第41話 薬

 翌朝、ウィリエスはハルヴェルに笑顔を見せた。セーグルと食卓へ着こうとしていたところに歩み寄り、疲れが取れた顔で柔らかく笑った。


「おはようございます。ハルヴェルが朝からいるのは、なんだか不思議な感じがします」


 さようでございますね、と肯定しつつ、ハルヴェルはウィリエスの額に手の甲を当てた。平熱だ。セーグルに向けて頷き、ウィリエスを席まで誘導する。実のところ、ウィリエスの体調が心配だと年長二人で話していたところだった。とりあえず、今日の予定に変更は必要なさそうだ。


 長方形のテーブルに、使用人たちが食事を並べていく。野菜や果物が多いそれらは、体が弱いウィリエスのために予め取り決めておいた料理だった。さっぱりとした味つけで、ただし野菜の苦みは最低限に抑えてある。食欲が湧くようにと、彩りや形も鮮やかだ。

 ハルヴェルとセーグルがそれとなく見守る中、ウィリエスは歓声を上げた。こんなにきれいな食事は初めてです、という賛辞は、これまでの質素な生活を無意識に示唆している。さらさらとしたスープを一口飲むと、おいしいです、と再び笑った。それを見て緊張を緩める、ハルヴェルとセーグル。ウィリエスには、この調子で静養してほしい。


「殿下、本日ですが、朝食後に医者を呼んでおります」

「あ……僕のお薬ですか?」

「ええ」


 王城を出る際、薬は持たされたはずだった。普段は侍従が管理している薬箱を預かったと、リディエラから貸し出された侍女が確かに言っていた。しかし蓋を開けてみれば、箱の中にあったのは空っぽの瓶。しかも、薬の色移りも残り香も一切無い。

 果たして、これは偶然だろうか。もしかしたら、否、十中八九、第二妃の指示で侍従が入れ替えたのではないだろうか。貴重ゆえに漏出を嫌ったか、そもそも薬ではなかったか。


 ――治療には……ええ、治療でございます。


 カーニャの意味深長な言い回しが、ハルヴェルの頭の中でぐるぐると回る。もしそうならば、リディエラがウィリエスを王城から出すことにこだわっていた理由にもなる。その真偽を確かめるために、ハルヴェルは今日医者を呼んだ。


 朝食を終え、ハルヴェルはウィリエスを連れて応接間に向かう。たどり着くと、向かい合ったソファーの片方にはすでに男性が座っていた。サンドルト辺境伯家が抱えている、老齢の医師だ。背もたれ越しに控えているのは、助手か後継者といったところか。

 ウィリエスは祈念の夜に言われたことを覚えていたのだろう、ハルヴェルの背後に隠れながらも、たどたどしく声を掛けた。それを待って、男性は自己紹介と共に簡易的な礼を取る。


「お初にお目に掛かります。……サンドルト辺境伯のもとで侍医を務めております、シュニジエと申します」


 雪のような白髪を粗雑に束ねた老人で、声は震えているうえに出だしが煩雑だ。しかし、その知識と目が間違っていたことは一度としてない。シュニジエ子爵家はサンドルト辺境伯家が代々雇い入れている医師の家系であり、その実績は高く積み上がっている。血に固執せず優秀な養子を後継者に選ぶ点は、彼らの医療への姿勢と雇い主への忠誠心の表れだろう。ハルヴェルも先祖に同じく、その腕前を高く買っている一人だ。


 全員が座るや否や、まずはお話を、とシュニジエは問診を始めた。王城を出た理由には触れず、これまでの生活環境や症状を細かく問いただしていく。それに対してウィリエスは、途中途中でつっかえながらも誠実に答えていった。何をするでもなく部屋で一日を終えていたこと、毎日蜂蜜水を飲んでいたこと、しばしば倒れては高熱で寝込んでいたこと、医者に診てもらった経験はなく、侍従が用意する甘い薬を飲んでいたこと。


「色は?」

「あ、赤、です」

「赤……。粉末でしたか?砂のようだったとか、葉の……かけらが、残っていたとか……」

「えっと、あの……えっと、水……みたいな……」

「――水?」


 突然、シュニジエの雰囲気は厳しいものに変わった。ふむ、と顎に右手を添えて思案した後、テーブルに置いていた箱を漁り始める。

 ただならぬ空気を悟ったウィリエスは、己が何かを間違えたのかとハルヴェルを見上げた。医療の専門家に聞かれたから答えたが、やはり秘していなくてはいけなかったのだろうか、そう弱々しく尋ねそうな円い双眸に、ハルヴェルは許しだけを保証する。ウィリエスには悪いが、予想が当たりそうでハルヴェルの内心も荒れているのだ、無責任に大丈夫だとは言えない。


 カチャン、カチャン、と器が並べられる音。何らかの植物を煎ったものだろう粉末と、指先で摘まめる程度の小さな実。トポトポと注がれる液体は、バラを煮詰めたような透き通ったものと、血を混ぜたような黒いもの。二つ目の果実はシュニジエの手によって軽く砕かれ、合計四つの薬物がテーブルに並んだ。


「嗅ぐだけに留めてください。決して、決して触れぬよう、十分に注意を払って」

「あ、は、はい」

「私がお持ちいたしましょう」


 ハルヴェルが持ち上げた器に、ウィリエスが恐々として鼻を寄せる。こてん、と頭が右に傾いたのを合図に、次へ。小動物のごとく庇護欲を刺激する仕草だが、調べているのは危険な薬品、そのちぐはぐさが不安をあおる。

 二つ目、三つ目。ウィリエスはまだ首をひねっている。

 四つ目、赤黒い液体を前にしたとき、あ、と小さな声が漏れた。


「あの、これ、僕が飲んでいたお薬に似た臭いがします」

「あぁ……そうですか」


 嗄れた声に宿るは、落胆と憐憫。


「……ウィリエス殿下、セーグル先生と庭の散策をなさいますか?」

「えっ、いいんですか?」

「ええ、ぜひ。昼食の時間になればお呼びいたします」

「ありがとうございますっ」


 ハルヴェルが控えていた騎士に目配せすれば、ウィリエスは連れられて部屋を出て行く。今にも駆け出しそうな後ろ姿だ。生まれてこの方まともに外を歩いたことがないウィリエスにとっては、庭の散歩さえ夢のような出来事だろう。

 ここは辺境伯領だ、敷地の防備と警備は十二分に施されている、危険はまず無い。セーグルなら大抵のことは上手くかわすだろうし、騎士たちがいれば邸内に逃げ込む隙もできる。本当はハルヴェルも同行したいが、今はシュニジエの見解を聞くほうが重要だった。

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