第3話 エルフの精霊術師は王子と聖女を見限る
国王ルドルフの崩御。
その報せは国内に留まらず、諸外国にも凄まじい速度で広がった。
他国の侵攻をものともせず、病に伏せるまで前線で常に国を守るために戦った偉大な王の死は、わずか十日程で誰もが知るところとなる。
そして、その報せから間を置かず、カイゼリン王国を出ようとする一団があった。
何百という数の馬車からなる長蛇の列。
その中央辺りに位置する馬車に乗り込むのは、一人の年老いた耳の長い男性だった。
「大司教樣、もうすぐ王国の国境を越えます」
「分かりました。できるだけ急ぐように。もうこの国は長くない。巻き込まれる前に、本国へ帰りましょう」
報告に来た神官がいなくなると同時に、大司教と呼ばれた男性が溜め息を零す。
彼の名はアインザック。
神星教という、遥か古の時代から存在する教団で大司教を務める人物である。
エルフという長寿の種族であり、黄金の髪と長い耳が特徴だ。
「まさか、このようなことになろうとは」
今、国境を越えようとしているのはカイゼリン王国で活動していた神星教の総本山、ラドガニア教国の出身の神官たちだ。
王国の各村や街に駐在していた神官たちを回収しつつ、アインザックは王国からの脱出を試みているのである。
『ザック、大丈夫ですか?』
ふとアインザックの頭に少女の声が響く。
聞いているだけで心が落ち着くような、優しい声音をしていた。
「ええ、大丈夫ですとも。ただ、何が神霊樣の不興を買うか分からない。心労が溜まる一方です」
『……大丈夫だと思います。神霊樣は、おそらくこの国の人間を滅ぼすつもりです。貴方はこの国の人間ではない。ので、命までは取られないはず』
「それを聞いて、少し安心しました」
『でも、神霊様はとても気まぐれ。神霊術師様を欠片でも傷付けると判断したら、精霊術師の貴方でも許されない。言動には気を付けて』
「分かっていますよ。ご心配、ありがとうございます」
傍から見れば、アインザックは一人で喋っている危ない男に見えるだろう。
あるいは年を取り過ぎてボケているようにも見えるだろう。
実際、アインザックの姿を初めて見る神官たちの中ではそういう声が上がっている。
しかし、アインザックのことをよく知る神官は、彼が精霊と話していることを知っている。
「こうならないために、私やルドルフは聖女や第二王子の教育をしてきたつもりだったのですがね」
『……ザックは悪くないです』
「誰かが悪いとか、そういう問題ではないのです。ただ神霊様の怒りを買った、その事実は変わらない。私も、そう遠くないうちに死ぬかも知れませんね」
アインザックは思い出す。
ルドルフが崩御した後、王国を継ぐことになった第二王子ユリウスと謁見した時のことを。
ルドルフの突然の死によって、ユリウスは国王となることが決まった。
各地方の領主、宮廷貴族はこぞって賛成したため、近いうちにルドルフの葬儀とユリウスの戴冠式が行われることに。
「すまない、シンシア。君との結婚式はもう少し先になりそうだ」
「お気になさらないでください。ユリウス様はこの国の唯一の王子。前王陛下の葬儀と戴冠式で大変なのは分かっていますから」
「ああ、ありがとう。君のような理解のある妻を得られて、僕は幸せ者だ」
「ふふっ、まだ気が早いですよ」
二人の間に甘ったるい空気が流れる。
そのままユリウスとシンシアは互いの唇を近づけようとして――
急に何者かが扉をノックした。
「殿下!!」
「な、何事だ!!」
「神星教の大司教様がお見えです!!」
「な、なんだって?」
神星教の大司教と呼ばれて思い浮かぶ人物は、このカイゼリン王国では唯一人。
「失礼する」
王子であるユリウスの許可も無く部屋に押し入ってきたのは、エルフの年老いた男性。
アインザックである。
「アインザック大司教!!」
「お、お養父樣!!」
アインザックは独り身だが、シンシアを養子として迎えている。
元は平民である彼女を第一王子ことエドワードの婚約者にするための処置だった。
もっとも、アインザックとて冷酷な人間ではない。
シンシアのことを本当の娘のように可愛がっていたし、シンシアもまたアインザックのことを本当の父のように思っていた。
しかし、アインザックはシンシアですら見たことが無い程の冷たい表情をしていた。
元々エルフは整った顔立ちをしているが、それを差し引いても今のアインザックからは殺気に近いものを感じる。
「お、お養父樣? 怖い顔をなさって、どうかしたのですか?」
「何故、神霊術師様を国から追い出した?」
「神霊術師? 父上も言っていたが、それはなんなんだ?」
「……本当に何も聞いていなかったのか。いや、私やルドルフの奴が教えたつもりになっていただけなのか?」
アインザックが大きな溜め息を零し、ユリウスとシンシアを睨む。
「ユリウス殿下、シンシア。二人はエドワード殿下をどのように認識している?」
「あんなやつ、魔力値が0の無能じゃないか」
「いつもいつも上の空で、人の話を聞いてくれない無愛想な人です!!」
それは違う、とアインザックが首を振る。
「この世界にはかつて、唯一の神が存在していた」
「は?」
「え?」
それは、神星教の大司教以上の地位を持つ者、あるいはその地位を持つ者が許可した相手にのみ語られる世界の成り立ち。
いわゆる創世神話ともいうものだ。
唯一の神は大海を創り、大気を生み出し、大地を浮かばせた。
しかし、神は世界に物を作り過ぎてしまった。
「神は世界の管理を放棄し、天へと昇って星となった。だが、神はこの世界に愛着を抱いていた。故に世界を管理するため、神に最も近い精霊を何十と生み出した。――それが、神霊様だ」
ここまで聞いて、ユリウスとシンシアの二人は首を傾げた。
そう言えば、ルドルフもアインザックもそういう話をしていたような気がする。
しかし、何故その話を今するのか、二人は理由が分からなかった。
「風を司る神霊ウィン、水を司る神霊アクア、土を司る神霊ソイ、火を司る神霊フレの四神霊を中心に十数柱の神霊がこの世界には存在している」
「そのようなもの、ただの伝説でしょう?」
「……話は最後まで聞け。ユリウス殿下、貴方が追放したエドワード殿下こそ、これらの神霊を従える神霊術師なのです」
「はっ、何を言い出すかと思えば。奴は魔力値が0の無能。そんな奴がどうやって神霊とやらを従えるというのです?」
「0ではない」
「……は?」
アインザックはユリウスを真っ直ぐ見つめて、言い聞かせるように言った。
「神霊術師は、その魔力を常に神霊へ注いでいる。故に魔力値を測定すると0と表示されるのだ。それは、神霊術師を見分ける数少ない方法の一つでもある」
「は、はあ? だからなんです? 仮にエドワードが神霊術師だったとして、何か問題でも?」
「ここまで言っても分からんか。お前たちはその神霊術師から恨みを買ったのだぞ。いや、仮にエドワード殿下が恨んでいないとしても、神霊様たちが黙っていない。必ず神罰が下る」
仮にも神職者からの神罰が下るという言葉だ。
ユリウスとシンシアは思わず息を呑むが、あくまでも自分たちの主張を覆すつもりはないらしい。
「そんなもの、ただの迷信ですよ」
「そ、そうですよ!!」
「……私からすれば、これを迷信と断言できるなら何故エドワード殿下を忌み子などと言って忌避するのか分からんがね」
そのアインザックの一言には、諦観の念がこもっていた。
(もう、この二人に何を言っても無駄か)
呆れを通り越して同情すらしてしまいそうな程の愚かさにアインザックは腹を括る。
「ユリウス殿下」
「なんだ?」
「我々、神星教は私の大司教の権限を以ってカイゼリン王国から完全に撤退致します」
「は? え? な、なんだと!?」
アインザックは最初、二人に非を認めさせてエドワードと神霊に許しを乞わせるつもりであった。
しかし、二人がこの様子ではどうにもならない。
口先だけの謝罪では、神霊を騙すことはできないのだ。
ならば次にアインザックが考えるべきは、一人でも巻き込まれる者を減らすことだった。
(ルドルフには悪いが、私とて命は惜しい。本格的に神霊様の罰が下る前にカイゼリン王国を出ねばならん)
そんなことを考えながら部屋を出て行こうとするアインザックを、ユリウスが慌てて止める。
「ま、待て、大司教!! そなたがいなくなったら、父上の葬儀と僕の戴冠式はどうなる!!」
「そ、そうです!! 私たちの結婚式だって……」
「……たしかに。大司教として、国儀への協力はして然るべきでしょう」
アインザックの言葉にユリウスたちの表情は明るくなる。
しかし、次のアインザックの言葉で二人は完全に言葉を失った。
「ルドルフの葬儀とユリウス殿下戴冠式には協力します。ですが、結婚式は知りませぬ。お二人でどうにかしなさい」
「そ、そんな、お養父様!!」
「シンシア。いや、シンシア嬢。貴女とは縁を切る。金輪際、私を父とは呼ばないように」
それだけ言い残して、アインザックは王城を後にするのであった。
――――――――――――――――――――――
あとがき
一方その頃。
エドワード「うーん、早く国を出るためにも近道しようかな? 森を通ればすぐだよね?」
神霊ズ『『『エド、そっちじゃないよ!!』』』
その後、数週間に渡って森で遭難するエドワードであった。
「面白い!!」「神霊の名前がシンプルで草」「主人公の出番あとがきだけで草」と思った方は感想、ブックマーク、★評価、レビューをよろしくお願いします。
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