第14話 ブランジルス侯爵子息

 王都の秋は本当に早いのだと、ハルヴェルはつくづく思った。あらかじめ祖父母から言われていたことではあったが、急な気温の低下に体が追いついていない。風邪を引いてしまわないように、これまでより多少の厚着をする。確かな効能を持つ薬が輸入されるようになってからはまだ数年だ、小さな病が大事にならないとは限らない。不慣れな気候で一家滅亡など、あまりに笑えない結末だ。


 カーニャからの知らせ通り、ルアンとの会食は豊穣の儀の七日前、すなわち今日。ハルヴェルは寄越された案内人と共に馬を蹴り、澄んだ空気を肌に感じた。

 グリーティス王国の街道は整備が進んでおらず、馬車に乗るには体も時間も厳しい。サンドルト辺境伯家の別邸からブランジルス侯爵家までであれば、馬で行ったほうがずっとましだ。尤も、それはそれとして馬車を使いたい気持ちはハルヴェルにあるのだが。

 セーグルが昔言っていたことには、同盟国の街道であれば、馬車に乗っている間に読書ができるらしい。どれほど平坦にこしらえられた道かと驚くと同時に、本の虫であるハルヴェルには大変魅力的に聞こえた話だった。この点については、ハルヴェルが唯一と言っていいほど第一王子派に期待するところでもある。王女派は私欲の塊だ、公共の設備など皆目関心を持っていないに違いない――リディエラ以外は。


 堂々巡りに糸口は望めない、とはハルヴェルの兄の言葉だ。研究に行き詰まったとき、彼はとことん呻った末に思考を打ち切る。その価値観はその弟にも受け継がれ、いくらかの回復を促した。

 リディエラに悲痛な選択肢を選ばせてしまったことは、もはややり直せない。しかし、それで終幕だと決まったわけでもない。聞くところによるとリディエラは王女として健在なようだし、ハルヴェルもまた、有力貴族の子弟として命を繋いでいる。少なくとも、冬の間に領地へ帰らされることはないだろう。

 何も知らないまま終わりを待つより、好きな花くらい聞いてから終わったほうがずっとましだ。無論、知るべきことがそれでないのは自明だが。


 気づけば、太陽が天辺に昇ろうとしている。ブランジルス侯爵家にたどり着いたハルヴェルは、玄関ホールでルアンに出迎えられた。


「はじめまして、ブランジルス殿」

「こちらこそはじめまして、サンドルト殿。ルアン・ブランジルスと申します。本日は誠にありがとうございます」


 ルアンが頭を下げると、色素の薄い茶髪が揺れた。毛先は緩く波打ち、端麗な顔立ちに柔和な雰囲気を添えている。

 なるほど、これはやり手だろうと、ハルヴェルは人好きのする微笑を返す裏で思った。カーニャと似た者同士なのか、穏健であると同時に底が知れない。第一王子が気に入るのもどこか当然と言える人物だ。ハルヴェルが試しに手土産を渡してみたところ、ルアンは心底嬉しい様子を見事に披露した。果たして、どこまでが彼の本心か。


 ブランジルス侯爵家は、グリーティス王国建国時からその名を存続させてきた。格式と伝統でできた邸内は一片の隙も無く、一流の調度品や美術品が艶めく。ガラスの向こうには、造形も色彩も豊かな植物。秋の中頃だと言うのに目を楽しませるのは、フロータス伯爵家の協力あってのことだろう。期待通り、食堂にも立派な花が生けられていた。


「今朝はすっかりと寒くなっていましたね。道中、辛い思いをされたことでしょう」

「お気遣いありがとうございます。それにしても、王都の季節の早さには驚きました。王都で暮らす祖父母から言われていたので、備えはしていたのですが」


 お互い、眇眇たる話題を選ぶ。四季に関しては比較的に、あくまで相対的にだが、表現の幅が広い。そこから花の咲き頃や商いの流れに繋げ、相手の教養を測る。余剰農産物の市場ならまだ簡単なほうで、鉱物、輸入品、他国の情勢など、自分の優位を確かめつつ難解な話題を振っていく。

 ここまで来れば露見するのは当人の力量だけではない、一門の財力や権力、家門の価値がたった一人の口を根拠に見定められる。だから青い貴族は交流を親から止められるし、抜け目無い貴族はそういう者を狙う。

 貴族社会のきらめきは、どろどろになるまで煮詰めた賊心と策略の上澄みだ。そして、ハルヴェルはルアンよりずっと経験が浅い。食われぬよう、足を掬われぬよう必死に逃げている。肝心なときに吐き出せないなら、肥えた知識は宝の持ち腐れだ。


 ふと、ルアンが首をかしげた。


「――そういえば、サンドルト殿はラインヴィルト殿下のご友人だと聞き及びましたが……」

「滅相もありません。恐れ多くも、名を覚えてくださっているというだけです」


 ハルヴェルはにこやかに否定した。第一王子とサンドルト辺境伯家の跡継ぎが友人であるという捏造は、ぜひともやめてほしい。

 サンドルト辺境伯家が保守派から第一王子派に数え直され、未だ水面下に収まっている政争を揺らすきっかけになってしまえば、ハルヴェルは自身の父にもリディエラにも顔向けできない。せめて父が登城する次の春までは、現状を維持する義務がある。また、ルアンこそ第一王子の忠臣だという自負があるだろう、乗っかったところでブランジルス侯爵家との関係が悪化するに違いない。


 そうでしたか、とルアンは引き下がった。何せ、ラインヴィルト自ら吹聴していたわけではない。ハルヴェルにその気があれば取り込むか潰すかの二択だが、さすがに守りが堅い、と緊張をかすかに緩める。


 ルアンにとって、ハルヴェルはどっち付かずな存在だった。講習や講義の成績はすこぶる良いと聞いている一方、積極的に人脈を伸ばすことはせず、気づけば姿を消している。夜会でもその存在感は微々たるもので、引退した祖父母のほうが余程警戒の対象だ。

 ラインヴィルトはその孫に少なからず関心を割いているようだが、ルアンにはその要因がどうも分からない。消極的な保守派だから注目しているのか、引き入れて早々と政権を握ってしまうつもりなのか、それとも別の思惑があるのか。


「ブランジルス殿こそ、第一王子殿下は厚く信頼なさっているのでは?夜会でも親しげなご様子だったと記憶していますが」


 第一王子殿下、の部分をハルヴェルは気持ち強調した。名前で呼ぶことは許されていない。少なくとも、ラインヴィルトはルアンのほうを近くに置いているのだろう。


 リディエラは、ハルヴェルに名前を許した。王女派の面々は、決まって王女殿下と彼女を呼ぶ。無垢な姿を見せないからこそ、相容れることはしないのかもしれない。だとすれば、あの図書棟にいるハルヴェルとセーグルは、確かにリディエラの近くにいたのだろう。友人ではなかったにしても、他の貴族の誰よりも側に。


「それは、それは……。もし事実であれば、この上なく幸いなことですね」


 その声が和らいだのを、ハルヴェルは聞き逃さなかった。

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