第25話 王女の現状

 他にもう一点、トランヴァルトは勘違いしている。と言うのも、ウィリエスがリディエラの庇護対象に含まれているという事実は存在していない。

 豊穣の夜、二人の仲は部外者に分かるほど良好ではなかった。その場にいたほとんどの貴族には、王族の全員が第三王子に無関心であるように見えたはずだ。ラインヴィルトもリディエラも、ウィリエスの手を握らなかった。トランヴァルトは例外であったが、精々子守りにしか思われていない。第三王子は王位争いの蚊帳の外、それがあのときの共通認識。ハルヴェルの乱入はあれ、今日まで状況は変わっていない。

 つまり、王家は王女と第三王子の関係を秘しているということだ、トランヴァルトの発言は失言に当たる。ウィリエスは、何の影響も与えない小さき者として忘れ去られていくだろう。誰の目にも映らない真実など、事実にはなりえない。


「お前は知らないだけだ」


 トランヴァルトの両手は、ぎゅっと握り拳を作った。ハルヴェルを鋭くにらみつけ、侵入者を阻む番犬のように威嚇する。純真だ。あのウィリエスよりも汚れを知らない、箱入り息子。しかし果たして、ハルヴェルとトランヴァルトのどちらのほうが無知だろうか。


 お互い譲らないだろうに、とハルヴェルは内心で嘆息した。埒が明かない話に没頭するほどの物好きではない。


「でしたら、王女殿下のご様子をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?秋頃よりご体調が優れないと伺っております」


 それは誰も彼もが噂していることだ。商人は足繁く通っている一方、肝心の本人は姿を全く見せなくなった。以前は商談の度廊下を練り歩いていたのに、今は自室の近辺から離れようとしない。

 だからと言って、城の者たちが迷惑を被っていることにはならないのが王女らしいが。大人しくなったなら万々歳、わざわざ首を突っ込む輩はいない。


 ハルヴェルの言葉に、トランヴァルトは眉根を寄せた。ゆるゆると口を開き、息を吸う。


「あの人なら、相変わらず商人と仲良くしている。最近は外国製の鎧を買ったし、その前は剣を何十本も」

「衣装の類い……ドレスなどは?」

「は?……仕立屋は来ていない、気がする」


 王女は同じ衣装を二度と着ないことで有名だ。緻密なレースを重ねた帽子も、大粒の宝石をあしらったドレスも、普段着でさえ毎日別のものを身にまとうらしい。

 逆説的に考えれば、初めて着るものが無ければ王女は外に出てこない。武器商人を呼びつける傍ら仕立屋は招かないとなると、リディエラはもうしばらく部屋に籠もっているつもりなのか。


 リディエラが本気で戦争を企てているはずはない。己の存在は過激派の抑止力となるためにあると、リディエラ本人が言っていた。

 ところが、現実で進行しているのは武力の増強。これまでは奇異な武具を好んで集めていたという話だが、どうにもここ最近は異なるようだ。準備を見せかけているだけか、現実味を帯びてしまっているのか。


 さようでございますか、と何でもないように頷いた後、ご快復を願っております、と当たり障りの無い本心を口にした。頭に浮かぶのは、姉を恋しがる弟の姿。ハルヴェルがリディエラを直接訪ねることは不可能だ。ウィリエスが部屋から出る許しをもらえればあるいは、だが。


 純白が降り続けていた、全てをもみ消すかのごとく。音も無く降り立っては、土の色も臭いもかき消していく。遠目に見える庭、赤く咲いた花も、汚れが上塗りされるかのように染め直された。この世に不要なものなど無いのに、全てが世界の裏側へ閉じ込められるかのように押し潰された。

 温度が下がっていく。足跡が消えていく。何一つ見えず、何一つ感じえない時。朝は冷たく、昼は短く、夜は深く、終わりが始まりを食う季節。


 会いたい、と泣いているのは、誰だ。


「そういえば、第二王子殿下はブランジルス殿とも親交をお持ちと伺いました。近頃、私は会えておりませんが」

「……ルアンは兄上も信頼している。頭もいいし、家柄も悪くない」

「さようでございましょう」

「お前は家柄しか良くない」

「精進いたします」


 ハルヴェルはとうとう認めた。この王子は、根からハルヴェルを嫌っている。何もした覚えはないが、だからこそ反感を買っている部分もあるのだろう。兄のために動くルアンは好人物、動かないハルヴェルは悪人。

 結果を求めるのは悪くない。しかし、結果を決めつけ態度に出すのは頂けない。騎士団が彼を囲ってくれて良かった、と半ば安堵する。軍に取り込まれていれば、その純粋さゆえに早々と内乱を起こしていたかもしれない。


 ぶるり、とハルヴェルの体が震えた。運動後の汗が乾き、体温も下がったようだ。トランヴァルトも言いたいことは言っただろうから、そろそろ去り時だろう。

 形式張った挨拶を述べ、頭を垂れる。すれ違う騎士の見送りは、どれもハルヴェルを敬ったそれだ。なるほど、たとえ形だけの敬意であろうと、何もしない半端者のそれよりはましなものだ。ウィリエスの周囲もそうであれば良いと嘆く傍ら、ハルヴェルは自身の言動も省みた。

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