第42話 隠されていた事実

 小さな背中が扉に隔てられてから、ハルヴェルは笑顔を消してシュニジエに向かい合う。薄い色素の唇は、ためらう素振りも無く開く。


「――毒ですね」

「……」


 予想の範疇なのに、ハルヴェルは声を出せなかった。


 ウィリエスは、現在十歳だ。本人の話では、母が死んだのは六歳の頃。薬を飲み、一日中部屋にいる女性だったらしい。その若すぎる死が天寿によるものか、はたまた与えられた「薬」のせいかは定かではないが、後者である確率は低くない。


 この薬物を用意したのは、第二妃だ。動機としては、実の子の将来を脅かす存在を排除したかったというところか。

 しかし、それにはどうにも違和感がある。アンジェルの調べによれば、ウィリエスの母は正真正銘の平民だ、生まれたウィリエスに王位継承の資格は無いに等しい。また、ウィリエスはリディエラの枷だと断言できる。リディエラを縛りつけて進んでいるのは、第一王子派と王女派の対立。ラインヴィルトの確実性を追求するのなら、この状況を招くのは矛盾している。

 要するに、毒を用意していたのは第二妃だが、それが本人の意思かと問われれば否。――ハルヴェルが捉えていた以上に、この国の首魁は腐っているのかもしれない。


「とは言え……量を誤れば、そうですね、害になるというだけで、薬にも使われる植物の果汁です。ですから、今やめても遅くはないでしょう」


 体調を崩すのはこれを不当に摂取するせいですよ、とシュニジエは眠そうな眼差しを瓶に向けた。とろみがあるそれは、瓶が傾くのに合わせたぷたぷと揺れる。ぎらりと光を反射する様は、血だらけの牙を見せつけているかのようだ。

 これを少なくとも三年以上飲まされ続けていたことを思うと、ハルヴェルの心は負の感情で押し潰されてしまいそうになる。もっと早く気づけていれば、もっと早く手を打っていれば。まだ致命的ではないと断言されても、ここで止められて良かったとはどうしても思えない。

 ハルヴェルだけは、冷えきった床に転がされていた少年を、その浅い呼吸を繰り返す姿に肩を震わせた少女を知っている。掛け替えのない二人の辛さは、ハルヴェルの心にも痛みとして染み込んでいる。忘れようとしても忘れられない、小さな白い手の温度。浮かべた涙は、ハルヴェルにはどうしようもないものだった。


 シュニジエは散らかした道具を片づけた。カチン、と箱の金具を留めたところで、ハルヴェルに説く。


「あれは、あくまで薬です。治療のために使ったと言われてしまえば、追及できません」

「分かっている……」


 いっそ劇薬であれば楽だった、とは不謹慎だろう。それでも、ハルヴェルは眉間に中指を当てずにいられない。背中を丸め、深い深い溜め息を吐く。

 決して、ウィリエスを陥れた犯人を糾弾したいというわけではない。もちろんそれが順当な道筋だろうが、ハルヴェルが望むのは、リディエラが望むのは、ウィリエスの命の安寧だ。だからこそ、ウィリエスをあの牢獄から連れ出した。ウィリエスの身に及んでいた悪意が善意だと偽られるのは許しがたいが、最優先事項は別だ。


「ウィリエス殿下に、毒や薬物の手ほどきを。解毒法も合わせてお教えするように」

「先程の……『薬』も、よろしいのですか?」

「いつかは分かる……いや、その件は私から伝えておこう」


 ウィリエスは遅かれ早かれ知ることになるだろう。だが、それを赤の他人同然のシュニジエから明かされるよりは、ある程度信頼関係を築けているハルヴェルから聞かされたほうが良いはずだ。

 果たして、ウィリエスはどのような表情をするだろうか。泣くかもしれないし、平気な振りをして愛想笑いを見せるかもしれない。聡い少年のことだから、自身が姉の人質とされていたことに思い至る場合もある。命を素手で掴まれていた恐怖は、ウィリエスを正気でいさせられるだろうか。


 やがて、シュニジエは退出した。パタン、と閉まった扉を合図に、空気がしんと静まり返る。


 ハルヴェルは、未だ感情を持て余していた。ソファーから立ち上がる気にもならず、くしゃりと髪をかき寄せまたも溜め息を吐く。


 今頃、ウィリエスはセーグルと共に小径を歩いているだろうか。生まれて初めて見る草花に目を輝かせ、真新しい記憶を焼きつけているところだろうか。

 その光景が容易く想像できてしまって、ハルヴェルはきつく目を閉じた。どうか、これからはこれまでと異なるように。どうか、これからは自由に生きられるように。どうか、これからは、誰にも踏みにじられることがないように。

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