待はしないでおくよ」
◆
新藤は。僕に名前を与え。ヒトとして封じるという。
彼にしてはよく考えられた呪いだ。
彼は感情も思考も真っ直ぐな男であり。
あのような
だが。僕は名前を与えられて。その呪いに身を沈める事が出来るだろうか?
いくら生きる事に飽いたとは言え。僕の底には心臓喰らいとしての欲求はあるのだ。
今日もその欲求と戦っている。
僕は死にたい。心の底から死を望んでいる。名前で封じられたい。
それと同時に。心の底から心臓を喰らいたい。心臓を喰らって命を永らえたい。
この2つの欲求が渦巻いている。
僕は怪物だ。新藤の友好を受ける価値もない怪物だ。
だが。彼に軽蔑されたくはない。
だから。身を
◆
あれから。新藤はしばらく訪れなかった。
僕は思う。新藤は病を得たのではなかろうかと。
ああ。僕達は。最後の一手を打ち損ねたのではなかろうか。
僕は新藤を訪ねる事を考えるが。新藤に迷惑がかかる。
ああ。時は来てしまったのだな。
僕は思う。有限の命を持つ者と無限の命を持つ者は交われない。
最後の最後に別れが訪れてしまう。
新藤は。僕に呪いを残していった。名を背負うという呪いを。
僕は新藤に名をつけてもらうつもりだったが。
しょうがない。自らで考える他はない。
そして。名を背負う事で。友と同じ道を歩もう。
◆
僕は僕に。新藤という名を与えた。
…思いつかなかったのだ。
僕は友と同じ名前を背負う事で。自らを呪う。
彼と同じ
昔の自分からは考えられない変化。永久の命を望み。心臓を喰らってきた僕は死ぬことを望んでいる。
腹は未だに空く。これは僕が名前を背負おうがついて回る呪いの一つだ。
だが。新藤という名が。僕を人間に留めるであろう。
僕は庵を畳む。まあ。荷物を纏めただけだが。
僕は庵という檻から出る。もう人を襲う怪物ではない。
檻から出た僕は自由だ。何処へでもいける。そして何処でも死ねる。
◆
『死にたくば。名で身を縛れ』 小田舵木 @odakajiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます