第28話 二度目の春Ⅰ

 春は産声を上げた。氷を小川に治し、花びらをもって雪に代わらせる。人の往来が盛んになるに連れ、町に活気と色が溢れる。駆ける子供の笑い声は空高くに吸い込まれ、星となって夜を彩る。ある者にとっては再会の季節、他の者にとっては終わりが生まれる季節。

 太陽が沈む度、猶予が刻一刻と削られていく。輝きなど、影の裏側でしかない。種を割った新芽はその幼い葉を精一杯広げ、太陽を一身に浴びぐんぐんと成長する、根を張り、雨を吸い、大地に闇を落とすまで。


 轍をなぞる車輪と、大地を揺らす馬の蹄。ガタゴトと滑稽に揺れながら、幾台もの馬車が城門をくぐっていく。ウィリエスの部屋にいながらその光景を想像しているハルヴェルは、待ち受けているだろう追及や叱責に改めて気が滅入った。


「ハルヴェルのお父様も、今日いらっしゃっていますか?」

「ええ、恐らく。加えて申し上げますが、私の父は貴族ですから、そのように敬ってはなりませんよ」


 ハルヴェルが顧問らしく指摘すれば、はい、とウィリエスは眉尻を下げた。しかし、そこに当初のような萎縮は見られない。冬の間の濃密な交流を経て、ウィリエスはハルヴェルを兄のように信頼している。主従関係としては過度な触れ合いだが、時たま頭を撫でたり笑って話を聞いたりするハルヴェルは、ウィリエスにとって姉であるリディエラと重なる部分が大いにあった。


 社交が十分に経験できていない身では、王族と貴族の溝を理解しろと言われても無理に等しい。ハルヴェルはそれを察しつつ、外の話を聞かせて自立を促すようにしている。

 リディエラは恐らく、この部屋に二度と来られない。再会のためには、早いところウィリエスが一人で判断、行動できるようにならなくてはいけない。会いたいと口にするだけではなく、そのために遠回りにも見える道を選択できるだけの力を。


 倒れた日、ウィリエスは一晩中眠っていた。目覚めた翌朝も熱があり、数日はもうろうとした状態で食事を取るだけだった。しかしリディエラが言ったように体調は次第に回復し、七日後にはベッドの上ながらハルヴェルを笑顔で迎えられるようになった。

 結局、ハルヴェルはウィリエスの容態について詳しいことを聞き出せていない。と言うのも、侍従は指示を受けているのみで詳細は知らず、ウィリエスも自身のことなのに把握できていないからだ。当然他の貴族、はたまた兄王子であるラインヴィルトにも問いただしたが、知らないかかわされるかの二択。

 民間療法よろしく、ハルヴェルは基礎的な住環境を保つことしかできていない。尤も、ウィリエスにとっては椅子が一つ増えるだけで劇的な改善なのだが。初め、この部屋には物が少なすぎた。


 春を感じようと窓に額を押し当てるウィリエスをなだめ、ハルヴェルはいつもの席に着いた。もはや使い慣れた机を挟んで、子供の細い足が行儀良く並ぶ。好奇心と不安がにじむ双眸で、ウィリエスは視線を向けた。


「ハルヴェルも、祈念の儀は初めてなんですよね?どのようなお祭りか知っていますか?」

「特別なことは大してなく、教会で祈りと花を捧げるそうです。殿下にとって重要となるのは、昼ではなく夜のほうかと」

「お姉様にお会いできますか?」

「姉君がいらっしゃるのであれば、きっと」


 会いたいです、とウィリエスは呟いた。されど、必ず、とハルヴェルが返すことはできない。同じく会いたい気持ちは持っているが、実際は顔を見るに留まるだろう。ウィリエスは別としても、望む通りに楽しく話せるかは不明だ。


「ハルヴェルを見つけても、話しかけたら駄目ですか……?」


 無論のこと、ウィリエスは数日後に迫っている祈念の夜が怖くて堪らなかった。秋の夜宴で、姉が予想以上に冷たかったことに衝撃を受けたのだ。決して馬鹿ではないので、祈念の夜でもそうなるだろうと容易に予想できる。

 自分より大きな体のトランヴァルトに手を掴まれたままでいるのも、べたべたと気持ち悪い嘲りになぶられるのも、それまでいないものとして生きてきた子供には酷な経験だった。そして、今はリディエラとハルヴェルだけは味方だと分かっている、二人によって心細さを解消しようとするのは無理もない。


 そうですね、とハルヴェルは相づちを打った。肯定のためではなく、思考を束ねる時間稼ぎのための文字列。

 ハルヴェル個人、ひいてはサンドルト辺境伯家が王位争いから身を退くと示すには、ウィリエスとの接触が手っ取り早く真実味もある。問題は、ハルヴェルの父がそれを容認するかどうか。すでに賽は投げられたと言って差し支えない状況ではあるし、そもそも領土や権力争いからは一歩引いた家門であるから、頭ごなしに拒否されるということはないだろうが。王都に来るにあたり、大きな力には巻き込まれるなと散々言い含められている、第三王子がそれに該当しないことを願うばかりだ。


「お約束はできませんが、私のほうから参りましょう」

「ぼ、僕から行ったら駄目ですか……?」

「そうですね、あまり。どうしてもというときは構いませんが」


 膠も無い返答に、ウィリエスはなおさら意気消沈した。護衛という名の見張りは付くにしても、たった一人で立っていなくてはならないことに変わりはない。リディエラの周囲には怖そうな人ばかりだから割り込めないし、ラインヴィルトとはまともに話したことがなく、トランヴァルトが自分を好いていないことは察している。そのような誰も側にいない状況で、他の大人たちと楽しく話すなど不可能だ。

 いつかの日、勉強と称してハルヴェルから夜会での振る舞い方を教わったものの、上手くできる気が全くしない。しかし、失敗すれば恐らくハルヴェルが怒られる。賢いウィリエスは、自身の言動が他者に迷惑を掛けることをすでに理解していた。恩を仇で返すようなことはしたくない、ウィリエスの心境はその一言に尽きる。

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