第2話
飛竜の飛行速度は速い。
逃走を謀っているというのもあって尚のこと。
目は開けていられるのがやっとで、口は開けられそうにない。
元より飛竜は人の言うことを聞いてくれるような存在ではない。
中には意思を通わせる民もいると聞くが、もう絶滅寸前の技法だ。
少なくとも今竜を飛ばせている目の前の女にそんな手腕はない。なかったはずだ。
長く見積もってもここ数年で身に着けた腕だろう。
それ故に飛ばせるのがやっとなのか、向こうから何かを言ってくることもなく、上空で会話はなかった。
その甲斐あってなのか追手に捕まることもなく、飛竜が暴走することもなく、目的の場所まで飛行できたらしい。
しばらくすると高度が下がってきた。
街が粒のように見えるほどの高所を飛んでいた飛竜が降り立ったのは見知らぬ街だった。
見知らぬ街の知らない広場に着地すると、女は飛竜の頭部を撫で、背中から滑るように降りた。
降りるように言われたわけではないが、飛竜の主が降りた以上自分も降りるしかない。
手枷が着けられた状態のままだと背から降りるだけでも少々支障が出る。単純に動きにくい。その状態のままグレンも降りた。たったそれだけのことでもやや息が乱れる。
その傍らで、飛竜が影のような状態へと変化していく。
そしてそのままするすると女の袖口に入っていき、そのまま跡形もなく姿を消した。
実体が紋様に変化する。
あの飛竜がこの女の召喚獣であるということの証だ。
その光景に呆気に取られていると遠くの方から少女が走ってくるのが見えた。
淡い緑髪の少女だ。珍しい髪色なのでそれだけでも十分目立つのだが、近寄ってくると尚希少さが目につく。
人以上に大きい耳が際立つぐらい尖っている。
その少女は駆け寄ってくるとそのまま女に抱き着いた。
首の後ろにしっかりと腕を回す。何事かと思いきや、そのまま噎び泣き出し始める。
「おかえりぃぃ! 無事でよかったよぉお!」
「ど、どうしてそんなに号泣なの。リリア、落ち着いて」
「無理ぃぃい!」
わんわんとなく少女の勢いに押されながら、女も彼女を支えるように背に腕を伸ばす。
「無理もねぇだろ。お前、何してきたと思ってんだ。死刑囚を実刑直前に掻っ攫ってきたんだぜ? ちんたらしてたらハチの巣になってたっておかしくねぇことしてきたんだ。それぐらい許してやってくれ」
広場に今度は男が入ってくる。
小柄で髪が長い。少年ともいえる風貌だが、不思議とそうは見えない。
その男もリリアと同じように寄ってきた。
だがあんなことを言っていたわりに、首根っこを掴むようにしてリリアを女から引きはがす。
「まぁそれはそれとして。今はこいつの相手じゃなくて、そっちと話せよ。積もる話ってのがあるんだろ?」
身軽になった女は一つ頷くと、グレンの方へと向き直った。
銀色の髪。それをリボンで結っているらしい。束ねられているため長さは分からない。グレンの知っている彼女の姿は長い髪をただ垂らしているものだった。
それ以外に大きな変化はない。ただ少し、目つきが変わった気がする。昔はもう少し気の弱そうな、臆するような目をしていた気がする。
「……お久しぶりです、でいいんでしょうか。覚えてますか? 私、レイユです」
「……えぇ、もちろん」
死んでも忘れられない名前だ。否、忘れてはいけない名前だ。
彼女と自分の立場の違いも重々分かっている。
「余計なことをしてくれやがりましたね。何のつもりなんです?」
承知のうえで、跪くことも敬う言葉も取っ払った。
「何のつもりというのは……連れてきたことですか?」
「他に何かあんのか? ねぇだろ。今更俺に何の用だ」
グレンの粗暴な言い方にレイユは露骨にむっとする。品よく開かれていた両手が握られていく。
「用はありません。知っている方の命が危なかったので、いてもたってもいられなかっただけです」
「そんな仕様もない理由で凶行に出たのか? お前。馬鹿じゃねぇの? 前から湧いてると思ってたが」
更にレイユの目が釣り上がる。
どこか微笑んで見える口元がへの字に曲がる。
その口がかすかに開いたかと思えば嘆息が漏れた気がした。
仕草も表情も、変わりない。
紛れもなく自分の知っている彼女だ。
段々とその事実が身に染みてくる。
だが自分の知っている彼女は竜を手懐けてはいなかったし、あんな場所に単身で乗り込んでこれるような度胸もなかった。
「俺を助けた理由はなんだ」
彼女には変わらざるを得なかった理由があるのだろう。
心当たりがないわけではない。自分もそれに関しては他人事だと思う気はない。
その一件が尾を引いて、自分の首を切り落とそうとしていたのだ。
「言っとくが、あんたに協力はしねぇぞ」
「それは、えぇ、もちろん。私も協力してほしいなんて言いません」
曇らせていた表情を再起させ、彼女は芯のある表情で正面切ってそう言ってきた。
はしごを外された気分だった。酷く勝手な話だが。
「なら、なんで助けるような真似したんだよ」
「さっき言いました。知っている方が殺されそうになっていたからです。それをブラン様は喜ばれないと思ったからです」
「………」
ブラン。
自分の主だった人の名前だ。長いことその人に仕えていた。その人に命を捧げていた。
誰よりもブランを知っているし、誰よりもブランの近くにいた。
何を知った風なことを言っているのか。
大抵の相手にそう思うが、この人ばかりは別だ。
レイユがブランを語るのなら、それが『真』だと言わざるを得ない。
「……話は以上です。勝手をしたとは思っています。私にはもう貴方を守るだけの力もないのに、酷いことをしました。きっと私に残された縁ある人は貴方が最後です。だから死んでほしくなかった。……この街は、幸い身を隠すには向いています。ここから、貴方が新たな人生を歩めることを祈っています」
レイユはそう言って深々と頭を下げると、目を合わせずに背を向けそのまま歩き出した。
それを追いかける理由がない。
自分と彼女を繋いでいたすべてはブランという男の存在だ。
彼がいなければ自分たちは赤の他人。
属する国も違う。
歳も違う。
何もかもが違う。
今日という日がイレギュラーで、この先も接点はない。
きっと、それでいいのだ。
リリアが捕まえていた男を振り払い、レイユの後を追いかけだす。
あの人ならざる存在が何者かは分からない。
だが、自分の敵である可能性は否めないが、レイユの敵ではなさそうだ。
彼女は自分を縁ある最後の人間だと言っていたが、それはきっと誇張だろう。
自分の視界からいなくなってしまった後に出来た縁が少なからずあるはず。
なら猶更自分は彼女にとって要らない存在となる。
やはりあのまま断頭台の世話になっておくべきだったのかもしれない。
「手を出せ」
この場に唯一残った小柄な男がこちらに近寄って来て、顎をしゃくる。
言われるがままに枷につながれた両手を差し出すと、男は顔を近づけてじろじろと観察をし始めた。
鉄でできたなんてことない手枷だ。手首に嵌め、鎖でつながっている。
「ちゃんと手首のとこに鍵穴があんだな。んじゃ、これに合う鍵があれば外せんのか。へー」
「……外してくれんのか?」
「おー、いいぜ。手首から下とれても文句言うんじゃねェぞ」
「まさか、切り落とす気か?」
「いいや。生憎剣は使えないんでね」
男は口元を楽し気に持ち上げたかと思うと、指先をたわむ鎖の上に添えた。
その一瞬。手首に冷気が吹き荒れた。
鎖が凍り付いていた。
氷に変わっている、なんて状態ではなく。手枷の全てがその瞬間で氷に変化していた。
「オマエ、氷をかち割れる腕力があったりはしねェの?」
グレンは自嘲しながら首を横に振る。
「碌に寝食をとってない奴にそんな力があるわけねぇだろ」
前なら可能だったかもしれないが、今の自分にそんな力はない。
剣の腕も随分と鈍ってしまったことだろう。武人だった自分から力を取ってしまったら、やはり何も残らないのだろうか。残らないだろうな。考えたくはないが。
「あぁ、そうだった。オマエ、死刑囚だったな」
男の呟きの後にパリン、と氷が割れる。
ぱらぱらとその場に落ちていく氷を見下ろす。そうすると自分の足元が見える。
囚人服の裾が見える。
綺麗とは言えない服だ。すれているし、穴が開いている箇所もある。
風呂なんて毎日入れるはずがない。露出した肌が汚れていない方がどうかしている。
酷い見た目だ。
自分が大層な人間だと思ったことはないが、随分と落ちぶれた。
「さて、どうすっかな。風呂は貸してやってもいいが、服か。絶対お前俺の服入んねェよな。タッパが違いすぎるもんな」
それは間違いない。
下手をすれば10センチ近く差がある。
そんなことを口走りそうになり、はたと気付く。
当たり前のことのように受け入れそうになってしまった。
「あんた、名前は?」
「教えてやってもいいけど、そんなことより、お前、名前は?」
「……俺が言うのも変だが、新聞とか読まないのか? グレンだ」
「あぁ、そうだった。グレンな。ここの連中は俺のことをリギィって呼んでるが、まぁ好きに呼んでくれ」
「そうか。なら、リギィ」
「あ?」
「あんたとさっきのエルフ—―リリアって呼ばれてたな。なんであんたらははそんなに協力的なんだ」
何ならこの男はこちらの名前すら把握していなかった様子だった。
エルフの少女に至っては親身になってる素振りすらあった。
レイユに手を貸すのならまだ分かる。ここでの付き合いが長いのだろうである程度の納得は出来る。
だが自分は初対面だ。
聞くと、リギィは素っ気ない態度で言う。
「いや。別に俺はあんたに協力する気はないぜ? 俺の連れが妙に肩入れしてるから仕方なくって奴だ。そんなことよりついて来い。都合のいい場所を思いついた」
男は長い髪を揺らしながら歩き出す。
身の丈に合わない大股で振り返らずに歩いていく。
その後ろ姿について行かず、このまま出頭する選択もあっただろう。
少しは道理に沿ったことをすればせめて地獄には行けるかもしれない。
少しは綺麗な存在になれて、あの世でいつかはあの人に会えるかもしれない。
そんなことをよぎらせながらグレンは先を行く背を追いかけた。
死ぬべき定めがあるのならそれを踏むのが人の道なのかもしれない。
そうすればあの人に恥をかかせることはないかもしれない。
だがここで彼女のことを見捨てれば、それこそあの人と二度と会えないかもしれない。
レイユ。
彼女は他でもなく主が大事にしていた相手だ。
ブランが大切にしていた相手を見捨てたら、それこそ地獄にも行けないかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます