第19話 第三王子

 立ち入ったことのなかった、王族の居住棟を歩く。暗殺者を阻むために積み重ねられた石は、窓から頭を出すだけで庭園を一望させた。柱には彫刻、壁には絵画。名だたる芸術家の土産が途切れたところで、ハルヴェルは現実をまざまざと思い知る。

 回廊の扉を越えて以降、廊下にはただの一人も衛兵がいない。先導する騎士は案内役という名の監視だろうが、これで安全を買ったつもりか、とハルヴェルは密かに毒づいた。ダグラクスがいかに捨てたがっているか、この寂れたほの暗さを見るだけで嫌でも分かってしまう。


 私室を守る衛兵は、ノックもせず扉を開けた。


「あっ、ハルヴェルさん……!」

「ご無沙汰をしてしまいまして、申し訳ございません」


 第三王子殿下、とハルヴェルが先日と同じ礼を取れば、やめてください、とウィリエスは恐縮して両手を振った。


 豊穣の夜、ウィリエスの発言は会場を大いに困惑させた。そして、ハルヴェルが了承したこともそれに拍車を掛けた。トランヴァルトを押しのける勢いで城の者がウィリエスを回収したが、口から出た言葉は取り消しが効かない。国王とて、王子の言を否定してしまえば王族の威信を損なう。

 とりあえずはラインヴィルトが上手く収めたが、重臣も含めた議論はそれなりに長引き、ハルヴェルに沙汰が下されたのは冬の初頭だった。曰く、顧問としてなら側に置くことを許す、と。発端はウィリエスの教養不足ということにして、ハルヴェルはその指導を買って出たという筋書きだ。しかも実家は堅固な保守派、第三の王位継承者として新たな旗頭に仕立て上げる危険も小さい。尤も、ハルヴェルを目が届く範囲に置いておきたいという思惑もダグラクスにはあったはずだが。


 こうして、ハルヴェルは冬の間を王城で過ごすことになった。とは言え、後悔と不安は有り余るほど生まれている。

 聞いてみれば、ウィリエスは明らかに他の王族と扱いを異にされていた。病弱だからと、私室は披露前の王族が使うための裏手の塔から移されていない。従僕どころか護衛も付けられておらず、外部との接触もほぼ隔てられている。

 庭にさえ出すなと言い含められたときは、さしものハルヴェルも食い下がったものだ。閉じ籠もっていればかえって気が滅入る、治療に逆効果だと論理的に重ねた。結局、考えておくという一言で終わらせられたが。


「殿下、私に敬称は必要ございません。どうか、王族としてのお務めをお忘れなきよう」

「……?あ、あの、ごめんなさい。ど、どうすればいいですか……?」

「私のことは呼び捨てになさって構いません。話される際も自信を。貴方様のお言葉は、陛下に次いで尊いものでございます」

「……あ……の……えっと……」


 これでは駄目だ、とハルヴェルは微笑の裏で嘆息した。うるうると涙が溜まっていく様を見せられては、一般常識を振りかざすことすらできない。


「言葉遣いを……簡単にしてもよろしいでしょうか?」

「あ、簡単……?あ、ありがとうございます……!」


 ウィリエスはほっとしたように笑った。軽率に礼を言うのは望ましくないが、それはそれ、今すぐどうにかできることではない。


 それにしても、とハルヴェルは考える。外の無人が嘘のように、この部屋には人が多い。見えるだけでも侍従が五人、兵士が二人。遊び相手かと思えばそうでもないようで、入室したときにウィリエスは一人きりで窓の外を眺めていた。行儀悪くも椅子の上に膝立ちし、庭にしてはやや上方をじっと見詰めていた。それを注意しないことからも、王子と周囲の心理的距離は決して近くないと想像が付く。ウィリエスが会話に不慣れなのも、侍従や兵士の声をほとんど聞かないからだろう。


 ハルヴェルさん、と再び呼ぶものだから、呼び捨てるようお願いいたします、と即座に咎めた。途端、ごめんなさい、と謝罪が返ってくる。このようなところも本当に良くない。王族の謝罪は誠意ではなく、弱みだ。このままでいれば、いくら放任の身とは言えあっという間に食い殺されてしまう。そうなればこちらも無傷ではいられまい、とは今更か。


 ウィリエスは、窓際にある簡素なテーブルセットを指し示した。白い円卓が一台と、子供には座りづらい椅子が二脚。身分の平等を連想させるその形は、どう考えても蔑みの象徴だ。しかも、あって当然とされるべき花も飾られていない。冬だから、という言い訳が通用すると思うのなら大間違いだ、生きる植物全てが黙る季節など無いのだから。ハルヴェルは椅子に近づき――止まった。


 侍従の誰もが、一歩も動いていない。


「……あ、あの……?座っていいですよ……?」

「いえ。では、失礼いたします」


 自ら椅子を引き、ハルヴェルは座った。通常は目上の人間から席に着くべきだが、仕方無い。

 ウィリエスはと言えば、壁際の戸棚まで慣れた足取りで向かったところだ。辛うじて手が届く引き出しをカタカタと開け、何かを取り出している。

 ハルヴェルの視線を遮る背中は、やけに小さくて薄い。十歳の割に背丈も低い、と改めて感じさせる体格だった。柔弱という話も嘘ではないのだろう。事前に知らされた限りでは、これという病ではなく生まれつきの体質らしい。母親については口を閉ざされたが、親子揃ってのものなのか。

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