第24話 第二王子
目を開け、むくりと起き上がる。新雪のおかげで痛みは無いものの、背中から体温が吸い取られてしまいそうだった。剣代わりの鉄棒を杖に、ハルヴェルは服をはたきながら前を見据えた。子供離れした体格のトランヴァルトが、拍子抜けしたように相対している。
兄と同じ金髪、兄よりも澄んだ空色の双眸。短く刈られた頭髪や分厚い手のひらは、彼が心身共に騎士たる存在だと誰しもに思わせるだろう。控えている騎士や侍従も、どこか誇らしげに立ち並んでいた。
「参りました。素人ながら、第二王子殿下の剣術に敬服いたします」
「最後は足払いしただけだ」
情けないことに、ハルヴェルは三の歳の差でトランヴァルトに負けた。
遡ること、四半刻。例によって城内をそぞろ歩きしていた折、ハルヴェルは第二王子を見かけた。いくら昼間とは言え、この寒い季節に外で手合わせをしていたのだ、近くを歩けば思わず視線が行く。真剣を模した鉄の塊は、ぶつかる度に高く空気を揺らしていた。
ハルヴェルが足を止めたのは、単に暇だったからだ。ウィリエスとは昨日会ってしまったし、リディエラがいるわけでもないのにセーグルのもとへ通い詰めるのも気恥ずかしい。かと言って、部屋にいればラインヴィルトに呼び出されかねない。
そこで出不精なりに考えたのが、もはや習慣となりつつある散歩。その結果として、思わぬ遭遇。否、すれ違ったり遠目に認めたりすることはこれまでもあったが、じっくりと観察できる機会は初めてだった。
ハルヴェルは身分様々な見物客に紛れ、トランヴァルトの生気溢れる剣裁きを鑑賞した。引き籠もりの身では技量も美しさも全く分からないが、逆に言えば己では歯が立たないと確信した。
だと言うのに、トランヴァルトは目敏くハルヴェルに気づき、しかも手合わせを申し込んだ。これを藪蛇と言わずして何と言おうか。
「辺境を治めるなら、もっと鍛えるべきだ。訓練に混ざってもいいぞ」
「大変魅力的なお誘いでございますが、本日はふさわしい格好をしておりませんので」
ハルヴェルは遠回しに拒否した。歩み出た騎士に鉄棒を返しつつ、真剣でなくて良かったと心底思う。甲冑を着せられるにしても、真っ直ぐに歩くことさえ難しかっただろう。おかげで、自身の体力や筋力が並以下かもしれないと危惧するきっかけになった。リディエラやカーニャよりはましだと信じたいが、トランヴァルトを前にしては同じものか。
別の組が稽古を行うことになったので、ハルヴェルとトランヴァルトは端によけた。立ったまま、掛け声で暑苦しい訓練場を眺める。騎士にも様々な性格がいると言うが、国王直属とあってはさすがの品格を兼ね備えているようだ。影を落とさない姿勢に、指の先まで芯がある振る舞い。ガキンッ、と打ち合う音すら矜持を持っている。王女派に付く軍人たちとは方向性がまるで逆だ。尤も、戦いが起きなければ存在意義も無いという点では、騎士団も軍も変わらないのだが。されど争いよりも忠義を取ると言うなら、騎士たちのほうがずっと秩序立っていると言えるだろう。
不意に、トランヴァルトはハルヴェルを見上げた。
「お前、ウィリエスの顧問だろう?」
「光栄にも、さようにございます」
「兄上とどっちがいい?」
まだ高音の声は、訝しむように、不服そうに問うた。胡乱な目を向け、答え間違えれば斬り捨てそうな剣幕で。ただし質問が曖昧である自覚はあるのか、どっちのほうがいいと思う、と聞き直す、ちっとも変わっていないが。
「比べるまでもございません。お二方共、我々は忠義をもって付き従うのみでございます」
ハルヴェルは、上げて落とした。薄々察していたことに、この王子は機微が態度に出る。一言目では期待に目を輝かせ、二言目では肩を落とした。次いで、そうではない、と苛立ちを露わに。どんぐりの背比べではあるが、ウィリエスのほうがまだ隠そうとする。正真正銘、偉大な兄王子の弟とあってか、周囲に持て囃されるばかりなのかもしれない。そして、ラインヴィルトも立ち入って世話を焼いているわけではないのだろう。もしそうなら、ラインヴィルト好みの策略家に育っているはずだ。
「ウィリエスはリディエラと仲がいいのだから、兄上の敵に決まっている!なぜウィリエスの申し出を受けた?」
「王女殿下と、でございますか?第三王子殿下のもと、王女殿下にお会いしたことはございませんので……」
否、半分嘘だが。そもそも、ハルヴェルは第一王子派に与した覚えはない。ラインヴィルトに仕事を持ち出されれば参上するが、彼らと親密に関わることは避けている。現在城に滞在しているルアンとも、公務以外では会っていない。ウィリエスに付いたことは貴族社会に疑念を呼んだものの、かえってラインヴィルトとの距離が離れて良かった部分もある。
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