第3話
この街はローグというらしい。リギィは歩きながら何も聞いていないのに色々と話し出した。
この街はならず者が流れてくる街らしい。
そんな予感はしていた。お世辞にもきれいな街並みとは言えない。古い街並みというよりは寄せ集められた街並みだ。
海がそう遠くない場所にあるせいで方々から色々な奴が集まってくる、らしい。
「人じゃねぇのも来るし、人でなしも来るし。碌でもねぇ場所だよ。マフィアから足洗ったとかいうあぶねぇ奴も見かけたりする。でも死刑囚は聞いたことねぇな」
そんな話から街のどこに何の店があって、どんな人間がいるのかも独り言のように話し続けた。
ついて行きながら、街並みと案内人の姿を交互に見遣る。
リリアと呼ばれた少女が人の見た目ではなさすぎたので気を取られていたが、この男も改めて見れば珍妙な姿をしている。
うねる様な長い髪。これは一体何色というべきなのだろうか。
濃い緑だと思っていたがよく見ると濃さが場所によって違う。それだけではなく数か所他の色が混じっている。
普通ではない色合いだ。何かの副作用と言われた方が納得ができる。
そんな長い髪は男が顔を動かす度に、風が吹く度に、揺れる。
その合間から偶に覗く装飾を付けた耳はこれまた人ではなさそうだ。
リリアとは違う尖り方をしている。
人間なのか。この男は。
正体を推察しながらも口を挟まずに耳を傾けていると目的地に着いたらしい。
階段を上り、リギィはドアをノックする。
店だと思われる場所には看板が立っていたりするのだが、特にそういったものは見て取れない。
呼びかけに応じて出てきたのは一見すると女だった。
だが見れば見る程何を以てして女だと思ったのかが分からなくなっていく。
男かもしれない。
だが何を以てしてそう断言していいのか分からない。
「リギィか。そっちは見ない顔だな」
「レイユが掻っ攫ってきた奴だよ」
「あぁ、その彼が噂のレイユ譲の『身内』か」
噂というのをいささか気にしながらもグレンが頭を下げながら端的に名乗ると、彼女は気の良い笑みを浮かべた。
「丁寧にどうも。私はアンジーだ。ちなみに、男と女どっちに見える?」
グレンは言葉を詰まらせる。と同時に、反射的に少し睨みを効かせてしまう。
完全に当惑させている自覚がなければできない発言だ。まんまと罠に嵌められたようでいい気分ではない。
だが嵌ってしまった以上、綺麗に脱したい。
グレンはアンジーの細部に目を配る。
まず顔からはいまいちつかめない。体格からも判断しにくい。
女の割には肩幅がある気がするが、そもそも背が高いので体格が良いだけだと言われればそうも見える。
何より一番判断を狂わせるのが男で違いないリギィが小柄で細いことだ。レイユよりは肩幅はあるようだが、アンジーよりはない。
やはり肩幅で判断するのは難しいようだ。
ならば女性だった場合申し訳ないが、胸元で判断するのが手っ取り早い。
一応影は見られない。
だがそういえば。かつての知人は潰していると話していたような。
ならばこれもあてにはならないのか。
服装も十分な判断材料となるが、これがまた曲者だ。
スリットのある長い服を着ており、その下にパンツを履いている。
記憶が定かでなければその様式はどこかの民族衣装だったはず。男女問わずその恰好をした一族が確かいたはずだ。
「意地悪だったかな?」
アンジーは悪戯に笑う。
「生憎と私に性別はなくてね。どっちでもあるし、どっちでもないんだ。どちらの扱いをしてくれても構わないよ」
ない、というのは一体。
それを初対面で聞いていいものか。
そもそもこちらもある程度は身分を明かすべきなのだろうか。
グレンが動けずにいると、リギィがびしっとアンジーを指さし面倒くさそうに言う。
「男扱いで良いぜ。女扱いしなきゃなんねぇ奴は他に居るから。そんなことよりこいつの手当してやってくれ。あと要らねぇ服もくれてやってくれ」
「あぁ、それが用事できたの? 服か。私のが入るといいけど」
とりあえずあがってくれ、と招かれて二人は彼の住処に上がった。
中は診察室の様だった。
入ってすぐの部屋にベッドが二台置いてある。どちらもカーテンで隠せるような物だ。
「グレン君、ベッドに座ってくれるかい? 念のため診察をしよう。さては酷い扱いを受けていたね?」
「いや、そんなことはない。治りが良くないだけだ」
消毒薬などをトレイに次々に乗せて支度を終えたアンジーは、グレンの肩を軽く押した。ベッドにふくらはぎがあたり、グレンはそのまま腰を落とす。
「嘘はよくない」
ベッド脇に置いてあったキャビネットを使いやすい位置まで運び、アンジーはグレンの横に座り込む。そして指をこちらの首元に持ってきた。節の目立たない白い手だった。
「ここ、縄の跡が残ってるよ」
その指摘にグレンは視線を逃がす。隠せるような服ではないし、隠せるようなものではないし、他にも目立つ跡は幾つかある。
「レイユ譲の知り合いとのことだけど、どういう知り合いなの? 彼女、いいところの生まれでしょ? お嬢様? それとも」
「本人はなんて?」
「なんて言ってるんだっけ? リギィ」
消毒液が良く染み込んだガーゼが頬にあてられる。
「普通じゃない生まれとは聞いた」
そういう言い方をしているのならこちらが勝手に話すのは良くないだろうか。
「まぁ、察しは付いてるよ。お姫様なんだろうって」
「……あんた、やっぱり意地が悪いな」
「おっと、誤解されてるな。――上、見せてくれるかい?」
グレンは言われるがままに白黒の服を脱ぐ。
「姫と知り合いってことは、お付きの騎士とかだったの? 近衛騎士って言うんだっけ?」
「いや、俺は姫と同じ国には属してない」
「そうなの? じゃあもしかして彼女とは別の国の王子とか?」
そんなこと初めて言われた。
思わず少し笑ってしまう。
「俺は王子の、護衛だった」
「へぇ。思ってたより遠い関係なんだね。王子の護衛と別の国の姫ってことだろう? 妙な接点だ」
「大方、その王子とレイユが婚約でもしてたんだろ」
もう一つのベッドで悠々自適に寛ぐリギィの言葉にグレンは頷く。
「……ブラン様とレイユ様は幼少のころから大層親しくされていた。だがレイユ様の国は呪いで滅びた。レイユ様の国を良く思っていなかった大国の仕業だ。ブラン様はその国を、討ち滅ぼすように言った」
だが、相手は大国。
兵力差は歴然。
結果大敗し、属国となった。
その際に見せしめとして王子は処刑された。
王と王妃は戦時中に首を落とされている。それが勝敗の証となっている。
グレンはブランの護衛だった。
だがそれと同時に影武者でもあった。
だがどちらの役目も果たせなかった。
不甲斐ない。やるせない。申し訳ない。
そんな言葉が生温いのは重々承知している。その類の言葉すべて用いても足りることはない。
グレンは護衛であり影武者だった。それと同時に腹心でもあった。
負け戦中、ブランから頼みを一つ聞いていた。
敵の王の首を取ってくれ。
自分が死刑囚になったのは主の望みを果たし首を取ったからだ。
それは戦争中のことではなかったが。
間に合わせることはできなかった。
敗北し、主も国王も失い。国もなくなり。何もなくなり。
だが遺言があったので首をとった。
そしてその場で捕まった。
多分その気になれば逃げることはできたと思う。手段を択ばずに逃走を選べば今の身分になることはなかっただろう。だが、生きたところで何もない。
だからその場で捕まった。
その後吐くものもないのに拷問をうけた。
死なない程度に痛めつけられ、死ねない程度に嬲られた。
毎日毎日そうされた。
そのとどめとして今日が来た。
遊び飽きたから最後に見せしめにして殺そうとしていた――なんてことまでは話さなくていいだろう。姫ですら知らないことだ。
「……レイユ譲の国が呪いで滅びたのなら、彼女が無事なのはどうして?」
「あぁ、そのことか。単純だ。姫は呪われなかったんだよ」
「何それ、体質?」
「いや。自国を離れていただけだ」
許婚というよりもきょうだいに近い二人だったと記憶している。
◇
「それで? レイユちゃんと助け出した王子サマはどういう関係なのよ」
うんうん、と隣に座るリリアが大きく首を縦に振る。
グレンにあしらわれたのが腹立たしく、だが一人にもなりたくなかったのでその足で馴染みの店に来た。
店主のバルゴが話好きなのは承知していたが、この賑やかさがかえって今はありがたい。静かだと要らないことまで考えてしまう。
「どういうって、ええっと……赤の他人?」
「ちょっと。アタシを満足させてくれないと同じこと5000回は聞くわよ?」
「う、うーん……」
この人ならやりかねない。
「あの人は……私の婚約者の護衛をされてた方です」
「あらっ。あらっ! アタシ、婚約者がいたなんて初めて聞いたんだけど!!」
「い、言ってないので……」
「なんでよぉ! あっ。もしかして、仲良くなかった?」
「あ、いいえ。そんなことは。ブラン様は……とてもいい方でしたから」
お世辞ではなく、いい人だった。初めて会ったときからずっと。
初めて会った時も緊張しているこちらに気を使っていたのがよく分かった。明るく振舞い、他愛ない話を交え、沈黙を避けてくれた。
自分が話すだけではなくこちらに話も振ってくれ、話しやすくしてくれた。
「じゃあ、レイユちゃんもちゃーんとその人のこと好きだったのね! きゃーっ、いい話っ!」
バルゴが頬に手を当てて甲高い悲鳴を上げる。
いつも通りの反応だが、見慣れたその純粋なその反応が今日はとても心苦しい。
レイユは膝をみっちりしっかりくっつけ、その上で拳を握る。
ブランとは子供のころからの付き合いだ。
自分は自国がブランの国と同盟を結ぶ際に献上された存在だ。
国で過ごした時間よりブランの傍に居た時間の方が長い。
そしていずれ結婚するものだと言い聞かされて育った。そのことに異論はなかった。
それが王族の務めであると思っていたし、何よりブランに不満が何もなかった。
自国のこと以外の話が聞けるというだけでも楽しいものだったが、大事にしてくれているというのが身に染みた。
父と母が嫌いだったわけではないが、遠い存在だった。二人とも国のために心血を注いでいた。
だからこそブランの真っ直ぐな言葉が心地よかった。
自分も貰った分をちゃんと返さなければ。返せる人間にならなければ。
そう思って、思って、思い続けて。
それでも。
「……好きに、なれなかったんです。私」
人として、ではない。
人としては尊敬に値する。あの人みたいに周りのことを気にかけることができる人になりたい。そう思っていた。目標だったしあこがれだったし、自慢だった。
そんな人と同じ将来を歩けることに踊っていた胸もある。
そんな人の力になりたいと夢を見たこともある。
そんな人の支えになれたらと未来を考えたこともある。
嫌いだったところなんて何もない。
なのに、好きになれなかった。
自分のことなのに意味が分からなかった。
好きだと言ってくれる相手を好きになれない理由が理解できなかった。
毎日考えた。それを考えて眠れない夜もあった。
嫌いでもない許婚を好きになれない。
好きになってくれた相手を好きになれない。
好きにならないといけない相手なのに。
非の打ちどころのない人だったのに。
自分なんかのために全てをなげうってくれるような人だったのに。
「そういうこともあるわよ。……本当よ。男女だからって、誰もが恋愛できるわけじゃないもの。一緒に居られる人と一緒に居たい人って違うのよ。……レイユちゃん、もしかして一緒に居たい人が別にいたんじゃないの?」
そんな切込みにはもう苦笑しかない。
自分の大切な許婚はころころと表情の変わり、とても気さくな人だった。それでいて高貴であり雄弁であり勇敢だった。
その後ろには常に眉一つ動かさずに付き従っていた護衛がいた。主が話を振ったときも必要最低限な言葉しか口にしなかった。
ブランが「レイユが怖がるから少しは笑って」と言っても、「その人に怖がられても問題ないので」と返していたのを今でもよく覚えている。
出会った当初威圧感とも呼べる軽度な恐怖を抱いていたのは事実だ。
寡黙で無表情で、無機物のような静寂さで。
だが徐々にそれがあえてやっているものだと気付いた。そういう性分なのもあるかもしれないが、護衛に相応しい立ち振る舞いを心掛けているのだとブランに教えてもらった。
実は荒っぽい人で、良く笑う人らしい。
なら、少しでもいいから笑わせてみたい。
笑っているところを見てみたい。
そう思うようになってしまったのはいつ頃からだったのか。
「……そろそろ行きます」
レイユは静かに立ち上がった。
「もう行くの?」と眉を下げるバルゴに笑みで返す。
「でも、レイユちゃん。どこに行くの?」
釣られて意味もなく立ち上がったリリアにそう尋ねられてから少し考える。
行くべき場所は考えているが、何処が最適なのかまでは考えていなかった。歩きながら考えるつもりだった。
「……広場かな。この街から出るにはそこを通るしかないもんね」
厳密にいえば他にも複数あるが、この街に来て一日も満たない彼が知っているはずがない。
上から入ってきてしまったばっかりに、真っ当な入口すらまだ知らないことだろう。
そんな彼が街を出る前に、捕まえたい理由がある。
最後に渡しておかなければならないものがある。
そうしたら、それが最後になってしまうのだろうか。
彼とはどこまで行っても赤の他人でしかない。
離別し、何年も経つ。縁もより一層希薄になってしまったことだろう。
もう関わる理由がない。関わるための理由がない。
彼を呼び止められる理由が何もない。
なんて空っぽな人間なんだろう。
だが空しいことは何もない。
そんなこと、今になって気付いたことではないからだ。
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