第34話 祈念の夜Ⅱ

 五組、ウィリエスと話をさせた。サンドルト辺境伯家と親交を持つ者に限定したので、ウィリエスが攻撃されたり過剰に探られたりすることはなかった。しかし、それでも子供は限界が来たらしい、俯いている時間が長くなってきた。ハルヴェルは、アンジェルの首肯を確認してから隣に並び立つ。


「殿下、お部屋に戻りましょうか?お疲れのようにお見受けいたします」


 十歳にしては低い背丈。ハルヴェルはしゃがみそうになる己の体をなだめた。初対面ならいざ知らず、顧問という肩書きを負ってしまってはかえってひざまずけない。埋め合わせに腰を折り、できる限りウィリエスの近くで声を掛けた。

 実際、いち早くここを抜け出してほしい。この短時間で、サンドルト辺境伯家が王位争いに介入していない証明はできた。そして、最低限だがウィリエスを保守派の他の貴族と繋ぐことも叶った。第三王子は王位継承に関心を抱いていない、という体はとりあえず作られただろう。


 円い黒水晶に生まれたのは、安堵ではなく未練。


「でも……あの、まだ、お話できていません……」


 そう言いつつ示唆する人物に視線を向けかけ、慌てて俯く。この場所に来るまで、ウィリエスはリディエラと一言も交わせていなかった。数ヶ月顔を合わせていないのに、リディエラはウィリエスを見向きもしなかった。

 お姉様、と呼びかけようとすれば、ラインヴィルトに目だけで止められる。畏怖の対象である長兄の威圧に、ウィリエスは刃向かってまで姉に触れようと思えなかった。ハルヴェルが教えてくれた、自身が倒れた日に心配していたという話を信じて耐えるしかなかった。


 今、リディエラの周囲は王女派が固めている。前回のようにウィリエスを気遣う素振りも無く、リディエラは支持者たちと華々しく笑い合っている。一番側にいるのは、ドッグヴァイン辺境伯家の親子だ。本心を完璧に隠した顔で、リディエラはガルベンと楽しそうに話す。その関係性を探らせたいのか、二人は殊更親密そうに振る舞っていた。


 父の言は事実らしい、とハルヴェルは苦い気持ちを押し殺す。断じて嫉妬ではない、不安と心配だ。王女派が下手を打てば、リディエラもドッグヴァイン辺境伯家もただでは済まない。ドッグヴァイン辺境伯家は北の砦だ、取り潰しにはならないだろうが、代替わりの強制や領地没収などの代償を課されることになる。そして、リディエラは悪条件の貴族へ降嫁させられるはずだ。爵位が低いか、王都から遠く離れた地か。どう転んでも不幸な結末だろう。リディエラがそのように終わることを、ハルヴェルは許容できない。


「今宵は難しいかと。ウィリエス殿下こそ危ない立場になってしまいます」

「で、でも……」

「殿下……」


 ――とん、とアンジェルがハルヴェルの手を叩いた。合図に目線を上げれば、こちらに歩いてくる小さな兄王子。

 この話は後ほど、とハルヴェルは言い残して姿勢を正した。察したウィリエスも、背筋をぴんと伸ばして拳を握り締める。


「ウィリエス、戻るぞ。無理はするなと兄上が心配されている」

「……はい」


 トランヴァルトが許していないから、ハルヴェルとアンジェルは何も言えない。敬服した表情で頭を垂れ、後ろ髪を引かれた様子で振り返るウィリエスに別れを告げた。

 去り際にハルヴェルをにらむトランヴァルトに気づいたのだろう、アンジェルが視線はそのままに口を開く。


「目立つなと言ったはずだが」

「申し訳ございません」


 意図したわけではないという結果は、それを防げなかったという結果でもある。ハルヴェルの落ち度は、ラインヴィルトから距離を取ろうとするあまり、第一王子派の他の面々に注意を向けなかったことだ。ルアンとカーニャの二人は意識していたが、トランヴァルトはほぼ視野の外に追いやってしまっていた。リディエラとラインヴィルトの作られた対立に気を取られ、その周辺まで気が回っていなかった。

 思えば、王女派の内情も大して詳しくない。出回る噂とガルベンの言葉で、知った気になっているだけだ。ある程度の自由が認められるうちに、情報を集めておくべきかもしれない。

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