第18話 六人目の王族
思考を止めるように近づく、腕を組んだ男女。
「こんばんは、ブランジルス殿、フロータス殿。ダンスはもう良いのですか?」
「こんばんは、サンドルト殿。ええ、一度休憩しようかと」
ルアンの返事と同時に、カーニャが目礼をした。友人とまでは言えないが、それなりに親しい間柄だ、過剰な態度はかえって無礼になる。ハルヴェルもそれを承知しているから、人当たりの良い笑みで応えた。
「ラインヴィルト殿下とは、もう話されましたか?」
「いえ。ちょうど手持ち無沙汰にしていたところです」
まだ、などと不用意な言葉は使わない。ラインヴィルトと話す気がハルヴェルには無いし、そうでなくとも、王族から声を掛けてもらえるに足るという傲慢に受け取られる。
ハルヴェルから見て、今夜のラインヴィルトの行動範囲は狭いものだった。通常なら第一王子派の面々と歓談し、新たな勢力の拡大に精を出しているところだ。否、その違和感はラインヴィルトに限らない、王族の誰もがそれぞれ留まっているようだった。幼いトランヴァルトとて、言いつけでもあるのかウィリエスを連れてダグラクスの近辺にいる。第二妃は子供たちを挟んで反対側。リディエラに関してはいつものことかと思えば、しばしば視線だけで末弟を窺っていた。
この光景だけならば、あたかも年長者たちが第三王子を慮っているように見える。ハルヴェルは目が合わないよう注意しつつも六人の様子を視界に収め、カーニャに話を振った。
「先程はご苦労様でした。フロータス殿のみやびな祝詞に、神も我々の気持ちをお受け取りになったかと」
四人いる乙女のうち、カーニャは最も家格が低い。ゆえに大した役割は与えられていなかったが、伊達に伯爵家の真珠と言われてもいなかった。樹液を煮詰めたような髪は慎ましく背を隠し、深紅の冠と相まった姿はカエデの精霊のごとし。皆が抱える神への敬意は、そのバイオリンにも似た声のおかげで少しも違わず言葉に乗っていた。
此度のことで、カーニャもといフロータス伯爵家はいっそう名声を高めることだろう。時に悪い作用をもたらすほど、貴族というのは外聞や形式に価値を見出す。
「滅相もございません。公爵家の……」
つと、カーニャは目を見開いた。言いかけた口のまま、判断に迷ったかのようにルアンの腕からその指が浮く。これは貴族にしてみれば恥となる取り乱し様で、当然カーニャにしては大変珍しい醜態だ。したがって、ルアンは驚きと呆れで片眉を上げた。しかし、小休止も置かずにその真意を知る。彼もまた下方を見詰めて同じ顔をし、即座にハルヴェルに視線を戻した。今にも何かを訴えるように、息が継がれる。
――とんっ。
ハルヴェルの腰が軽い衝撃を受けたのは、それらとほぼ同時。
「――あ、あの、ハルヴェルさん……ですか……?」
「……!?」
少し痛んだ髪は、間近で見れば涅色だった。円い双眸は涙で光を反射し、けれど黒水晶のように強かな意思を内包している。乱れた呼吸は、監視の目を逃れるために急いだからだろうか。
なぜ、とハルヴェルは言いかけて、それより早く床に膝を突いた。
「さようにございます、第三王子殿下。この度は誠におめでとうございます」
ハルヴェルに続き、後方のルアンとカーニャも姿勢を低くしている。いかような理由があろうと、相対した王族を無断で見下ろすなどとんでもない。周囲にいた他の貴族も、態度を図りかねた者はさりげなく距離を取っていく。あらかじめ目を合わせるでもなく現れたウィリエスこそ非常識だが、それを真っ先に叱咤することこそ不敬の極み。王族を頭ごなしに咎める権利は、この場の誰も持ち合わせていない。
また、名を呼ばれたのが辺境伯家のハルヴェルだからこそ、面倒だと分かっていて口を挟む愚者も挟まなくてはいけない賢者もいない。ハルヴェル自身はラインヴィルトやルアンと急接近しているが、その父親は腰が重い保守派だ、まさか幼気な第三王子を煽動するとは考えがたいのもあるだろう。
頭を垂れたまま、ハルヴェルは集中して現状を分析する。なぜ、第三王子はこの場に現れたのか。ましてや、なぜハルヴェルの名を人違いもなく覚えているのか。確かに、国王への挨拶として名乗りはした。しかし、それだけだ。高位貴族のみとは言え、それは何十人という貴族が行っている、見目に特徴が無い者の印象が残ったとは到底思えない。
考えられるとすれば、リディエラかラインヴィルトの差し金だ。果たして、リディエラがハルヴェルを公衆の的に仕立て上げるだろうか。
「あ、あの……えっと、頭を上げて、ください……?」
「……」
「あの、後ろの人たちも……」
何だ、この王子は、とは、一同の心に浮かんだことだろう。万人の前に立つ意味がまるで分かっていない。しどろもどろ、という形容が最も似合っている。当時ハルヴェルは見ていないが、二年ほど前に披露されたトランヴァルトは、ラインヴィルトの弟らしく昂然としていたらしい。教育の差か待遇の差か、素のリディエラに輪を掛けて尊厳が欠けている。
母親似か、と誰かが呟いた。外見だけの話ではない、貴族にすら劣るその態度を揶揄した発言。息子であるウィリエスだけが王族に名を連ねたのだから、母親の身分は多寡が知れている。
尤も、ウィリエスにとっては己の存在が周知されただけましかもしれないが。王位争いの渦中には放り込まれてしまったものの、王族として守られるべきという建前は与えられた、建前だけは。
ハルヴェルはリディエラの胸中を推し量った。ウィリエスは彼女の敵になりえる人物ではない。やはり今日のあの態度は、王女でいられる精一杯の加減で弟をかばっていたがゆえだろう。本当は今も一緒にいたいのかもしれない。あるいは、自分が退場する際に連れていくつもりなのか。であれば、ウィリエスがここにいるのは望ましくない、どうにかしてリディエラの側に帰さなくては。
そう考えた矢先、トランヴァルトが侍従を連れて向かってくるのが見えた。ちょうどいい、とハルヴェルは視線で示す。
「第三王子殿下、兄君があちらに」
そう言えば、ウィリエスも釣られて目視した。振り返り、ハルヴェルを見直し、またトランヴァルトを見やる。焦っているのか、とハルヴェルは思案した。名前を覚えていたくらいだ、何か言いたいことがあるのかもしれない。何も公衆の目を集めてまでとは思うが、幼さゆえに考えなしの部分も仕方無いだろう。
一歩、一歩と迎えが迫っている。強制退場もやむなしな表情だ。思考を悟らせてしまう点では、トランヴァルトもまだ青い。
「出過ぎたことを申し上げますが、お一人で動かれるのはいかがなものかと。御身に何かございましたら……」
「――ぼっ、僕と友人になってください!」
ぎゅっと目をつむり叫んだ、願い。
鏡に反響し、周囲の談笑が消える。変化した空気に、音楽も遅れて止まる。足音、扇を開く音、全てが凍らされたかのように聞こえない。間違い無く、例外無く、この場の全員が油断した。
リディエラを見やった、ラインヴィルトとダグラクス。
その一瞬だけで、ハルヴェルには十分だった。
「――ええ、私でよろしければ」
未熟な勇気にまぶしさを覚えたのは、きっと。
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