第22話 決意
「南は医薬産業に強みを持っています。一時期は落ち込みましたが、薬や薬草の売り買いが国を支えています」
途端に、ウィリエスの表情がはっきりとした。お薬、と復唱し、そわそわと言葉を続ける。
「僕が飲んでいるのも、南からもらったものですか?」
それは、唐突な告白だった。
「薬を……飲まれているのですか?」
ハルヴェルが顧問の話を受けたとき、ウィリエスが服薬しているという情報は開示されていない。単に、生まれつき体が弱いのだと。外に出すな、好奇心を刺激するような話をするな、とは重々言い聞かせられたが。てっきり、治療ではなく養生に甘んじているばかりかと思っていた。
――視界の端で、侍従たちが身じろいだ。
相変わらず仕事をしない、ただ立っているだけの五人。つまらなさそうに、話す二人に視線を向けていた。もちろん、それが侍従としてふさわしくないのは一般常識だ。控える者はその存在を悟らせず、必要な瞬間にだけ姿を現すのが当たり前。さも監視しているかのように、あからさまに様子を窺うべきではない。
「あ、はい。えっと、毎日ではないんですけれど、赤くて……」
「――ウィリエス殿下、それ以上はおっしゃらないでください」
ハルヴェルが相槌を打つより早く、侍従の一人が口を開いた。
「……ご、ごめんなさい……」
ウィリエスの肩はびくっと震え、ごめんなさい、と消え入りそうな声が再び。つい先程までの明るい表情とは打って変わり、俯いてしまう。一方で侍従の言葉は、学の浅そうな、どこか脅すような口調だった。全員、にらむようにこの部屋の主を見ている。
奇妙なことだ。青年は眉間に右手の中指を当てた。困ったり呆れたりした際に出るこの癖は、貴族としての風格と、適切な間を彼に施す。図々しい語調も名前を呼ぶことも、ウィリエスが意図して許可したわけではないだろう。いくら余計な息子とは言え、ここまで教養の無い男性を侍らせるのは、あまりに。
「殿下、申し訳ございません。促してしまった私の落ち度ですから、殿下は謝ってはなりません」
「あ……ごめ……」
「もうよろしいのです。薬から、どのような傷病を患っているか分かってしまうこともあります。これからはお答えなさらぬよう……私もお聞きしません」
怖がらせぬよう、ふんわりと笑顔を作る。誘導したつもりは全くなかったが、結果的にそうなってしまったのだから仕方無い。隔離されているという事実が先入観を生み、体調に改善策を打たれていないのだと頭のどこかで思い込んでいた。冷静に考えてみれば、十の歳を迎えて慣習通り披露された身だ、先が短いというわけではないのだろう。こうして会っている限りでも、重大な病気を抱えているようには見受けられない。
しかし、ハルヴェルが省みるべきは、そこではなかったのだろう――突然、滴が落ちた。
はっとしたときには遅い、流れ出た弱音。
「もう、だ、駄目ですか……?あ、会いに来て、くれませんか……?」
捨てられることを恐れるように、幼子はぼろぼろと雨を降らせる。小さな小さな両手で拭い、それでも頬を伝うそれを、懸命に止めようとしている。ひっく、としゃくり上げながら、ごめんなさい、と繰り返している。
殿下、とハルヴェルの口をついて出たのは、なぜか。本当に、弟王子のみを指しての呼称だっただろうか。
母親も養育の環境も異なるだろうに、二人はどこか似ていた。他人の顔色を窺い、夢中になれば楽しく口を動かし、かと思えば悲嘆に暮れる。相手によって態度が正反対に変わり、頼るべき存在もいない。押しつけられた像に縛られ、出られず、たった一人で毎日を消化している。
この二人は、どうしようもなく不幸だ。
ウィリエスにとって、唯一の拠り所はリディエラなのだろう。自分を慈しんでくれる無二の誰かは、気丈でもろい姉なのだろう。
それでも、どうか、他にもあればいい。どうか、他にもいればいい。その誰かに、ハルヴェル自身が許されるのであれば。
「いいえ、会いに来ます。必ず、この部屋に来ます」
立ち上がり、ウィリエスの隣にかがんだ。そして、抱き締めた。折れてしまいそうなほど細く、心臓の鼓動が聞こえそうなほど薄い体を包んだ。
泣かないでください、とは言わない。泣ける場所が無いなら、今大声で泣いてほしい。皮肉にも、ウィリエスの声を聞く者はハルヴェル以外にいないのだ。監視の侍従も、脱走防止のためであろう兵士も、誰一人として。
「あ……あああ……!ごめっ、ごめんなさいっ、ごめんなさい……!」
「謝る必要はありません。好きなだけ泣けばよろしいのです、私はいなくなりませんから」
大人に近づいた手で撫でる頭は、両手に収まりそうなほど小さかった。ふわりと舞う、蜂蜜の残り香。この子供には、姉からの愛情しか無い。乏しさを誤魔化すように、与えられたわずかな甘さで満たされた気になっている。そしてきっと、世界の輝きも知らない。小さな窓枠に切り取られた青で、この世の全てを補っている。
それらの一体どれほど貧しく、哀れで、恵まれないことか。一筋の光芒さえ届かない、真っ暗な深海で生きることの、どれだけ孤独なことか。
柔らかい黒髪に指を沈めながら、肩を濡らしながら、ハルヴェルは心の痛みを覚えた。リディエラを否定するわけでは決してなく、リディエラとはまた別の居場所になりたい。姉に会えない間の支えとして、自分を頼ってほしい。大人でも子供でもないからこそ、この子供の信頼に足る存在に。
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