第21話 第三王子の教育

 雪が降る。白い、さらさらとした粉雪。針葉樹に化粧を施し、軒下に鋭利なガラスを吊るす。動物も人間も、熱を求め息を潜めてしまった。無色透明な景色と、色を与えられた吐息。爆ぜる薪だけが、凍える部屋に息吹を送る。


 相変わらずの案内役と共に、ハルヴェルはウィリエスの私室を訪れた。


「ハルヴェル!」

「こんにちは、ウィリエス殿下。お変わりありませんか?」


 はい、とウィリエスははにかんだ。何重にも着込んだ服の上から、さらに毛布をかぶっている。簡素な部屋とは相容れず、若葉色の上等なものだった。緯編みに一片のほつれも無いから、作ったのは名のある衣装屋だろう。無関心な国王がこれを用意するわけはない。与えたのは、同じ色の瞳を持つ少女だ。


 顧問という大義名分を存分に使い、ハルヴェルは三日置きにこの部屋を訪れていた。時には花を伴って、時には菓子を携えて。ウィリエスは表情をころころと変え、何にでも興味を持ち歓声を上げる。すごい、きれい、と短絡的な語彙しか使えないが、一人きりで生きている割に旺盛な好奇心だ。もちろん、帰ってしまわないように気を惹きたいという欲求もあるだろうが。

 ハルヴェルが今日持ってきたのは、シクラメンの鉢植え。淡い紫色に色づいた花弁は、恥じらいを見せて下を向いている。くるくると巻いた茎といい、子供の目には不気味に映るだろうか。


「不思議なお花です……。えっと、触ってもいいですか?」

「ええ、どうぞ」


 柔らかそうな手が、こわごわと葉に触れる。丸みを帯びた指先が、さらりと茎を撫でた。すん、と香りを嗅いで、こてん、と頭を傾ける。そのかわいらしさに、期せずしてハルヴェルの頬も緩んだ。


「あまり匂いがしないです」

「香る種はとても少ないそうですので。殿下は、香りを楽しむほうがお好きでしょうか?」

「うーん……見た目も好きです。ありがとうございます」


 会話が微妙に成り立たないのは、いつものこと。

 数週間を経て分かったことに、ウィリエスは自分の好き嫌いを伝えることが特別不得手だ。感性が乏しいわけでは断じてないが、他人の顔色をひどく窺う。衝突を避けるためか、無意識で話の意図をすり替えてしまうようだ。

 それは支配者階級で生き残るために必要な素養でもあり、王族でいる限り不利益を生む悪癖でもある。王女ほど強い語気を扱えとは言わないが、受け身な態度だけでは早死にしてしまうだろう。そこも、ハルヴェルが教えるべき部分だ。


 さぁ、とハルヴェルはウィリエスの背を軽く押した。初日の丸テーブルではなく、背が低い長方形のデスクへと誘う。

 子供用のそれは、ハルヴェルが塔の監督者を説き伏せて運び入れさせたものだ。クルミ材の四方には、アカンサスの装飾が彫られている。脚には汚れの一つも見当たらず、ウィリエスが大切に使っているのが窺えた。ハルヴェルが自腹を切ったので最高級品ではないものの、足の裏が床に着かないものよりは格段に良いだろう。


 揃いの小さな椅子にウィリエスが、ハルヴェルは向かい側にある大人用の椅子に座った。コトン、と鉢植えを置き、口を開く。


「今日は周辺国のお話をいたしましょう。グリーティス王国は、いくつの国と国境を接しているでしょうか?」

「あ、えっと……二つくらい、ですか……?西の大きな国と知り合いで、東の大きな国とはあまり仲良くないと、お姉様が言っていた気がします」

「姉君が。ええ、そうですね。他にもう一つ……数年前に独立したばかりですが、南はこちらとも隣り合っています。そして、北もまた」


 合わせて四つですね、とハルヴェルは右手で数を示した。幸いにもと言うべきか、攻撃的なのは北と東のみ。しかし、ドッグヴァイン辺境伯家をはじめとする貴族が北の侵攻を抑えている傍ら、東とは今まさに緊張状態の真っ只中だ。

 西が南の小国を取り返した、もとい独立まで手助けしたせいで、西の庇護下にあるグリーティス王国もにらまれている。東西が南を奪い合っている昨今、グリーティス王国もいつ巻き込まれるか分かったものではない。

 加えて、軍部を中核とする王女派の存在。戦争を起こすも起こされるも、どちらにせよ悠長に構えてはいられないのがこの時代だ。


 ふと、目の前の王子を見る。同盟国である西に王女はいなかったはずだが、新たに生まれれば差し出されるだろう。このまま暗い塔に閉じ込められて生きるか、人質としてたった一人異国で生き抜くか。

 指折り数えて暗記しようとするその様子は、純朴極まりない。きょとんと見詰め返す瞳も、こてんとかしげる首も、逃げ場を失うには早すぎる。リディエラ以外にも頼る先があれば、状況は大きく違っただろうが。


「東は厳格な階級主義国家であり、大陸統一に意欲的です。一方、西は今のところ目立った動きはしていません」

「え……それだと、東に負けてしまいませんか?」

「むしろ逆でしょう。西は領土も国力も盤石……揺らぎませんから、今はじっとしていたほうが良いのです」


 そう、今動いても利は限られている。西に匹敵しうる兵力を保持しているのは東だが、此度の領土争いに際して傾いた。同盟関係からの脱却が目的である王女派が東に助力を請うとは考えにくいにしても、グリーティス王国だけで西を相手にするのはどうあがいても無謀だろう。

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