鋼の頭蓋に響くのは

ミツヤヌス

鋼の頭蓋に響くのは

 涅槃へと至る多幸感は、あらゆる歓びを凌駕する。

 MTVに身を投じるきっかけは様々でも、身を投じ続ける理由の、少なくない部分がそこにある。金も勝利も大事だけれど、それすら忘れてしまうくらい、美しい鐘の音を聴くために、その先へ辿り着くために、私達は殴り合う。

 鋼の腕が、鋼の体を押し潰し、原型を留めぬほど互いの体を破壊しつくして、ようやくその糸口が垣間見える。一方的に蹂躙されるのでは至れない。必要なのは、死力を尽くすことだ。私達は、敗北の甘美な誘惑に耐えながら、全力で勝利を目指さねばならない。

 だから、MTVのプレイヤーたちは、敵であり、協力者であり、なにより同志だった。

 そんなことを、リングに崩れ落ちたヴィックを見下ろしながら、再認識する。

 その腕は折れ、足は千切れ、辺り一面、オイルとケーブル、数えきれない鉄片が散らばっていた。頭部を覆う人工皮膚は半分ほどが捲れ上がって、鉄の頭蓋を会場の熱気に晒していたが、その顔はどこか満足げに見えた。

 渦巻く歓声怒声の中心で、私は彼を祝福する。聴いているのか、ヴィック。美しい涅槃の鐘の音を。


   §


「エリー」

 人波の引いたアリーナを抜け、帰路につく私を呼ぶ声がした。つい足を止めるが、振り返ることはしなかった。

「帰ろう」

「帰るさ」

「そうじゃなくて」

 数刻前までの熱気が嘘のようだ。会場へ続く正面玄関はしんとして、ただ薄緑の明かりだけが、辺りを仄かに照らしていた。そこに、大きなため息が響く。

「わかるでしょ、私の言いたいこと」

「わかんないね。金か?」

「そんな訳ない」

 サンディはぴしゃりと言った。私は肩を竦める。

「戻ってきて」

「ごめんだね。切り詰めて切り詰めて、やっと一週間生き延びられるかどうかの生活なんて。お前は黙って、私の稼ぎを受け取ればいい。汗水垂らしちゃいないけどさ」

「いらない。姉さんがいないもの」

「ねえ、よく見なよ、サンディ。ここにいるのは、ほんとにお前の姉さんかい?」

 常人の何倍にも膨れ上がった、鋼の体。今身に着けているのは、当座を凌ぐスペアだが、それでも異形というには十分だろう。私はただ、その背中を見せつけるようにした。

 〈大いなる暴力の騒擾the Mayhem of Titanic Violence〉なんて、低俗な名前を冠した拳闘ショーの出演者プレイヤーは皆、およそ「人でなし」だ。私達は、ショーに出るため、体のほとんどを機械化し、戦う度、壊れる度、よりよい肉体を目指して形を変え続ける。

 義体化以前はおろか、試合前とすら、私の形は異なっている。場末のダイナーのウェイトレスだったエリーは、とうに影も形もない。

「でも、エリーはエリーよ」

「それももう違うよ、サンディ」

 エディ。それが今の、私の名リングネームだ。リングにしか生き場がない以上、他の名前は必要ない。

 けれど、「違わない」とサンディは頑なだった。

「どんなに形が変わっても、これまで積み重ねて来た時間が、姉さんをエリーとしてあらせ続ける。大体、外見の変化で別の人になるっていうなら、義体化していない人間だって、今日の自分と明日の自分、まるで同じ形ではないわ。毎日少しずつ老いていく中で、髪も染めれば服も着替えるし、化粧だってする。姿形が異なっても、それでもその人はその人よ」

「違うよそれは。まるで違う」

 義体化による肉体の変化は、老化のように漸進的なものでも、体の延長線としての表面だけを変化させるものでもない。肉体の輪郭そのものを、内包する機能さえも、一息に、根こそぎ変えてしまう変化は、生まれ変わりに等しい。私達は、何度も死んで、その度に違う形に生まれ直すんだ。

「どうせお前にはわからない」

 わかってもらうつもりもない。体験しさえすれば、理解できるかも知れないけど、それは、お前がわからなくていいことだ。

「お前と違って、元々エリーの見た目は好きじゃなかった。それを脱ぎ捨てられたんだ、清々してるよ。そもそも、どうせ半分しか血の繋がってない、出来損ないの姉貴だ。そんなこだわることないだろ」

「私はエリーに、こんな物騒なところにいて欲しくないだけ。戻って来てくれさえすれば良いの。貰ったお金には手をつけてない。だから、エリーが望むなら、すぐにだって換装して、普通の女の子に戻れる。勿論、そっくり元通りの姿じゃなくても構わない」

「戻りたくないって、言っただろ。ここにはね、男だとか女だとか、そういう面倒臭い二項対立は存在しないし、それで何かが決められることもない。ここじゃ、外形は価値を持たないんだ。どれだけ義体に適合できるか、どれだけ勝ち星を稼げるか、そういうもっと単純な価値の尺度が全てだ。私には、こっちのが性に合う」

 MTVプレイヤーたちの姿形は、しばしば一度の試合でがらりと変わる。特定の形を持たないから、その姿を比較して貶められることもない。その形に、意味を求められることもない。

 プレイヤーたちの異形かたちは、単に機能でしかない。ごつごつとして、小山のようなこの体も、人目を引くためのものでなく、戦うための道具だ。その変貌は内部にも及ぶ。勝利のために、「女性らしい」機能の尽くをパージした私に、サンディの望む「普通の女の子」としての生活は、最早取り戻すべくもないだろう。

「それに、物騒だって言うけど、外よりよっぽど安全だよ。私達の殺し合いは、堅牢な脳殻とスポンサーに守られてる。リングの外じゃ、殺されそうになったことは一度や二度じゃなかった。ここなら、脳さえ残れば死にはしない」

 本当の殺し合いを興行化するために、MTVはあらゆる器官をモジュール化しうるような、システムを構築した。手足は言うに及ばず、目や耳、肺や心臓すら、換装可能だ。

 しかしたった一つ、未だモジュール化できない部位がある。それはMTVプレイヤーが〈メタルヘッズ〉と渾名される理由でもある。つまり、脳だけは機械化できないから、どんな衝撃でも壊れない、鋼の外殻で覆われている。

 それさえ残っていれば、体は幾らでも替えが効く。金もスポンサーが出してくれる。

 だから、安心して戦える。ただひたすらに、涅槃を目指せる。

「とにかく、そういう訳だから」

 話は終わりだとばかりに手を振って、大股で歩き出す。

「お前にやった金は、お前のために使え。良いな」

 サンディが納得していないだろうことは分かった。でも、再び呼び止められることもなかったから、私は振り返ることなく、夜闇の中へと立ち去った。


   §

 

 メタルヘッズの戦いは、涅槃の到来によって終わりを迎える。

 試合開始をゴングが告げるや、私達は、限りなく停止へ近い場所へと走り出す。相手の肩を、背を、文字通り叩き合いながら、絶頂へ向けて互いの体を壊し続ける。そうして次第に、私を規定する形が崩れていく。それは、生まれ変わりへのプレリュードだ。

 損傷が苛烈になるにつれ、幽かな鐘の音が響き始める。きっと本当の音ではないけれど、MTVプレイヤー達が誰しも一度は耳にする、美しい音色。ひょっとするとそれは、唯一残った生来の部品が揺れる音、脳の鳴らす警鐘なのかも知れない。

 でも、それが気持ちいいんだ。安らぐんだ。安寧の音色とともに、折れた手足、欠けた体、揺れる頭ラトルヘッドでしか至れない境地目がけて、私達は殴り合う。

 そうして、その時が訪れる。たった一瞬の、けれど永遠に思えるような、あの感覚がやってくる。今だって私は、早くそこへ辿り着きたくて仕方がない。

 鋭い突きが、頬を掠めていった。反撃の隙を窺うが、今一つ攻めきれない。

 これまでも、数え切れないほどのメタルヘッズと戦ってきた。

 老獪極まる〈ブラック・ドッグ〉、鉄壁無比な〈アカダカ〉をはじめ、灼熱の四肢を持つ〈パイロマニア〉、並列思考で多腕を操る〈ニッキー〉、腐蝕毒を放つ〈ホワイト・ヴァイパー〉、超常的な自己修復能力を誇る〈ランドール〉、体中のドリルで尽くを粉砕する〈リトル・ボーイ〉など、強敵は枚挙に暇がない。

 しかし、今回の相手は、彼らと違った意味で戦い辛い。

「MTVの寵児って、こんなものなの?」

 挑発するように、サンディは笑う。返事代わりに放った拳は、いとも容易く躱された。

 私、〈エディ〉のプレイスタイルは、極めてスタンダードかつオーセンティックだ。巨大な体を自在に駆り立て、しなやかな連撃ウィップラッシュで相手を翻弄、必殺のライトハンドを叩き込む。

 基本的に、人型を外れれば外れるほど、義体の扱いは難しくなる。加えて、精神の鋳型たる肉体の異形化は、プレイヤーの心をも変質させるのが常だ。私が巌のような肉体を御し続けられるのは、歴戦のメタルヘッズに勝るとも劣らない、身体改造への適合率の高さ故だった。

 では、サンディはどうか。当然、生身でリングに上がるはずもない。脳殻の組み込みは当然として、運動能力の飛躍的な向上に加え、腕の中にはヒートブレード、脚にはスラスターが搭載されている。しかし、リングを跳ね回る奴のシルエットには、以前とあまり変化がない。どうやら、この期に及んでなお、「普通の女の子」であることを手放せないらしい。

「その程度の覚悟で、どうしてここへ乗り込んで来た!?」

「あなたのためよ、エリー」

「くだらねぇ!」

 吐き捨てて、左腕のブラスト・リボルバーをぶっ放す。薔薇色の発火炎が空気を焼くが、掠りもしない。強化ガラスの向こう側で、観客は大いに沸いていた。

 格闘技術の体得すら、MTVは容易なものに変えた。脳殻にディスクをインサートするだけで、即座にメタルヘッズの仲間入りだ。無論、拡張が甚だしくなるにつれ、新しくプレイスタイルを編み出さねばならず、トッププレイヤーと渡り合うには、相応の技術と肉体が必要になる。

 にも関わらず、サンディがデビュー戦から私とやり合っているのは、彼女の背負う「物語」が観客に「ウケる」とプロモーターが判断したからで、やり合えているのは、私の弱さが原因だ。

「おいサンディ。一個だけ忠告してやる」

「聞いたげる」

 爆風が空気を震わせ、サンディが距離を詰めた。

「戦う理由を、自分の外側に預けるな」

 五本の指を、固く握る。鋭く唸る奴の腕を払い除け、巨大な右拳を、その身目がけて叩きつけた。骨身を砕く、確かな手応え。

「そうでなくちゃ、やり続けられない」

 大きく吹き飛ばされたサンディは、よろよろと立ち上がるが、爛々と輝く双眸だけは、しかとこちらを見据えていた。

「そうね……なら、私も私のためにだけ、戦うことにする。ここから、エリーの居場所をなくして、引き摺ってでも連れて帰るため……あなたのためじゃなく、私がそうしたいから、戦うわ」

 喘鳴とともに彼女は宣言した。呼吸機能はまだ、自前のままらしい。ここにいれば、そのうち息を切らすこともなくなるだろう。

 一瞬前までぴかぴかだったサンディの義手は、傷つき、ひしゃげ、見る影もない。義足は煙を吹き出して、打ち抜かれた腹部からは、夥しい血と臓腑が、絶え間なく零れ落ちていく。彼女は既に、死に体と言ってよかった。

 ああ、それでも。こうも凄惨な形に成り果ててなお、どうしてお前は美しいんだろう。

 サンディのスラスターが眩い光を放つ。凄まじい速度で、二人の間合いはゼロになる。

 サンディに放った言葉は、私の胸にも刃先を向ける。お前はどうだ、と自問する心を、問題ないと打ち消した。

 お前にだけは、光差す道を歩いていて欲しかった。だから、稼ぎの大半を渡し続けてきた。しかしきっとそれも、MTV出演の頭金に消えて、彼女自身もこちら側に飛び込んで来てしまった。

 最早、私が体の外側に託した、戦う最後の理由は消えた。あとに残されたのは、純粋な、涅槃への渇望だけだ。けれど――。

 真っ赤に焼けた刃が迫る。耐え切れると踏んで受け止めた刹那、顎先に重い衝撃が走った。脳天が揺れる。鐘の音が聴こえる。終わりは、近い。目指すゴールはすぐそこだ。

 ――けれど、姉として、MTVプレイヤーとして、私にはまだ、やることがある。

 誰からも醜いと謗られ、害されたエリー。誰からも美しいと愛され、それでも害されたお前。安心してくれ、サンディ。それを、今から砕き潰す。

 崩れ落ちかけた脚部で、モーターが唸る。飛びかける意識を握り締め、大きく振り被った拳を、満身の力で打ち放った。

 洗礼だ、サンディ。お前を涅槃へ――醜くても、美しくても。その外形がお前を傷つけないところへ、私が連れて行ってやる。

 観客は、迸るあぶらに湧き、飛び散るてつの塊に小躍りする。渦巻く歓声怒声の中心で、私は彼女を祝福する。

 無惨に散った義体の残骸に紛れ、変わり果てたサンディの頭が転がっていた。そこに残った歓喜の色に、私は少し安堵する。

「愛してるぜ、サンディ」

 美しい鐘の残響は、いつまでも頭の奥で木霊していた。

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